• その4
  • 鶴見区 正和堂書店

「本屋も読書も、もっと可能性がある」バトンパスは続く。 2021年5月31日 取材・文/中島 淳

loading

店の真ん前が大阪シティバス「鶴見西口」停留所。大阪駅-地下鉄門真南をつなぐ幹線「36号系統」が店の前に横づけされる 今回は地下鉄「今福鶴見」駅から3分、バス停からは3秒(!)という幹線道路沿いにある180坪の[正和堂書店]にお邪魔した。「近くの本屋さんで時間をつぶす」という行為が街の「日常」から遠ざかりつつある中で、正和堂書店は忘れかけていた「通り沿いの本屋にふらりと入って、いろんな本を探して過ごす」という楽しさを思い出させてくれる場所だ。。

入るとまず、このフェア台に目が行く。壮観である 書棚は高からず低からず。見通しが良くて通路が広く、ベビーカーでも車いすでも店内を回りやすい。ゆっくりできていい感じである。「主人は専攻が建築でしたので、建物も店内も“俺がやる”と言って自分で考えたんですよ」。創業社長・宮西正典さんの妻、弘子さんが語る。

 ご夫婦2人とも播州龍野(兵庫県たつの市)の出身。弘子さんは生後10か月の時に親戚だった宮西家の養女となり、大阪へやって来た。龍野の実家にいる母たちは、近所に住んでいた弘子さんの4つ上の正典さんに、「あなたは大きくなったら大阪に出て、弘子の面倒を見てほしい」とずっと頼んでいたらしい。正典さんは卒業後、駅長をしていた父親にならって国鉄(現・JR西日本)に就職したが、「いつか商売をしてみたい」という夢を抱いていた。それで、弘子さんとの結婚を機に国鉄を退職し、大阪に出てくる。昭和33年(1958)のことである。

弘子さんは2019年に大動脈乖離で意識不明となり、9時間の手術を経て生還。その生命力にも担当医も驚いた。「入院前はどのジャンルの本も見ていましたけど、いまは雑誌だけです。でも、病院の先生もおっしゃっていますが、お店に出るほうが身体にはいいみたいなので、出ています」 鶴見の宮西家は、戦後まもない頃から製パン店を経営していた。現在の場所から少し東の、願正寺の近くで開業し、やがて当地へ。宮西家の婿となり、社交的で事業意欲が強かった正典さんにとっては、大組織の国鉄よりも、努力すれば事業を大きくできる町のパン屋さんに、大きな可能性を見出していたことだろう。

「主人は製パン会社の二代目の方たちと、しょっちゅう会合を開いていました。みんなで盛り上げていこうということが好きでしたね」(弘子さん)

 第二次大戦前に300万人を超えていた大阪市の人口は、1945年の敗戦で半分以下にまで減少したが、1960年には再び300万人を突破する。パンの需要も右肩上がりで増え、やがて学校給食のパンも手がけるようになった。従業員も20人を超えていたが、膨れ上がる需要に対応するには、機械化しないとどうにも立ち行かなくなる。しかし、経営者である宮西家の養父母は、それには反対だった。

「戦争で満州に出征していた養父は、こちらに戻ってからパン屋をはじめて、移動販売の『ロバのパン屋』を大阪で立ち上げたんです。人気があったんですけど、道路の交通量が増えて、ロバが道で暴れだしたりしたのでやめてしまいました。ロバは天王寺動物園が引き取ってくれたんです。養父はもう歳だったし、機械化してまでパン屋を続けようとは思わなかったのでしょうね」(弘子さん)

創業当時は「鶴見書店」という名前だった。この頃、多湖輝の『頭の体操』、塩月弥栄子の『冠婚葬祭入門』シリーズや松本清張の推理小説などで光文社「カッパの本」はミリオンセラーを連発していた。「本・菓子・文具」という打ち出しに時代を感じる まだ30代だった正典さんと弘子さんは、パン屋さんを大きくすることは諦めて、「夫婦二人で出来る」商売を考える。それが書店だった。昭和45年(1970)、大阪万博の年に正和堂書店はオープンするが、当初は店のスペースを半分に割り、本屋とお菓子屋さんの半々で営業していた。近くには椿本チエインの本社社屋兼工場(現・イオンモール鶴見緑地)や、浪速いすゞモーターの本社兼整備工場(現・コープおおさか病院)もあって、休憩時間や仕事帰りに社員がよく来店した。男性客のほうが圧倒的に多かった時代である。

入ってすぐ右側奥にある児童書のコーナー。ゆっくり本を探す親子連れで人気だ この後、1996年をピークに日本の出版販売業は低下の一途をたどる。ネット書店の利用は増えたが、街の書店の売上が移っただけで、全体の底上げにはほど遠い。
 正和堂書店にとっては、2000年を前後して近くにあった前述の2つの会社が移転してしまい、通ってくれていたお客さんたちが離れてしまった。一時期、支店も2つ出店していたが、それも閉店せざるを得ず、現在は本店のみが営業している。

 けれど、梅田や難波などの都心でもない場所に、駅からすぐの幹線道路沿いで遅くまで開いている180坪の書店というのは、もはや「貴重」を通り越して凄い。正典さん・弘子さん夫妻だけでなく、長男の和典さん、長女の小西典子さんなど宮西ファミリー主体のフレンドリーな接客には新たなリピーターが付いている。模試や英検の申込みをする学生や、夜遅くに他府県から仕事帰りにクルマで寄るレストランの店主などもそうだし、ご近所の常連客の中には、2008年に『乳と卵』で芥川賞を受賞した川上未映子がいる。2016年に渡辺淳一文学賞を受賞した『あこがれ』の発売時には、「正和堂さんで本を買って読んで大きくなりました。」と手描きPOPを寄せている。

直近のインスタに投稿したお薦め本の陳列棚。壮観である 2017年には、典子さんの長男・小西康裕さんがインスタグラムで、本を毎日2〜3冊紹介する投稿をスタートさせた。まず本を知ってもらう「きっかけ」づくり。ジャンルは小説、エッセイ、社会評論、ビジネス書、料理本、自己啓発……と多岐にわたっている。

「最初は自分が気になったものをアップしていたのですが、いまは見てくださっている方に寄り添うことを重要視して選書しています。これまでの投稿で反応が良かった本に近いテーマを中心に紹介していますが、それ以外にも離婚家庭・同性カップル・非配偶者間人工授精(AID)など、ベストセラーにはならなくても大切だと思えるようなテーマにも触れるように心がけています」(康裕さん)

 康裕さんは実は印刷会社の社員で、家業の書店は「手伝い」になるが、現場をサポートするためにスタートしたところ、大きな反響があった。しかしなかなか来店にはつながらない。お客さんをここまで呼びたい……

この時期にうれしいアイスキャンデーのブックカバー。栞がバーになっているのが心憎い。秋冬には「フランスパンと焼き芋」なども人気だ。12種類はどれも康裕さんの作品だが、「考えようと思って考えたわけではなく、雑貨屋など街中にいるときにひらめいたものを形にしています」と 京都の芸術系大学で版画を専攻した康裕さんは、新しい試みとしてオリジナルのブックカバーを作成し、定期的にインスタにアップした。ブックカバーは正和堂書店にまで行かずとも、ネット通販でも手に入る。同じ作品でも電子書籍の端末で読むのと、リアルな文庫本にこのカバーを掛けて読むのとでは気分がぜんぜん違う。ブックカバー目的のお客さんは、旅行がたやすくできていたコロナ以前は北海道や沖縄、バリ島からも来店した。インスタのフォロワーは、この5月25日現在、86,000人にまで達している。

お店で文庫本を買えば、好きなブックカバーを付けてもらえるのがうれしいサービスだ けれど康裕さんの、というより正和堂書店のおもしろいところは、ここからである。これらのオリジナルブックカバーを「よかったらそちらのお店でも使ってください。希望の枚数を印刷して差し上げます」と呼びかけたのである。著作権料は取らないし、その印刷代も希望した書店に負担してもらうのではなく、「正和堂書店オリジナルブックカバーのファン」にクラウドファンディングで集めた。結果、この5月上旬に目標金額を早々と達成し、康裕さんはいま、寄付してくれた人に対するお返しのグッズ制作で忙しい毎日を送っている。

小西康裕さん(右)と、宮西正典さん・弘子さん夫妻の長女で母親の小西典子さん。祖母の弘子さんから見た康裕さん評は「あの子は考えることが好きなんですよ。書道家のお父さんの血を引いているんでしょうね」「ふだんは印刷会社で販促物などを作っていて、マーケティング寄りの立場にいるので、引いたところから本屋を見られたのがよかったのかもしれませんね。でもいちばん大事なことは、読書の現場が活性化されること。そんな機会を増やすことだと思っています」(康裕さん)

 このブックカバーをきっかけに、正和堂書店は女性客の割合が増えたそうだが、康裕さんは引き続き「読書好き」を増やす手をいろいろ考えているようで、それは別の機会にご紹介したい。肝心なのは「全体の底上げ」「常に読者から考える」という視点で「オープンソース」を貫いているスタンスだろう。人はビジネスでなにか成功事例を得ると、ついそれを「企業秘密」にし、その権利を「できるだけ高く売って利益を得る」ことに意識がいってしまいがちだが、その道を選ばなかった。

クラウドファンディングのキャンペーンロゴ。17世紀の科学者ニュートンが業績を讃えられて発した言葉「私がかなたを見渡せたのだとしたら、それは巨人の肩の上に乗っていたからです」からイメージ。本を読んで考えることは、著者の膨大な知識、経験が凝縮されたもの(=巨人)を体験し、新しい発見を得ることで、書店は「その言葉を体験できる場所」だという康裕さんの解釈が秀逸だ そういえばダルビッシュ有(サンディエゴ・パドレス)も変化球の投げ方をWEBで公開し、それを見た現役大リーガーなど多くの関係者や野球ファンも含めて、双方向のコミュニケーションが活発になっていると聞く。康裕さんも「この業界がおもしろくなるように」というモチベーションで動いている。そのあたりは60年前から、「業界全体が盛り上がるように」とパン屋さんの仲間を集め、書店に商売替えしてからも同業者や出版営業マンの面倒を見ていた正典さんとは、「リアル」と「インターネット」の違いこそあれ、同じ匂いが感じられる。康裕さんもダルビッシュと同じ、1986年生まれだ。

今回は社長の宮西正典さんが療養中でお目にかかれなかったので、2016年2月の写真を。後列右から二番目が正典さん、その左が弘子さん(後列左端は長男の和典さん)。お二人は3年前にダイヤモンド婚(60年)を迎えておられた。素晴らしい(2016年3月大阪市鶴見区発行『つる魅力』より) 帰り際に弘子さんが教えてくれた。「主人(正典さん)は若い頃、陸上の短距離の選手で、地域の運動会などに駆り出された時は、それはスゴかったんですよ」。リレーで下位になっても、最終走者の正典さんにバトンが渡るや、ものすごいスピードでごぼう抜きして最後は常に1位でゴールテープを切っていたという。「み〜んな驚いていましたね。あの時は細かったんです。いまでは想像もつきませんけど(笑)」。半世紀を超える正和堂書店のリレーでは、正典さんは決して「アンカー」ではない。典子さんの世代、康裕さんの世代へと次々にバトンが渡されている。

 しかし、もし半世紀以上前に宮西家の先代がパンの機械化を進めて、そのままパン屋さんが続いていたら……このフレンドリーな書店も素敵なブックカバーも、全国から集まってくる読者も生まれていなかったことになる。そう考えると、日本の出版界は、とてもラッキーだったのではないだろうか。

正和堂書店
●大阪市鶴見区鶴見3-6-12
06-6912-0669

10:00〜22:00頃 無休
https://www.facebook.com/seiwado.book.store/