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第4回 「いっとかなあかん店」と「いっとかなあかん街」。(とり平本店/大阪・新梅田食道街)

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 いっとかなあかん、というのは「その店に行かないといけない」とのことではない。
 たとえば鮨屋で「今日のウニは淡路のええのん入ってますよ」などと、抜群の旬の魚介を見せられ薦められた時に「それ、いっときますわ」、行為遂行の即座の選択みたいなものだ。同時にゴクリと唾も飲み込んでしまうわな。

「知ること」と「行い」は分離不可能、という境地。「知行合一」である。知って行わないのは、未だ知らないことと同じである。そういう思いで街に出たいし店にも行きたい。

 その「いっとかなあかん店」は「いっとかなあかんとこ」にあればあるほど、リアルな街の楽しみになる。
 ただその店に行って飲んだり食べたりそれ単一のことなら、ミシュランなどグルメガイドやタウン情報誌を見て、アクセスすれば良いだけだ。
 それは単なる消費行為である。おいしい食べものやいいお酒をただ対価を払って買うことだけにすぎなくなる。

 「いっとかなあかん店」は「いっとかなあかん街」を微分したものであって、その複数の店が同じ通りに並んでいたり、さらにその通りがタテヨコにクロスするなら一つの街になる。
 複数のいっとかなあかん店が、ダマでかたまってある街こそが、ほんまにいっとかなあかん街である。
 新梅田食道街は、阪急梅田駅の3階改札口への大エスカレーターのすぐ手前、JR大阪駅東側のガード下にある。たこ焼き、うどん、串カツから寿司、洋食、中華料理、バーや居酒屋まで約100店舗が縦横斜めの細い路地状の通路に並び、「最も大阪らしい飲食街」といわれている。

 77年に阪神間の大学へ通うようになって、地下鉄梅田駅から阪急神戸線に乗り換える際、よく「おおさかぐりる」で洋食のセットを食べた。
 岸和田から南海本線で難波、そこから地下鉄御堂筋線を乗り継いで梅田へ。1時間あまり、どちらも満員電車の立ち詰めだから、結構腹が減る。

 店は朝から開いていて、フライ類とライスに味噌汁が付いたセットは学食並みに安かった(確か350円だった)と記憶する。
 今は新しく改装されて当時の面影は薄いが、衣がハムの3倍くらいの厚さのハムカツが絶品だった。

 エスカレーター前の「[珈琲通の店ニューYC]で待ち合わせをしたり、[松葉総本店]で串カツを立ち呑みの生ビールで流し込んだり、[大阪一とり平]のカウンターに一人で座って焼鳥を注文するようになった頃は、梅田という大ターミナルを迷わず歩けるようになっていた。

 この飲食街の入口にあたる場所(何と「珈琲通の店ニューYC」の隣)にマクドナルド、そして吉牛とチェーン店がテナントとして入って来たのはずっとずっと後。気がつけば30年以上、この新梅田食道街に通っている。

 ちょうどど真ん中あたりの角地にある赤いタイルの中華[平和楼]、鴨鍋定食の[新喜楽]。

IMG_0106 おっと[マルマン]の「ライトランチ600円(11時〜2時半)」や。現物サンプルが店頭に出ていて、「おー、うまそうやな、安いな」となる。この日はデビルチキン、ポークカツだった。

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 ここ数年は昼前昼過ぎに梅田に着くと、「ビフテキ・欧風料理」と入口ドア上と置き看板に書いてある[スエヒロ](ビフテキは高いと思って食うたことがない)のサービスランチを食うて、シュークリームのヒロタとA-1ベーカリーの細い通路から阪急デパート前へ抜けて堂島へ歩いて帰るパターンも多い。

 このところ一番よく行く[大阪一とり平本店]は、昼時に前を通ると、ランチ客でごった返すのを無視するかのように、スタッフ3がカウンター席に座り、通りに背中を向けて串に鳥を刺している。
 開店まだやなあ、夜、仕事帰りにいっとかなあかんなあ、なんせ大阪一やもんな、などと思う。
 横に細長いカウンターだけの奥行きのない店で10数席。まことに新梅田食道街の店らしい焼鳥屋であるが、やり方はユニークだ。

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 座ればまず大根おろしと辛子の小皿が出てくる。そして何も注文しなくても合鴨の身と皮が炭火にかけられる。「お通し」の合鴨のタレ焼き4本だ。
 お通しの合鴨の身にはネギ、皮には玉ネギ。大根おろしは焼鳥の口直しでスプーンで食べる。

 昭和26年(1951)創業時は、まだまだ食料物資が不足していた時代だったが、合鴨の飼育から精肉販売までを行う業者にツテがあった。それが今や「河内鴨」で有名なツムラ本店であり、その贅沢な合鴨を店の目玉メニューとして、まず初めに「お通し」として出す。ユニークな伝統である。
 鴨とアヒルを交雑させた「合鴨」は大阪発祥だということは、この店で初めて知った。

 カウンター内のスタッフは、客がこの一皿を食べる様子をしっかり観察する。その客が空腹なのか、好みは何なのか。
 壁の木札には「ネオドンドン」「ネオポンポン」などと突拍子もないメニューが書かれてある。初めての客なら必ず「それは一体、何?」と訊く。
 狙いはそこだ。会話の糸口になるようにと初代が考えた。ネオドンドンは心臓で、鼓動の「どんどん」にかけてある。まことに大阪のおっさんのシャレ的感覚だが、職人的符牒っぽくもある。

 コンロからあふれんばかりにふんだんに使われる備長炭の火の強さはカウンターからも感じる。その強火の焼き方の特徴は、ネオドンドンすなわち心臓でわかる。外側を強めに焼き内側を浅く。
 それで焼きの状態がアンバランスになり、「ぶりっ」とした食感になる。
 一瞬レアかと思うが、醤油ベースのすっきりしたタレに実によく合う。だから七味や山椒ではなく辛子をつける。

 この店は一切伝票を使わない。焼き手はカウンターに腰掛ける客の注文を頭に入れる。勘定は焼き場の横でマッチの数と向き、ビールの王冠の裏表などでつける。ソロバン勘定がしやすいからだ。
 三代目中村元信さんは「初代が無駄をそぎ落とした結果そうなった」と語る。シブい台詞だ。

 元信さんは学生の頃から大手外食チェーン店でアルバイトをしたりしていたが、大バコチェーン店系の飲食はおもろない、と思っていた。
 大学を出て商社に就職した。2代目の父親に「うちは客はサラリーマンが多いから、その世界を勉強してこい」とのことからだ。3年間の会社勤めの後、家業に入る。何と暑い仕事やなあと思った。父には「まず客の顔を覚えなあかん」と言われた。だから伝票など書かない流儀なのだ。もちろんマニュアルなんてない。常連のこの人はビールはキリンでグラスではなくジョッキやとか、焼き加減、塩の量など好みも。
 「顔を覚える」ということはそういうことなのだ。旧い鮨屋や割烹のような世界である。

 またここで乗車時刻を調整する大阪出張帰りの客が多くて、鴨のもも焼きを「おみや」にして、新大阪からの帰りの新幹線であけてビールと…、というファンも多い。

 この店に行ってから、2階にある[梅田サンボア]にミニはしご酒は、わたしの定番である。

 こういう深くて渋い店が新梅田食道街に実に多い。
 そして小さなこれらの店が、経済合理性とグローバル・スタンダードを押し出すファストフード・チェーンと互角以上の勝負をしている限り、この飲食街はまだまだ「大阪スタンダード」の街のあじを守っている。

とり平本店
大阪市北区角田町9-10
06-6312-2006

 

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