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拝啓・古地図サロンから21

2020年10月2日・本渡章より、これをお読みのみなさまへ。

【今回の目次】
■古地図サロン(9/25)のレポート
●2020年秋~2021年初春の朝日カルチャーセンター中之島講座案内
●島民「水都」特集号
●出版予定
★古地図ギャラリー
 ①東畑建築事務所「清林文庫」の18世紀パリ鳥観図
 ②昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図原画

■古地図サロンのレポート

開催日:9/25(金)午後3~5時 大阪ガスビル1階カフェ「feufeu」にて

コロナ禍による中止を経て7月に復活した古地図サロン。今月も「密」を避けた会場レイアウトでの開催です。

明治~大正と続いた今年の展示。今回のメインテーマは昭和の古地図(前編)で、初期から中期の図を見ていただきました。昭和3年刊の「東海道パノラマ地図」は清水吉康による鳥観図(裏面が浮世絵師・菱川師宣の東海道分間絵図)は折本形式の装丁が、江戸期の道中絵図を思わせます。昭和初めの大阪城天守閣復興にちなんだ「大阪城旧之図」も鳥観図(原画は円山応挙)。

昭和4年の「大大阪市街全図」に見る大阪市中は今と地形が異なる場所がいっぱい。古い浪花の記憶の色濃い昭和前期の地図から戦後まもない1930年代の地図まで、市街地が劇的に改造され、地図の描き方も大きく変わっていったのがわかります。街が変われば、もちろん、そこに住む人の意識も変わってくるわけで、そのへんをいろいろと想像させてくれるのが古地図の楽しさです。

今回の展示で最も年代が新しい昭和45年当時の「大阪市施設交通案内図」なども、他の図と比較してはじめて、この時期に施設・交通が主役の地図が発行された背景が見えてきます。

来会者の中でお二人が、昭和の東区の詳細な市街図を持参してくださったのも、場を大いに盛り上げてくれました。東区は平成元年に南区と合併し、今の中央区になりました。中央区の誕生についても、来会者それぞれに思うところがあって、話題は尽きません。

都構想の住民投票が近いということで、関西テレビの報道記者が来会され、区の変遷について少しお話しました。明治以来およそ150年間かけて、大阪市は現在の24区制になりました。どの区も大きな時代の流れの中で生まれ、150年間のどこかの時点で、大阪の歴史をつくる役割を果たしてきました。区の名前ひとつとっても、それぞれに由来があります。歴史を抜きにした議論は成り立たないと思いますし、行政区画と経済の関係についても現状の議論に疑問を感じます。そんな中で実施される都構想の住民投票。私は大阪府民で投票権がないのですが、結果には大いに注目しています。

この日は、前回のレポートで紹介した天保14年の古地球儀のレプリカ(写真)も展示し、好評でした。ご提供いただいた所蔵者の飯塚修三氏に御礼申し上げます。

というわけで、次回のサロンも昭和の古地図(後編)をテーマに開催します。昭和の伊能忠敬と呼ばれた鳥観図絵師・井沢元晴(古地図ギャラリー参照)の残した作品もご紹介します。

皆さまとまたサロンでお会いできるのを楽しみにしております。

・今回のサロン古地図
《原図》
「東海道パノラマ地図」作・清水吉康 昭和3年(1928)
「最新大大阪市街全図」昭和4年(1929)
「大大阪区勢地図・最新の北区」昭和13年(1938)
「最新大阪市街地図」昭和31年(1956)
「大阪市施設交通案内図」昭和45年頃(1970)
「大阪城旧之図」写・林基晴(筆・円山応挙)昭和6年(1931)
「大阪城旧之図」発行・福島豊次郎(筆・円山応挙)大正11年(1922)
「改正新版大阪市街新図 明治中期

《復刻》
「大阪市街新地図」大正13年(1924)

《特別展示》
天保14年の古地球儀(レプリカ)西宮市いいづか眼科:飯塚修三氏所蔵

◉次回は11/27(金)15:00~17:00

会場は大阪ガスビル1階カフェにて開催。私の30分トークは16:00時頃からです。テーマは「昭和の地図」。サロン参加は無料(ただしカフェで1オーダーが必要)。途中参加・退出OK。必ずマスク着用のこと。年内は11/27(金)にも開催予定。新型コロナウィルスの状況によって中止になる場合は、この場で事前にお知らせいたします。

★2021年もサロンは続きます! 奇数月の第4金曜日に開催予定です。

■最近の主な古地図活動

●朝日カルチャーセンター中之島での講座

古地図とともに大阪の区をめぐる「古地図地名物語」の第2期講座(7~8月)終了。7月24日「北区」、8月28日「大淀区(現・北区)」、9月25日「福島区」がテーマでした。

『図典「摂津名所図会」を読む』『図典「大和名所図会」を読む』の出版記念講座「奈良から大阪へ、謎解き名所の旅」も10月5日(月)に終了しました。

2020年秋~2021年初春は、以下の2講座を予定しています。
(1)「大阪古地図むかし案内」町歩き講座
10月26日・11月9日午前10~12時、阿倍野の熊野街道をテーマに教室講座と街歩き・計2回

(2)「古地図地名物語」第3期講座
2021年1月22日(金)、2月26日(金)、3月26日(金)に実施します。テーマは上町台地西側の「西区」「浪速区」「西成区」です。

問い合わせ/06-6222-5222または朝日カルチャーセンター中之島で検索

●「島民」9月号・「水都」特集に寄稿

7ページにわたって執筆。中之島はいかにして水都大阪の顔になったのか。大正~昭和の古地図を題材に1960年代にクローズアップされた新たな中之島イメージを紹介。

●出版関連

ナカノシマ大学での連続講座、大阪24区物語の書籍化に向けて、ようやく編集作業がはじまりました。諸事情によりお待たせしていましたが、来春には、140Bから刊行の予定です。

|古地図ギャラリー|

1.ブレッテ 1734年のパリ鳥観図
(東畑建築事務所「清林文庫」の古地図コレクションより)

前回の古地図サロンに来訪された東畑建築事務所(大阪市中央区)を8~9月にかけて2度訪問しました。来訪時にお聞きした同事務所が所蔵する「清林文庫」を拝見。世界有数の稀覯本コレクションには、国内外の古地図も多数含まれています。所蔵品を収めた書架が並ぶ姿は圧巻。多くの方に、その一端を知っていただきたく、同事務所のご協力のもと、ささやかですが、このコーナーで公開のお手伝いをしたいと思います。

写真は「ブレッテ 1734年のパリ鳥観図」より、セーヌ川沿い市街の見開き図、シテ島に架かる橋ポン・ヌフ周辺の部分図。同書はパリ市街を区分した鳥観図をまとめて書籍化したもの。表紙写真の風格ある装丁が、時代を感じさせます。

18世紀は欧州各国で鳥観図が流行し、繁栄する大都市が格好の題材になりました。パリ全市街を網羅したブレッテの鳥瞰図集は、巨大な風景を細部まで見尽くす視覚の楽しみ追求の所産。作成にかけであろう膨大な労力が、時代の熱気の沸騰ぶりを物語ります。部分図でしかお見せできないのが残念。次回もコレクションの一部をご紹介したいと思います。

 

☆東畑建築事務所「清林文庫」
同事務所の創設者東畑謙三が蒐集した世界の芸術・文化に関する稀覯本、約15,000冊を所蔵。建築・美術工芸・絵画・彫刻・考古学・地誌など分野は幅広く、世界有数の稀覯本コレクションとして知られる。古地図に関してもメルカトル「世界地図帳」(ラテン語阪)をはじめ国内外の書籍、原図など多数を収め、その価値は高い。「清林文庫」のコレクションは、2020年10月24・25日開催の「生きた建築ミュージアム フェスティバル大阪」で一部がオンライン公開される予定。

 

2.ふたつの飛鳥と京阪奈(鳥観図絵師・井沢元晴の原画より)

日本各地を歩きめぐり、郷土の風景と街の営みを目に焼きつけ、その成果を多くの鳥観図に実らせた絵師がいます。昭和の伊能忠敬と呼ばれた神戸生まれの鳥観図絵師・井沢元晴です。亡くなられて30年が経った今、残念ながら、その業績を知る人は少なくなりました。このブログが結んだ縁で、ご遺族から連絡をいただき、先日、残された貴重な原画を拝見する機会を得たのは幸運というしかありません。

以前、サロンで展示した「古京飛鳥」も、緑豊かな風土を歴史の彩りとともに味わい深く描いていたのが印象的でしたが、原画の迫力は別格でした。山々と河川の合間で育まれたそれぞれの郷土の美をありのままに伝えようとした強い意志が、どの原画にもあふれています。魅力の一端をブログ読者に知っていただくために、ご遺族の了解を得て、この場で一部を公開します。

今回は「ふたつの飛鳥と京阪奈」の原画の部分図3点(大阪・近つ飛鳥/古京飛鳥/京都・宇治・琵琶湖)をご覧いただきます。ふたつの飛鳥とは、近つ飛鳥、古京飛鳥をさし、円熟期の井沢元晴が好んで描いた題材でした。部分図からも、原画の広大なスケールを想像していただけることでしょう。次回もご期待ください。

 

 

 

 

 

 

 

☆鳥観図絵師・井沢元晴
大正4年、神戸市生まれ。戦中の従軍で任務として鳥瞰図を作成。戦友のほとんどが戦死したなか、九死に一生を得て復員。生き残った者の務めを果たしたいとの思いから、郷土を描き、子供たちに夢を持たせる鳥観図絵師を志す。各地を自転車で旅した40年間に「わたしたちの郷土地図」と題して多くの鳥観図を描き、新聞、テレビなどで「昭和の伊能忠敬」として、たびたび紹介された。原爆投下直後の爆心地を描いた画集を昭和45年に広島平和記念館に寄贈。飛鳥、吉備路、平泉など歴史の地を訪ねた鳥観図では、独自の境地を開拓するなど評価は高まり、昭和51年には吉川英治賞の候補にも挙げられた。平成2年永眠。