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「安心させてくれる編集者」江部拓弥さんのこと

担当/中島 淳

この仕事をはじめてもう40年になる。雑誌・書籍を問わず全国の出版関係者にはひとかたならぬお世話になってきたが、その中で江部拓弥(えべ・たくや)という編集者は「お世話になっている」という以上に、「いてくれて有り難かった」「見習えないけど見習いたい」という意味でリスペクトしている人である。

4月21日(金)のナカノシマ大学にはその江部さんが『あまから手帖』の編集長として登壇する。お題は「“おいしい”の向こう側を知りたい」。

「グルメ」とは違う世界を追い求める

 

dancyu編集長に就任して最初の2013年1月号。「シズル感のある料理の表紙」を変えた

江部さんと出会ったのは、人物をフィーチャーしたビジネス誌の『プレジデント』から食のエンターテイメント誌『dancyu』に彼が異動してまだ間もない頃(本人によると食に興味がなかったのでそれなら会社を辞める、と言っていたらしい)、江弘毅が同誌の焼肉特集で鶴橋を取材したことがきっかけだったと思う。

鶴橋の取材現場に立ち会い、かつ堂島浜の古河大阪ビルにあった140Bにもわざわざ訪ねてくれて、「エラい腰の低い、愛想のええ人やなぁ」と思ったのをよく覚えている。「商売っ気」で腰が低かったり愛想が良かったりする人もたまにいるが、江部さんはそうではなく相手を武装解除させる魅力があった。

2012年の秋にその江部さんがdancyuの編集長になった時には「そらそやろ」と思ったが、それだけではなく雑誌の佇まいまでガラリと変わった。「デザインと写真」を徹底的に見直したという。

その結果、低迷していたdancyuの部数は大きく伸び、編集長を植野広生(こうせい)さんにバトンタッチした後も人気が続いている。

バッキー井上が名実ともに「全国区」に

 

江部さんの編集長在任中に京都の酒場ライター、バッキー井上の連載がはじまったのも大きな変化だった。

dancyuの連載が大半を占める『いっとかなあかん店 京都』

『Meets Regional』の創刊(1989年)以来ロングランで続いている連載とは趣が違っていたが、内容は書き手の京都への想いがより凝縮された印象で、文章に添えられる打田浩一さん(マンペイさん・故人)の写真がまた魅力的だった。

毎月、錦市場を通り抜ける季節の匂いが漂ってくるような誌面は、平松洋子や小山薫堂の連載に引けを取らない佇まいで、いつもページの真ん中あたりに割り付けられた。

dancyuを買う用事がないときも、バッキーの連載を立ち読みしに本屋さんに寄ったりした。

店という現場で汗を流したことの財産

 

江部さんがdancyuの編集長を下りた後、dancyu WEBの立ち上げに奔走していた中でどうしてもやりたかったのが「店で働くこと」であったらしい。

食の雑誌を作っていていつも引っかかっていたのが、「一度だけロケハン(下見)に行って、店に頼んで取材してページになって、それだけでいいのか?」。そのことが原動力になって、福岡市中央区赤坂の[珈琲美美]や佐渡の酒蔵[尾畑酒造]、バッキーが店主を務める京都の漬物店[錦・高倉屋]で、それぞれ1週間から1カ月ほど働いたそうだ。

この経験を通じて江部さんは、「店のことなんか、何もわかっていなかった」という想いに至り、仕事のあり方を全面的に見直すようになったという。

そして大阪で『あまから手帖』に

 

先ほど、江部さんはdancyuに異動が決まった際に「辞めます」と言っていたと書いたが、それでもプレジデント社には江部さんを贔屓にする上司がいて、彼のことを何かと目をかけて引き止めていたという。江部さんはdancyuの編集部に移っても「グルメ業界人」っぽくはならなかった。それを見ていた上司はdancyuの部数が頭打ちになった時にすかさず、「誌面を劇的に変えられるとしたら江部しかいない」と彼を編集長に推薦したのである。

『あまから手帖』にも同じ考えの人がいたのだろう。同誌は昭和59年(1984)の創刊。版元は創刊時の京阪神エルマガジン社から何度か変わったが(現在はクリエテ関西発行)、来年で40年になる老舗雑誌が、関西で生活したことがない人に初めて編集長を託すというのは冒険だったはずだ。でもええとこを突いていると思う。

目に鮮やかな「残像」として残る4つの表紙

リニューアルしてもう4冊が刊行された『あまから手帖』の評判を、天神橋筋商店街[西日本書店]の槌賀啓二店長に聞いた。

「最初は表紙に驚きましたけど、時間をかけて読めるようになったのがうれしいですね。お客さんからも好評だし。もうちょっと号が出たら、バックナンバーをまとめて目立つところに置こうかなと思っています」

日本の雑誌販売金額は、1997年の1兆5644億円をピークに、2022年は4,795億円にまで落ち込んだ。

かつての超人気業界は、25年前の3分の1以下に縮小した斜陽産業であるが、江部さんはきっと「市場規模」とか「前年対比」とか関係ないところで雑誌を作っているはずだ。作る人たちが魅力的で内容がおもしろかったら雑誌は売れる。

何よりも、江部さんみたいな人が飲食店の客だったら、店主はきっと「ずっとウチの常連さんでいてくれたらいいな」と思うだろうから。

2017年1月、江部さんの出身地・新潟県のイベントでゲスト出演してくれた(新潟県観光協会大阪事務所提供)

江部さんが登壇するナカノシマ大学の4月21日(金)は、偶然にも『あまから手帖』5月号の発売日と重なった。当日は会場である大阪府立中之島図書館のミュージアムショップで、写真のバックナンバーを含めて最新号(京都特集)も販売します。

バッキー井上もこの号で、移転した[京都サンボア]のことを寄稿している。

「メールとか電話とかなしに、江部さんいきなり[高倉屋]にやって来てなぁ、『京都特集で書くことないですか』言うねん」。まず現場に、というこの編集者らしい。

表題の「安心させてくれる」というのはバッキーの江部さん評であるが、同感である。

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