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スポーツの魅力を「言葉」で語れる人・平尾剛さん

担当/中島 淳

平尾剛(ひらお・つよし)さんの新刊『スポーツ3.0』の発売前夜となるオンライントークイベント(9月8日開催)を、砂かぶりの特等席で見せていただいた。

平尾さん(右)と、編集者でミシマ社代表の三島邦弘さん。2人とも1975年生まれの同い年

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平尾さんは神戸製鋼コベルコスティーラーズではウィング(WTB)とフルバック(FB)で活躍し、ウェールズなどで開催された「ラグビーワールドカップ1999」では日本代表として活躍。身長2m・体重100㎏ある外国選手の強烈な当たりや数々のずる賢いプレーに体を張って対抗してきた人である。そんな人からナマで話が聞けるなんてめったにないことだ。

それ以上に平尾さんの話に価値があると思うのは、引退後「スポーツ教育者」となって大学で教鞭をとる傍ら、「社会的に弱い人間を顧みない、問題だらけの東京五輪は中止するべし」など、常に堂々と社会に発言してきたからである。

「爽やかな体育会系」というのは、スポーツ団体を牛耳るエラいさんにとっては得てして「従順で使いでのある人間」として利用されることが多いのだが(JOCの会長がまさにそれですわな)、平尾さんは「爽やかでナイスガイのアスリート」ではあっても、「アカンもんはアカン」と声を出す人で、筆者は常にリスペクトしている。

その平尾さんが9/28(木)のナカノシマ大学に講師として登壇するので、真っ当かつ分かりやすくてオモロい「平尾トーク」をひと足お先に浴びておきたいという手前勝手な目的で京都にお邪魔する。

会場は京都御苑の東側にあるミシマ社の和室。日が落ちるといち早くひんやりした秋を感じられるロケーションの一軒家というのも実にうらやましい。ほっこりした空間で、平尾さんも聞き手の三島さんもリラックスした空気の中でトークがはじまった。

審判と協力して「いい試合」になるようプレーするのがラグビーの選手

将棋の名人戦中継みたいな感じがしないでも(笑)。背中はミシマ社の角智春さん(左)、山田真生さん

 

ラグビーワールドカップ2023フランスが開幕目前だったので、ラグビー観戦の魅力を。とくに審判(レフェリー)の役割とレフェリーに対する選手に関わり方について、興味深いことを話してくれた。

「日本の警察って、停止線のところで隠れて待ち伏せしていたりするでしょ。ラグビーの審判はそれと真逆ですわ」

どういうことなのだろうか。

「レフェリーは、判定者ではなく『指揮者でありデザイナー』なんです。いい試合に持っていけるように常に選手とコミュニケーションを取って、『そこから前でプレーしたらペナルティやで、出たらアカンで〜』と注意して反則でゲームが途切れないようにする」

たしかに笛ばっかり吹かれてその都度ゲームが中断してたら観るのはしんどい。「反則を未然に防ぐ」というのも審判の役割というのは目からウロコである。同時に

「ブレイクダウン(ボールの争奪戦)の攻防になった時に、密集に正面から入らないで斜めから入るとオフサイドを取るレフェリーと、それは流すレフェリーがいます」

そのあたりはかなり低めでもストライクを取る人、取らない人という野球の審判に似ている。

「斜めから入ってペナルティにされて文句を言う選手は子ども。大人のチームはその時点で審判のクセを見抜いて、『こっから入ると笛を吹かれるからもう少し正面から入ろう』と修正して次に備えます。手練れの選手は細かく、『いまのは角度が横すぎたんですかね』と確認して、できるだけ審判と話そうとする」

そんな審判や選手の動きも頭におきつつラグビーを見ると確かにおもしろくなる。「クレバー」だと言われる選手はさすがによく審判と話しているよなぁ。

平尾さんはこのほかラグビーワールドカップ観戦の思い出として、「敵味方のサポーターが肩組んで記念撮影するなんて、野球やサッカーでは考えられないでしょ。アレは両者の間に『ええ試合を観に来た同士』だという連帯感があるんですよ」と言うと、三島さんは驚いて、ミシマ社の地元・京都パープルサンガの応援に行った日のことを話してくれた。

「サンガのユニフォームで飲み物を買いに行ったら、係員から『ここから先は相手チームのサポーターがいるのでそれを脱いでください』と言われたんですよ」

Jリーグでもよく一触即発状態からサポーター同士が衝突してケガ人まで出る事件になることがあるが、そういう点でもラグビーは観客席の中に「敵味方のテリトリー」というのがない。同じブロックに対戦相手のサポーター同士が共存するのはぜんぜん普通なので、「スポーツ観戦に来たんだから、敵味方を超えて楽しめよ」と平尾さんではなくとも言いたくなる。

「ド下手なオッサンが楽しんで競技を続けている国」に学ぼう

 

このほか、日本の部活スポーツの問題点として平尾さんは「補欠というのをなくしたいですね。どんなレベルの選手でも、それに応じた形でたくさん試合ができるような方向に舵を切ることが、スポーツの豊かな国になる道だと思います」と。

野球マンガにもよく登場する、「一軍がバッティング練習をしている外野の奥で、球拾いと声出しだけをしている、背番号のない薄汚れたユニフォームの二軍三軍」というアレですな。たしかにそれも「青春の1ページ」かもしれんが、ボールゲームは試合をしてみないとその楽しさが分からない。なのに彼らは試合ができない。

平尾さんは著書の中で、元プロサッカー選手の中野遼太郎さんの言葉を紹介している。

「日本にサッカー文化が根づかないのは『めっちゃ楽しそうにサッカーをする、死ぬほどサッカーが下手なおっさん』がいないからではないかという」

そして

「つまり育成年代の子供たちは、プロ選手になれなくてもサッカーを楽しめる道が他にあること、そうして生涯にわたって続けられる安心感を、このおっさんたちから学んでいるのではないか」(平尾剛『スポーツ3.0』より)

トークイベントの中でも、「下手でもガハハと笑って一生続けられるスポーツ」の大事さが何よりも盛り上がった。体を動かしてチームでプレーするのは楽しいものだから、本当は。「やったことがないことをするとワクワクする、というのがスポーツの一番大事なところだから、生活全般がスポーツですよ」という平尾さんの言葉には、かなり考えさせられた。

「ケガを押して試合に出るのを『美談』とするような悪しき風潮はヤメましょう」同感です

「金メダル」や「世界一」を取った時はメディアが総動員で盛り上がるわが国のスポーツだけど、日常生活ではどうなんやろか? スポーツというと「死ぬほどサッカーが下手なおっさんが楽しそうにやる」姿よりも、「前回りができなくて恥ずかしかった体育の授業」を思い出してしまう。でもスポーツには、「落ちこぼれ」や「補欠」というものとはぜんぜん違うところに楽しさがあるはずだ。

平尾さんの言葉は、そんな「呪縛」を解いてくれるヒントになる。ちなみに、著書『スポーツ3.0』は9/15(金)にいよいよ発売です。

9/28(木)ナカノシマ大学の会場でも販売しますよ。