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人に伝えたくなる「料理研究家・小林カツ代さん」のこと

担当/中島 淳

12月16日(土)のナカノシマ大学では、料理研究家・小林カツ代さん(1937〜2014)の凄さ、非凡さ、おもしろさをたっぷりと取り上げたいと思っている。

それはカツ代さんがこの1月で「没後10周年」を迎えるというのもあるが、生まれも育ちも大阪の人だし(だとご存じない人も結構いる)、大阪の街の歴史を体現しているような彼女の人生がほんまに「掘り甲斐のある」ヒストリーなので、「そんなにおもしろい話ならみなさんに聞いてもらわんと」ということで今回、講座開催になった次第。

カツ代さんは昭和12年(1937)生まれ。美空ひばりや加山雄三、阿久悠、ジェーン・フォンダと同い年である。現在は大阪市立中央図書館のある西区北堀江(当時は御池通=みいけどおり=という地名)の、製菓材料卸商の末娘として誕生した。

「美味しいもの好き」と「人を差別しない」以外は性格も家庭環境も正反対の両親から優しく見守られるように育った生い立ちや、少女時代に大阪大空襲で疎開した堺市百舌鳥の「筒井家」での生活が気に入って(「裏山」だった同じ敷地内の御廟表塚〈ごびょうおもてづか〉古墳が遊び場だった)、一家が大阪に転居した後も堺市立百舌鳥小学校に卒業まで通学したこと、マンガに夢中になって手塚治虫から「将来は必ずマンガ家になりなさい」と手紙をもらい、短大卒業後に専業主婦になってからも漫画学校に通ったこと、お昼のワイドショーを観て「つまらないからお料理のコーナーを新設しては?」とテレビ局に投書したところ「すぐに会いたい」と言われ、「カツ代さんがテレビでお料理を作ってください」と無茶振りされてそれが料理研究家のスタートとなったこと……人生これ、エピソードの宝庫のような人と言ってもいい。

この本はナカノシマ大学当日、大阪府立中之島図書館ミュージアムショップで販売

今回のナカノシマ大学の講師は、ノンフィクションライターの中原一歩さん(1977〜)。『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』(文春文庫)の著者で、政治・経済から街や名店の話まで実に幅広いフィールドで雑誌やWEBに頻繁に寄稿している。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)や『マグロの最高峰』(NHK出版新書)などの力作がある。

中原さんが小林カツ代に会ったのは彼がまだ二十歳の頃。

『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』は、1990年代の後半に「ピースボート」のスタッフだった中原さんが、「料理の鉄人」で鉄人・陳建一を破ってますます忙しくなり、分刻みのスケジュールをこなしていた超売れっ子の料理研究家のカツ代さんに電話をするところからはじまる。

「もしもし、突然なんですけどお正月に船上のキッチンで黒豆を炊いてもらえないでしょうか。そうです。黒豆です。作る場所は海外です。成田から飛行機に乗ってもらって、ビューっと。二十時間ぐらいかな。そこから船に乗って。あっそうそう。船といっても、クイーン・エリザベス号とか豪華客船じゃないですよ。えっ、ギャラですか。ギャラはなくてボランティアでお願いします」

カツ代さんは「無茶振りされやすい人」なのだろうか?

筆者は、この偉大な料理研究家には映像や著書でしかお目にかかったことがない。が、たぶん彼女は子供の頃から「おもしろそうなこと」に対して直感で反応する人であったのだろう。案の定、会ったこともない青年からの、すぐ電話を切られてもおかしくない依頼に対して

ところが耳を疑ったのは私のほうだった。カツ代さんは、話が終わるか終わらないかのうちに何の躊躇もなく、こう態度を表明した。

「面白いわね、私、行くわ」

中原さんのリクエストを承諾した、この後のカツ代さんと中原さんのインド洋上での顛末は、『小林カツ代伝』でたっぷり楽しんでいただきたいが(ドラマにしたらホンマにおもろいと思う)、筆者はカツ代さんが単に「おもしろそうな話だから乗った」だけではなかったのではないか……と思った。

それで、筆者が連載をしているOsakaMetroの沿線PR誌『Metrono』で小林カツ代さんのことを書くにあたって、『小林カツ代伝』の著者である中原一歩さんから話を聞きたいと思い、お世話になっている文藝春秋の方に紹介をお願いし、お会いすることができた。

『Metrono』Vol.3(2023年11月10日発行)は現在OsakaMetro全駅や大阪シティバスのターミナルで配架中(p9「あの人がいた場所。」)

思ったとおり、とても声のいい人だった。

人に何かお願いごとをする際には、手紙もあるしメールもあるし、いまならSNSもある。

電話は、こちらが「出るタイミングかどうか」はお構いなしにかかってくるリスクの高いコミュニケーションツールだけど、「相手の声を聞くと信頼すべき人間かどうかがなんとなく分かる」というツールでもある。

力強くて歯切れのいい中原さんの受け答えを聞きながら思ったのは「この声で頼まれたらなかなかイヤとは言われへんやろなぁ」。

カツ代さんの直感は正しかったと思うし(彼女が亡くなるまで友人としての付き合いが続いた)、メールではなくいきなり電話をした中原さんの読みは正しかったと思う。

……そんなことを考えながら、筆者も初対面でありながら中原さんに無茶振りしてしまった。

「ナカノシマ大学で、小林カツ代さんのことを話してもらえませんか?」

12月16日(土)は、それに応えて東京から来阪していただける。

お題は「大阪が生んだ不世出の料理家・小林カツ代は生きている」。

カツ代さんファン、料理好きの方、そして大阪の歴史や人物のエピソードが何よりも好きな人、請うご期待です!