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小林カツ代さんの弟子、本田明子さんも来場

担当/中島 淳

『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る(以下、カツ代伝)』(文春文庫)の著者でノンフィクションライターの中原一歩さんが登壇する12月16日(土)のナカノシマ大学「大阪が生んだ不世出の料理家・小林カツ代は生きている」に、カツ代さんの弟子で、『カツ代伝』にも度々登場する料理研究家の本田明子さんも来場されることになった。

買い出し→調理準備→リハーサル→オンエアが終わってへとへとになった本田さんの最後のシーンだけ撮りました(すんません)。NHK+でも観られます

本田さんはNHK「きょうの料理」の講師の一人であり、11月3日(祝)に放映された「きょうの料理〜65年続けたらギネス世界記録に認定されましたSP」では、食材の買い出しから食器、調理器具を持参してスタジオ入り、リハーサルであれやこれやのダメ出しや改善点が入って、それを踏まえてオンエア……という超ハードコア密着取材にも登場されている。

「きょうの料理」でテレビに映っていないところでの、カメラマンや調整室の人々、調理助手のみなさんたちの秒単位の苦労が見えて大変面白かったので、見逃した方はぜひ再放送(大晦日の夕方)をご覧になってほしい。

本田さんが小林カツ代さんの門を叩いたのは1982年。この当時のことを中原さんは『カツ代伝』でこのように書いている。

カツ代が『きょうの料理』で披露したのは『うなぎの炊き込みご飯』、乱切りカボチャを胡麻油で炒めた後に醤油、みりん、砂糖で煮る『カボチャの炒め煮』、キュウリ、わかめ、油揚げをお酢で和えた『三色あえ』、熱々の揚げ鶏を、熱いうちに甘酢にジュッと漬ける『揚げ鶏の甘酢がけ』、青じそとパセリの香りが爽やかな『しそのスパゲッティ』など。弟子の本田明子がカツ代の門を叩いたのも、このNHKの放送を見たことがきっかけだった。

『うなぎ一匹で、家族四人で堪能できる。これには驚きました。全く新しいうなぎ料理の提案だったからです。この炊き込みご飯は、スーパーなどで売っているうなぎの食べ方としては、別格のおいしさでした。それまでうなぎといえば、鰻丼のするものと思っていましたから』」(『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』より)

前述の「きょうの料理〜65年続けたら世界記録に認定されましたSP」での、1980年代の蔵出し映像。小林カツ代さんを一気にメジャーにした「20分で晩ごはん」のコーナー

本田さんは高校時代、『小林カツ代のらくらくクッキング』(1980年・文化出版局)に出会う。

それまでは料理を作ってもどこか失敗したり上手く行かなかったりしていたのだが、この本の通り作ってみたら「私は天才だろうか!?」と思ったほど美味しくできたそうだ。「たぶんそういう読者さんは多かったのでは」(本田さん)

本田さんの住む東久留米市には、その「小林カツ代料理教室」があった。短大卒業後の就職先は最大手の証券会社に内定していたが、「この人に弟子入りしたい」という気持ちが高まってくる。でもカツ代さんは「私は弟子はとらない」。それが思わぬところから扉が開く。

うちにね、アコちゃんというゆかいな弟子がいるのですが、だいたい私は弟子をとらない主義だったのに、知り合いの人にたのまれて、会うだけ会いましょうということになったのです。うちへはじめてアコがきた日、マナ(猫)がソファーで寝そべっていました。

彼女、入ってくるなり、あいさつもそこそこに、『アラー、ねこォ!』というなりだきあげました。それを見て、弟子はとらない主義なんか、ふわーっとどこかへいってしまい、『うん、いいよ』

かくてアコはその日から毎日わが家へ」(1984年・小林カツ代『虹色のフライパン』)

この時、「小林カツ代料理教室」に飼い猫のマナがいなかったら、本田明子さんは「きょうの料理」65周年記念番組に出演されるどころか料理研究家にもならず、某大手証券会社で女性役員になっていたかもしれない。

こちらも「きょうの料理〜65年続けたら世界記録に認定されましたSP」で紹介されていた素敵なツーショット。表情が素敵です

そういう意味で、人の運命というのはおもしろいし、小林カツ代さんには「話したくなるエピソード」が多い。

当日は、本田明子さんだけでなく、カツ代さんの姪の浅野貴子さんと、娘のわかなさんも来場されるそうで、カツ代さんファンはぜひお越しいただければと思う。

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