大阪・京都・神戸 街をよく知るからこそできる出版物&オリジナルメディアづくり
ええ意味で疲れた!『こんだあきこの わたしの偏愛遺跡旅』

担当/中島 淳

4.12(金)のナカノシマ大学に登壇する譽田亜紀子さんの新刊『こんだあきこの わたしの偏愛遺跡旅』(新泉社)を拝読。

2024年4月上旬発売。一部の書店ではすでに並んでます。1,980円(税込)

自分自身が、遺跡のある土地の自然や大気を浴びながら旅したようで、ええ意味でへとへとに疲れました。

北海道を除く各地に点在する古代遺跡を訪ねる旅が章立てになっていて、ロードムービーの感がある。縄文・弥生・古墳時代の遺跡が主だが、その前後、旧石器時代のサキタリ洞遺跡(沖縄県)や戦国時代の八王子城跡(東京都)まで全部で18章とバラエティ感がすごい。

なかでも世界遺産となった秋田県のストーンサークル(伊勢堂岱遺跡)は前編・後編の2本立て。「日本にもこんな場所があるのか」「これは死ぬまでに一度行かなアカンな」という感を強くした。

古代遺跡の場所は一部を除くと交通至便ではないし、歩く距離や高度差なども半端ではない。翌朝は常に筋肉痛に襲われたことだろう。

行間から、現地の空気の重さ軽さや湿気、臭い(匂いでなくて)まで伝わってくる。千葉市の・加曽利貝塚「北貝塚貝層断面施設」を訪れた章では、実際に積み上げられた約4,000年前の貝がいまなお臭っている訳でもないのに、譽田さんは想像力を駆使してずんずん書く。「臭ったほうがええんか!?」と言いたくなるほどである。

「ただの貝が積み重なっているだけなのに、こんなにもぐるぐると脳内をかき乱される。2メートルの積み重なりに、彼らの生きることへの執念を感じ、おののいていたのかもしれない。そして施設から出てふと思った。これ、当時は相当に臭ったんじゃあるまいか。」(第15章・加曽利貝塚)

写真で見るよりもおぞましさが増幅されるくだりだけど、譽田さんは逆にこう言って締める。

「この臭いがあるからこそわが集落。臭いはアンデンティティ」

それだけでは終わらない。縄文人たちの食生活を追体験しようと、翌日には木更津まで「貝採り」に出かけ、たっぷり採れたイボサキゴ(実際に貝塚に積み上げられていた直径2センチほどの貝)を土器鍋を使って「イボサキゴ汁」にして飲む。うまい!と唸り、縄文人の生命力にひたすら敬服していた。

こんな感じで譽田さんはどの場所を訪れても、遺跡で暮らしていた先人の営みに(若干の狂気を感じつつも)敬意を払い、懐かしい知り合いに話しかけるように、その時代に生きた暮らしのありようを書き綴っている。

海岸沿いに内陸そして沖縄本島。「偏愛」という言葉が実感できる

本文には富士山が何度も登場する。静岡から関東の人には珍しくもなんともないはずだが、先史時代の遺跡と「富士山」の組み合わせが新鮮、というか違和感があった。

しかし普通に考えたら縄文や弥生、古墳時代の人たちだって富士山を見て当たり前のように「ありがたいなぁ」と思っていたのだ。

逆に言うとそれだけ、百人一首(田子の浦に〜)や北斎、広重、横山大観などの絵で刷り込まれた「富士山のイメージ」にガキの頃から囚われていたんだなということが分かった。

譽田さんも「西日本に長く暮らしたわたしにとって、富士山は新幹線のなかから見るもの。」(第13章・三浦半島海蝕洞窟遺跡)と書いている。

この本は、譽田さんが古代を深掘りして訪ねる旅であり、同時に彼女が「かつて抱いていた偏見から自由になる旅」でもあることを、読者は読み進むうちにだんだん発見する。

あのパッション溢れるスタンディングの講演は、遺跡で先人から受けたパワーが源になっているのだということも、この本を読むことで改めて知った。

子ども時代に読んでいたら、きっと人生変わったと思いますわ。小学生にも勧めたい。

ナカノシマ大学当日には、『知られざるマヤ文明ライフ』(誠文堂新光社)と共に会場で販売するので、どうぞお楽しみに!

譽田さんは江弘毅のうまいもんの本も一緒に取材したぐらいだから、もちろん店好き酒好き美味いもん好きです。遺跡取材から帰ってきたら、カウンターでゴキゲンにやってはります(日本経済新聞2023年11月1日「焼酎特集」)