2025年8月29日、この日私は「BOOK’N BOOTH」(ブッキンブース)という本屋を開業しました。
開業までの道のり、開業後の茨の道のりを、実録で、忖度なしで、この連載ではお届けします。またまた盛っちゃって、とか、そこまで言わなくても、と思われる個所もあると思いますが、全て本当のことなんです。お気に障る箇所があるかもしれませんが、そこはすらっと流して頂ければありがたいです。
本業は社会保険労務士という、あまり皆さまに馴染みのない仕事をしています。事務所を開業して5年目、スタッフは5名(全員女性で子育て世代)、お客さまも毎年増え、ありがたいことに会社の経営としては順調に推移しています。
このように本屋とあまり関係のないような仕事をしている私が、なぜ本屋を開業することになったのか。周囲の方に一番よく聞かれる質問です。その答えとして、まずは私の経歴からお話いたします。
1996年4月、ジュンク堂書店京都店に入社・配属されました。昔から本を読むことは好きだったんですが本を売ることには興味がなく、学生時代就活を始める前までは書店で働く、ということは全く考えていませんでした。ところが、まさかの就職氷河期(今となれば時代ですが)が到来、少し前まで先輩たちがバブルに浮かれている姿を見せられていた私たちに、衝撃の就職難がやってきました。
なんとなくで就職先を決めようと思っていたちゃらんぽらんな自分が、初めて「どんな仕事をしたいのか」と向き合うことになり、そこで候補に挙がってきたのが書店。自分は本を読むことが好き、ということは、本に囲まれた生活が楽しいのではないか、と今から思えばあまりに甘い熟考の末、いくつかの書店で就職試験を受け、無事ジュンク堂書店に合格して働くことになりました。
ジュンク堂書店を選んだのは、学生時代に教授の指定する本があまりにも専門的で、どこで買ったらいいのかを友人に聞くと、四条にあるジュンク堂書店ならあると思う、と教えてもらってから足しげく通っておりました。田舎者の私にはジュンク堂書店には奇跡的な蔵書量があり、しかもいつも私の意味の分からない問いにもスタッフさんがしっかり答えて本を探してくれていたため、私にとっては「紳士的」としか言いようのない素晴らしい書店のイメージでした。
京都店に配属になったのは、通っていた大学が京都にあり、当時京都に住んでいたからだと思います。女子大時代を経ての夢の就職先。どんな素敵な先輩たちに仕事を教えてもらえるんだろう、とわくわく感いっぱいの初日。ジュンク堂書店は専門書を豊富に取り扱う書店、ということで、担当するジャンル(担当分野)はなんだろうと目と心をキラキラさせながら出社しました。
担当ジャンルは文芸書。当時、文芸書は多くの売れ筋作品や作家を抱えていて、花形のジャンルと呼ばれていました。私も小説が大好きだったので、よし、頑張るぞ、と握りこぶし! これからの書店人生はきっと「華やかで楽しい日々」だと信じて疑いませんでした。しかも就職前のイメージは「紳士的」、間違いなくスマートな社会人生活が待っているはずだったんです。
もちろんそうは問屋が卸しません。そうです、ジュンク堂書店で働く書店員の個性の豊かさ(と奇妙さ)に驚かされる毎日が入社早々にやってきたのです。
文芸書の上司であったSさんは毎日てきぱきと業務をこなし、動きも思考も早いしちょっと怖い! 人文書担当のFさんは当時36歳だったにも関わらず60歳くらいの渋みを出し、頭が良い上に早口なので何を言っているのかわからない! 理工書担当のHさんはいろいろなことに興味がありそれをとことん追求していて、なかでも高校野球のことになると目の色が変わりそんじょそこらの解説者なんか顔負けの激白ぶり! そんな先輩たちが他にもいっぱいいて、気がつけばそんな先輩たちといつも一緒につるんでいるという日々を送っておりました。
ジュンク堂書店京都店が入るビルの地下に「天狗」という大衆居酒屋があり、仕事の後特に用がない人はそこに行く、という暗黙の了解がありました。そこに行くと必ず10人前後の奇天烈な同僚たちがおり、とりとめのない話と意味の分からない話で盛り上がっていましたが、あの頃があったおかげで、今の自分があると言える濃密な2年間でした。
ただ、結果的に「華やかで楽しい」「紳士的」、は一瞬たりともおとずれませんでした。
入社から2年が経った1998年、大阪の天満橋にあった松坂屋という百貨店にジュンク堂書店松坂屋天満橋店(現・天満橋店)がオープンすることになり、異動の希望を出しました。そろそろ大先輩たちから授かった書店業務を自力で試してみたかったことと、大阪にも住んでみたい、という理由からでした。オープン当時はまだ、書籍の売上が前年より減ってきているよね、という程度の認識しかなく、その後30年経った現在まで売り上げが落ち続けるという予測をしていなかった頃。オープン時から売り上げも順調で、仕入れたお薦めの書籍、企画したフェア、ビックネームの著書の新刊が期待通りに売れ、日々の業務に追われながらも、何かを企画したり売り場を良く見せるための努力をしたりと、充実した書店人生を送っていました。まだいろいろな意味で余裕があったんだと思います。
余裕があったんだな、と思われる代表的な出来事をご紹介。
あの当時新刊が出れば一定数売れていたナンシー関さんの新刊を出すよと、カタログハウスの営業さんに聞きました。『記憶スケッチアカデミー』というその本は、一般の素人さんに「この絵を描いてください」というお題を出し、記憶を頼りに描いてもらった作品を集めた本。開いてびっくり。「サンタクロース」や「パンダ」、「パイナップル」などなんでもない、すぐに思いついて書けそうな絵が、まさかの物体に。その描かれた絵に対するナンシー関さんのコメントに大爆笑。あまりの面白さにお腹を抱えて笑った私は、これは売れる、いや売りたいと衝動的に思い考えた企画がこれ。
① お店のスタッフにお題の中から書きたいものを実際に描いてもらう(いくつ描いてもよい)
② 描いてもらった絵の中でこれは面白い、と私が思ったものを選ぶ
③ 選んだものを切り張りして1枚のシートを作り印刷
④ おまけとして本に挟んでお客さまへプレゼント
この本、めちゃくちゃ売れました。何が一番良かったかって、スタッフが大盛り上がりしながら絵を描き、みんなでシートを作り、売り場での展開も大々的に行い、実際に売れる。これこそ本屋冥利に尽きる仕事じゃないですか。
あの当時はこんな余裕があったんです。楽しんで、作れて、売れる、という余裕が。

この時代に一緒に働いていたのが、今の「BOOK’N BOOTH」のメンバー。
BOOK’N BOOTHのイラストを描いている山下美緒子は、当時から意味不明な絵を描き、私たちを感動させていました。どうせなら、このイラストで雑貨を作ろう、ということになり、イラストを山下、紙や材料の調達・雑貨の細かい部分の作りこみを中村明香(さやか)と私が担当、実物の作成を3人で行い、ポストカード・栞・布のブックカバー・カレンダーなどなど、いろいろな雑貨を作りました。その雑貨をジュンク堂書店(関西エリアの店舗)に仕入れて置いてもらえることになり、取引の際に作ったチーム名がBOOK’N BOOTH。
さらに、山下と一緒に、この小説ほんまに読んでみてほしい、と文芸作品を応援するコーナーを作ったのですが、そのコーナー名がBOOK’N BOOTH。
こうして、現在の店となる原型が誕生しました。
