>BOOK'N BOOTH 本屋開業の奮闘記「本屋、ひらいた」

本屋、
ひらいた

中村優子

第二回

ジュンク堂書店に別れを告げて

天満橋から梅田へ

結局、ジュンク堂書店天満橋店(当時はビルの管理が松坂屋から京阪シティモールに変更しておりました)で12年ほど勤務しました。忙しく、苦しいなりに楽しかった天満橋店から、2010年に新店のMARUZEN&ジュンク堂書店梅田店へ異動することになりました。

その年、大日本印刷(DNP)と丸善とジュンク堂書店それとTRC(図書館流通センター)がCHIグループ(現・丸善CHIホールディングス株式会社)に統合され、その象徴としてMARUZEN&ジュンク堂書店という屋号をはじめて用いて大阪梅田の茶屋町にオープンしたのがこのお店。当時の日本最大の坪数を誇る店舗ということで、開店準備はいつもの何倍もの時間をかけて行いました。まるで昨日のことのように覚えているのは、書籍の搬入が始まってからオープン当日までの地獄、いや怒涛の日々。毎日毎日ものすごい量の段ボールが搬入され、一箱ずつあけて検品。検品が終わった商品を棚に入れていく作業が延々と続きました。

多くの応援者に助けてもらいました。特に当時難波店と大阪本店でそれぞれ文芸書を担当していた松岡さんと一柳さんには、何度感謝してもしきれないほどお手伝いしてもらいました。3人で夜中にお腹がすきマクドナルドに行ったこと、オープン当日朝の4時くらいまで店舗で作業し我が家で仮眠をとり7時に出社したことなど、辛い準備中にもそんな思い出に残る出来事もありました。ただあれをもう一度しろと言われても絶対にできません。そんな苦労の甲斐あっておかげで無事にオープンを迎えることができました。

オープンしてからは接客業務、商品の棚入れと発注、データの管理・分析と他店舗状況の把握、新規出店の準備と出張という日々の業務に追われ、気がつけお客さまと接する時間も本とじっくり向き合う時間も遥か彼方へ。先日発売された、大塚真祐子・水越麻由子など共著『書店員の怒りと悲しみと少しの愛』(knott books)で綴られている、疲弊していく書店員と書店の道をまっしぐらに進んでいきました。オープン当初はまだまだ書籍も売れていました。そんな景気の良い話も数年経てば過去のものとなり、数字を維持するためにDNPが打ち出してくる施策は、これまでジュンク堂書店で培われてきた書店員業務とは異なり、売れている本をさらに売ること、売れそうな本を探すこと、売れない本は売らないことへとシフトしていきました。売れない本をどうやって売るのか、これから売れるであろう作家さんをどうやって発掘していくのか、に心血を注いできた自分の文芸書人生は、少しずつ終わりの予感がしていました。

またその頃、ジュンク堂書店創業者の工藤恭孝社長が退任されました。私はまだジュンク堂書店が神戸と京都そして九州にしかない、ナショナルチェーンになる前の入社で、工藤社長とは比較的お話をさせてもらったり一緒に飲んだりできた世代で、酔ったふりをしてはまあまあ言いたい放題をギリギリ許してもらえたこともあり、社長に対する愛着度が高く、工藤社長がいなくなることへの衝撃は大きく、ジュンク堂書店に居続ける意義を失いつつありました。

本屋を去り新しい仕事に就く

育児休業と育児休業明けの時短勤務を経て、土日出勤やフルタイムに戻った時の勤務時間、これからもあるであろう出張のことを考えると、子どもと過ごす時間がしっかりもちたい思いもあり、子どもが3歳になるタイミングで退職を決意しました。

45歳が目前に迫っているうえに、事務仕事をしたことがないそんな私を雇ってくれたのは、社会保険労務士事務所でした。当時社労士という資格も知らず、どのような業務なのかも知りませんでしたが、ただただ勤務が9時~18時で土日祝日が休み、というこれまで一度も体験したことがない日々を送ることができるという魅力だけで就職しました。

ところが、出社初日に「資格保持者以外は、全所員社労士試験受験が必須」という寝耳に水な話をされ、その試験の合格率は5%以下だと聞かされた時には、やってしまった、と呆然としました。それはそうですよね、Excelの初歩すら知らない私を雇ってくれるということは、何らかの理由があるはず。労働基準法という言葉もよくわかっていなかった私の、長く苦しい勉強の日々が始まりました。

これまで隙間時間でも本を読む習慣のあった私が、隙間時間に勉強をしなければならなくなり、このあと3年続く、まさかの「小説を読まない生活」が開始されました。本屋に行くことがほとんどなくなり、「私以外誰がこの本を買うねん」と思いながら様々な本を購入してきた私が、全く本を買わなくなったんです。そのため、今でもこの時期(社労士の試験に合格するまでの3年半の間)に話題になった本や作家さんをよく知らないという残念な結果になったままです。

資格取得後に、ようやく再び本との交わりを模索し始めました。

最初は、社労士として書店経営者と関わることで、書店経営に強い社労士、のようなものを頭に浮かべていましたが、いろいろな書店を当たってみた結果、書店経営に社労士の入る隙はありませんでした。それほど、書店経営の現場の労務環境は厳しいものでした。単発で仕事を一緒にさせて頂いた書店さんと話をしながら、長く続く業界の衰退や将来への不安、何十年経っても同じ問題を抱えたままの業界で、本を売るだけでは書店経営ができない現実をひしひしと感じました。そんな中で、どうすれば本と関わることができるのか…...。

本屋への想い

社労士として独立して3年、スタッフも5名に増え、経営も少しずつ軌道に乗ってきたころから、「本屋できないかなあ」との想いがほのかに頭の片隅によぎり始めていました。そのたびに、「いやいや、本屋の経営なんて甘いもんじゃないし業界に未来もないよ」と私の良心が本屋への夢を追いやる、またよぎる、をしばらく繰り返していました。煮え切らない私の頭を整理したいと、140Bの青木雅幸さんという出版営業マンに連絡をしてみました。青木さんとはもう長い付き合いで、140Bが在阪の出版社だったこともありジュンク堂書店退職後もごくたまーに連絡を取り合っていました。ちょっと聞いて欲しいことがあるんだけど、みたいな誘い文句だったと思うのですが、連絡を入れたタイミングが絶妙で、ちょうど本の雑誌社の杉江由次さんというこれも伝説の出版営業マンが久しぶりに関西に来ることになってるから一緒にどう? という返信がきたのです。もちろん3人で飲むことになりました。忘れもしません、上本町にある私のお気に入りのもつ鍋屋さんでした。

ここから先の記憶が、私と青木さんたちとは若干違うのですが、私が本屋をしたい、という話をすると、いいんじゃない、頑張れと言ってくれたんです。ところが青木さんはやめとけと言ったといい張っております(笑)。ともかく青木さんは『本屋のない人生なんて』(三宅玲子・著/光文社)を、杉江さんは『本屋、ひらく 』(本の雑誌社)を後日それぞれ送ってきてくれました。

今は小さな坪数でも独立系本屋さんが増えてきているし、自分たちも応援しているのだと。特に杉江さんは独立系書店が好きということで、熱く熱く語ってくれました。私の知らない小さな本屋さんの生きざまを教えてくれました。お金のことや仕入れのことなどどう考えても難問だらけではあったのですが、本屋をするか、しないか、だけはこの夜に意外とあっさりと決まってしまいました。

本屋開業の背中を押した2人には、今でもこれからも、ずっとお世話になりますし、経営の窮地に陥ったときは、必ず助けてくれると信じています。

こうして、本屋開業に向けて動き出すことになりました。

 三宅玲子・著『本屋のない人生なんて』(光文社)本の雑誌編集部・編『本屋、ひらく』(本の雑誌社)


なかむら・ゆうこ

中村優子なかむら・ゆうこ

BOOK’N BOOTH店主。 2025 年8月に大阪市阿倍野区にて開業。主に小説を扱い、町の本屋を目指すために雑誌や児童書、コミックや実用書も取りそろえている。どんな小説も大好きだけど、特に歴史ものには目がない。本業は社会保険労務士で、書店店舗は元書店員仲間2名が手伝ってくれている。休日は電車オタクの息子との冒険を楽しんでいるが、実は電車の中で本を読むことが最大の目的だと息子は知らない。