担当/中島 淳
5年間慣れ親しんだ「大阪府立中之島図書館でのナカノシマ大学」にしばし別れを告げて、久しぶりに「毎回、違う会場でナカノシマ大学を開催する」という日々がはじまった。
「あんなええ場所を離れて大丈夫やろか……」との不安はあったが、この界隈は近代名建築の密集エリアなので「講座にふさわしい会場」で開催することができるのはラッキーこの上なしなことである。

4月28日(火)、船場の芝川ビル(1927年竣工)で開催された4月講座「ニッカ誕生の芝川ビルで竹鶴政孝&ウヰスキーの宵」より、テイスティングで盛り上がる会場
そして5月は、大阪が生んだユーモア溢れる会話文の名手であり、万葉集や源氏物語を題材にしても数多くの作品を残す作家・田辺聖子(1928〜2019)にちなんだ講座「しんどい時代にこそ 田辺聖子を読みたい」を開催する。場所は「ダイビル」の名コンビ、渡辺節・村野藤吾の師弟が手がけた、綿業会館(重要文化財・1931年竣工)です。
福島の「写真館の娘」として生まれ育った庶民的キャラクターの田辺聖子と、船場を代表する綿業会館の取り合わせは意外に思われる向きもあるかもしれないが、ここは「竹鶴政孝(マッサン)と芝川ビル」と同様に、田辺聖子にとってはゆかりの場所だったのだ。
作家として独り立ちするまでに手足をバタつかせて奮闘する日々を描いた自伝的小説『しんこ細工の猿や雉』(文春文庫)には、この「綿業会館での芥川賞受賞記念パーティー」でのシーンが、最後の最後に綴られている。

綿業会館。正面玄関(左側)は三休橋筋に面している。右は備後町通
パーティーは1964(昭和39)年4月11日(土)に開催された。
大阪の祝賀会では、会なかば、山崎豊子氏が、車でかけつけて下さった。空港へ原稿を持って行かれた帰りだそうである。氏は多彩的で、モノクロの写真で見るより、ずっと綺麗な人であった。二人で握手しているところを写真にとられた。
「山崎豊子と田辺聖子のツーショット」というのは、文化面の新聞記者にとってはヨダレが出そうなネタで、筆者も臨席していたら絶対にカメラを離さなかったであろう。
「綿業会館本館7階大会場」でのパーティーにより華を添える1シーンであるが、田辺聖子にとって決定的な場面がやって来るのは、その後である。
このとき、一緒に候補になった、直木賞の方の川野彰子が来ていた。小太りでもっさりした着物を着て、俊敏そうな黒い眉をしていたが、子持ちの主婦らしいおちつきがあった。
散会後、いつまでも綿業クラブの玄関に立っていたので「送りましょうか」といったら、
「主人が車持って来てくれてるはずですねん」
とおっとりいっていた。しかし車はみえなかったので、川野サンの「主人」に、私はそのとき会うことができなかった。
この男と、二年のちに私が結婚するとは、夢にも思わない。
川野彰子(かわの・しょうこ)については、生年が1927年だとする説と1928年だとする説があるので分からないが、綿業会館でのやりとりから半年も経たぬうちに、帰らぬ人となる。ウィキペディアには
夫・川野純夫は、彰子と死別した後に作家の田辺聖子と再婚。田辺のエッセイに登場する「カモカのおっちゃん」のモデルとしても知られる。
と紹介されている。

講師の中周子先生(田辺聖子文学館館長)。とてもハイソな感じだが、「京都人なんですけど誰も信じてくれないんですよ(笑)」と語るざっくばらんなキャラの持ち主だ
それにしても、この綿業会館の玄関前での短い会話の中に、互いに牽制しながら、「女」が静かに火花を散らしているのがありありと伝わってきて(それはおせいさんの手練れの技術であるが)、実にわくわくさせてくれる。
なので、ナカノシマ大学で田辺聖子の講座を行うなら、大阪市内は綿業会館しかないと思っていたので、今回、5月23日(土)が空いていたのがとてもラッキーでした。
申し込みはすでに7割近く埋まっているので、お早めにどうぞ。
講座自体は14時からですが、13時から13時40分までは、綿業会館の館内見学もあるので(受付は12:30〜)ぜひお早めにお越しください。
https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260523
























