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蓮見恭子さん入魂のナカノシマ大学資料109ページ!

2025年2月17日 月曜日

担当/中島 淳

『はにわラソン』の作者、蓮見恭子さんはサービス精神の権化のような人である。

2月20日(木)のナカノシマ大学に投影する資料がありましたら、前日までに送ってください」とお願いしたら、早々と100ページ以上のパワーポイントが到着した。

蓮見さんは現地取材の際にほんまにたくさんの写真を撮っておられて、この画像もナカノシマ大学のタイトルバックとはちょっと違う時期に撮影したもの

内容は当日のお楽しみだけど、中身は「5部構成」になっている。

第1部『はにわラソン』への道

第2部  古墳とマラソンとの出会い

第3部  古市古墳群の衝撃

第4部  マラソン運営の取材

第5部  羽曳野市のもう1つの顔

ナカノシマ大学にはこれまでにいろんな小説家の方に登壇してもらっているが、ここまで自作に対して「頭の中」を見せてくれる人もほんまにレア中のレアで、そういう意味でも今回のナカノシマ大学は、古墳好きマラソン好き古市好きの人だけでなく、文学好きの人にもお薦めしたい講座である。

読売新聞2025年2月11日(祝)朝刊

『はにわラソン』の売れ行きも好調だと聞く。2月11日(祝)には読売新聞の大阪府下全域版に、蓮見さんの写真入りインタビュー記事が掲載された。こちらから全文を読めます→ https://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20250210-OYTNT50120/

最近の蓮見さんは、「駅伝」「マラソン」を題材にした作品が多いので、「高校時代は陸上部?」だと勝手に思っていたがその逆で、作品をよりリアルに着地させるために走りはじめたという。以下、読売の記事から

構想のきっかけは約10年前。高校女子駅伝を題材にした作品の執筆中、登場人物の目標タイムやペースがイメージできず、「書くために走り出した」という。

(中略)雨にぬれながら声をかけてくれるボランティアらの姿が頭をよぎり、走る側ではなく、裏方に光を当てたいと考えた。コロナ禍でマラソン大会が中止となるなど、取材がスムーズには進まない時期もあったが、「スポーツ小説、ご当地小説、お仕事小説。私自身のキャリアの集大成」という形に仕上がったという。

蓮見さんは「近くにありながら、あまり古墳に親しみがなかったが、実際に歩いてみて面白さに気付いた。どうやったら古墳を『エンタメ』にできるか一緒に考えてもらえたら」と語る。

とある。

作品の登場人物は実に多彩で、主人公・倉内拓也が勤務する「土師市(モデルは羽曳野市)」の市長や市役所の面々をはじめ、土師市の北隣「白鳥市(モデルは藤井寺市)」で働く古代コスプレイヤー「白鳥姫子」こと坂口唯、南隣「山城市」の名産、鴨を売り出すべく被り物で有名な「カモネギ部長」、拓也がいた箱根駅伝の出場校「東都大学」の監督やメンバー、マラソン大会を支援するワイナリーのオーナー、マラソンの開催に反対する地元の有力者たち、元中学校社会科教師で退職後は観光ボランティアをやっている古墳ガイドの女性……と、百舌鳥・古市古墳群をご存じの方は「あの人やん!?」とニンマリしてしまうことだろう。

読売の記事はこう締め括られている。うれしゅうございます。

 20日午後6時からは、府立中之島図書館で、蓮見さんが古墳群の魅力や作品の過程などを語る講座(2500円。ナカノシマ大学のウェブサイトで受け付け)も開かれる。

ナカノシマ大学の受講申込はこちらから。

お待ちしております→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250220

 

2月25日(火)の天神寄席に、作家の増山実さんが登場!

2025年2月5日 水曜日

担当/中島 淳

2月25日(火)、天満天神繁昌亭で開かれる月1回恒例の「天神寄席」に作家の増山実さんがゲスト出演します。

増山さんは朝日放送「ビーバップ!ハイヒール」などの人気番組を手がけた放送作家でもあります。

小説は西宮球場と阪急ブレーブスへのオマージュでもある『勇者たちへの伝言 いつの日か来た道』(ハルキ文庫)で2016年「大阪ほんま本大賞」を受賞し、その後も『空の走者たち』『風よ僕らに海の歌を』『波の上のキネマ』『甘夏とオリオン』を発表。『ジュリーの世界』では第10回京都本大賞に輝きました。

天神寄席の鼎談ホストでプロデューサーの髙島幸次先生が考えた2月のお題は「珍談奇談奇話逸文」。増山さんの『今夜、喫茶マチカネで』(集英社)を読んでこのお題をイメージしたそうです。

北摂の方にはピン、と来ると思いますが、そう、あの待兼山です。

増山さんからメッセージもいただいていますので、ご覧ください。

「待兼山」。なんと魅力的な響きの地名でしょうか。
大阪の池田・豊中・箕面市の境、現在は大阪大学豊中キャンパスの敷地になっています。
この駅前の喫茶店を舞台に書いた私の小説が『今夜、喫茶マチカネで』。
街にゆかりの人々が人生で経験した、心温まる「奇談」を集めた連作短編集です。
刊行を記念しての今回の天神寄席は、題して『珍談奇談奇話逸文』。
『今夜、喫茶マチカネで』とどこかシンクロする噺を集めました。
夢の話。人間に化ける動物の話。報恩話。怪談話……。「不思議な話」が大好きな方、
ぜひ一夜限りの「待兼山奇談倶楽部」ならぬ、「天神奇談倶楽部」に参加してみませんか。

2月の繁昌亭は、「大阪天満宮の梅見」と切っても切れません。日のあるうちからお越しください。

天神寄席の申し込みはこちらまで。お待ちしています!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250225

「古市」好きは蓮見恭子『はにわラソン』にヤラレる

2025年2月2日 日曜日

担当/中島 淳

作家の蓮見恭子さんは堺の旧市街の人で、子どもの頃から仁徳天皇陵古墳などが馴染みだったという。

2/20(木)ナカノシマ大学でも販売。税込924円

蓮見恭子『はにわラソン』(双葉文庫)より

その蓮見さんから「古墳のまちを舞台にしたマラソンを題材に小説を書きました」と聞いて、最初は「二つの世界遺産(百舌鳥と古市)を結ぶコースにしたんやろなきっと」と勝手に思っていた。

ところが、最新作『はにわラソン』(双葉文庫)を開けると、いきなりこの地図が出てくる。名前こそ変えているが、どう見ても

「土師市って……羽曳野市やん!?」「隣町の白鳥市って……藤井寺市やん!?」

である。百舌鳥古墳群は登場しない。小学校の終わりから高校までを堺で過ごした筆者もこれには驚いたが、よくよく考えると「そらそやろな」となった。

というのは、筆者も『ザ・古墳群〜百舌鳥と古市 全89基』というガイドブックの編集で「古市古墳群」に何度となく通ったことで「古墳めぐり」の面白さを知ったし、古市を知らなかったら「本を出したらそれでおしまい」になっていたかもしれない。

ナカノシマ大学のタイトル写真と同じ、応神天皇陵古墳の西側、外濠外堤(がいごうがいてい)の景色。秋にはコスモス畑と正面の金剛山(右)・大和葛城山を見ながらのハイキングである

百舌鳥古墳群(堺市堺区・北区・西区)は、確かに大阪市内からとても便利な場所にある。なんばから南海高野線、天王寺からJR阪和線、梅田や新大阪から地下鉄御堂筋線と、3本のルートがある。

それに対して、古市古墳群は大阪阿部野橋(地下鉄天王寺駅直結です)から出る近鉄南大阪線一択。20分は余計にかかる。

けれど断言するが、ここを歩いてみたらあなたの古墳に対する認識はきっと変わると思う。

空が広くて山が近い。カントリーロードを歩きながら古墳をめぐる気持ちの良さは「知らんかったわ〜」の世界だ。百舌鳥古墳群は、政令指定都市の中心部にあるために、「都市型住宅地に囲まれている」感がある。

「墳丘に登れる古墳」も百舌鳥に比べて圧倒的に多いし、ユニークな古墳にも多数会えるし、主要な古墳の近くには「葛井寺(ふじいでら)」「道明寺」「道明寺天満宮」「誉田(こんだ)八幡宮」……と国宝のある寺社が控えていて、そういった重層的な文化集積度も古市に軍配が上がる。

近鉄土師ノ里駅から鍋塚古墳〜仲姫命(なかつひめのみこと)陵古墳を通って15分ほど歩いたらこの景色に出会える。2月には墳丘に梅が見られます

6年前、「世界遺産に登録されたから行ってみよか」と一番大きな仁徳天皇陵古墳の拝所に行って、「中に入られへんのかいな……」と落胆して帰った人は、そのリベンジに古市に足を延ばしてほしい。ダマされたと思って。

例えば、藤井寺市の南、羽曳野市との市境近くにある「古室山古墳」は冬の夕方になるとこんな景色になる。

宮内庁が古墳を囲むように設置している無粋な柵もここにはない。

原っぱを歩いて墳丘に取り付くと、好きな斜面から登るだけ。冬から早春にかけては樹木の葉が抜け落ちて墳丘のラインがよく見えるので、実は一番推しの季節だ。

こんな土地を舞台にして公式フルマラソン大会をやるという小説『はにわラソン』の文中にも古墳がいろいろ出てくる。古墳好きなら「あそこのことや♬」とすぐに分かるはずだが、それは読んでのお楽しみということで。

「河内ワイン」の金銅農園によるシャルドネ畑

『はにわラソン』に登場するのは「土師市(羽曳野市)と白鳥市(藤井寺市)にまたがる古墳群」だけではない。

その東側、石川を渡った山裾エリア(羽曳野市駒ヶ谷)のこともしっかり取材している。

羽曳野市はブドウの生産が盛んで、出荷量も栽培面積も大阪府下でトップ。デラウエアの生産はなんと全国3位だ。

そういう土地柄ゆえにワインも「地場産業」として定着していて、デラウエアやシャルドネのワインが市内で普通に売っている。

デラウエアは5〜8月の出荷。農産物の売店で買える

駒ヶ谷の[河内ワイン館]では地場のワインがあれこれ買えるだけでなく、予約制でワイナリーの見学(7人〜)も受け付けているし、館内の「金食堂」は7人からの貸切オンリーだが、食事とワインの両方をここでゆっくり楽しめてお薦めです 。http://www.kawachi-wine.co.jp/index.html

美味いもん好きワイン好きの蓮見恭子さんは、「土師市」のワイナリーとオーナーも物語の重要な人物として登場させている。

彼女はここ10年、マラソンや駅伝の小説をよく書いているが、蓮見作品の主人公は競馬の女性騎手や女性国際犯罪捜査官、古道具屋に嫁いだ女性、たこ焼き屋のおばちゃんまで、その幅も広すぎるぐらい広い。

『はにわラソン』は、羽曳野市のような地場を舞台にして名産のええネタまでふんだんに盛り込んでいる上に、マラソンコースの設定や大会までの運営プロセスの緻密さが凄まじくリアリティがあって、最後まで面白く読ませてくれるのだ。

主人公は、蓮見小説では珍しく男性。ちょっとイケメンのようであるが、とにかく巻き込まれやすいキャラである。

東京・小金井にある大学生の時には箱根駅伝のメンバーになれず、クラブの「主務」となってチームを支えた。卒業後は地元にUターンして「土師市」の職員となり、市長の無茶ぶりで「マラソン大会プロジェクトリーダー」となって実現のために奮闘する。

……という物語と、「古市古墳群」「羽曳野市の名産」をどうやって結びつけたのであろうか?

蓮見恭子さんの登壇は、『たこ焼きの岸本』の大阪ほんま本大賞受賞にちなんだ2021年11月講座以来、3年3か月ぶり

そのあたりは2月20日(木)のナカノシマ大学でじっくりお聞きしたいものである。申し込みはこちらへぜひ♬

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250220

建築イラストレーター・コジマユイさんの連載がスタート

2025年1月15日 水曜日

担当/中島 淳

コジマユイさんの「絵で残したい 船場の近代建築たち」の連載が140B ホームページで始まりました。

https://140b.jp/semba_no_kenchiku/

第1回は、船場の建築めぐりの「出発点」とも言える北浜1丁目交差点の「大阪証券取引所ビル」。

コジマユイさんは昨年10月17日(木)のナカノシマ大学と、その後のイケフェス大阪で来阪された際に、これまでに描いていなかった船場の近代建築物を集中的に取材しているので、この先の作品も楽しみです。

ボールペンでここまで仕上げるコジマユイさんの「建築愛」をこれからたっぷりとご堪能ください。

 

焼酎蔵元5社からナカノシマ大学受講者へプレゼント

2025年1月12日 日曜日

担当/中島 淳

1月16日(木)のナカノシマ大学「焼酎と大阪の 深くて意外な歴史」の講師で「黒瀬杜氏」の子孫の黒瀬暢子さん(焼酎プロデューサー)が、「講義だけでなく実際に飲んで感じてほしい」と、講座当日に受講者にプレゼントする焼酎のミニボトルの提供を、蔵元各社にお願いしてくれました。

薩摩酒造の大阪支店長執行役員の佐野竜三さん(右/北九州市出身)と営業本部の期待の星・山本優香さん(天草出身)のええお顔

すると立て続けに薩摩の5社から連絡が!

①薩摩酒造 芋焼酎「さつま白波」
②濱田酒造 芋焼酎「海童」
③大口酒造 芋焼酎「黒伊佐錦」
④小正醸造 芋焼酎「小鶴」
⑤喜界島酒造 黒糖焼酎「喜界島」

どの焼酎になるかは当日のお楽しみです。ただし……

大阪府立中之島図書館の3階多目的スペースでの講座なので、アルコールは御法度。なので終了後にお渡しいたします。

ほんまは黒瀬さんが講義している最中に香りだけでも嗅いでほしいところですが、「匂いだけ」で我慢できないのが普通の人間なので、講座の閉会までお待ちくださいませ。

お渡しするのはミニボトルなので、賢明なナカノシマ大学受講者のみなさんは、「こんな大きい瓶をいただけるんですか⁉︎」とはゆめゆめ誤解されませぬように(笑)
ナカノシマ大学の受講申し込みはこちらから

小正醸造の大阪支店長、上機嫌でナイスガイの上妻(こうづま)元樹さん

書店イベント参加のお知らせ

2025年1月7日 火曜日

迎春、本年もよろしくお願いいたします

さて、新年早々に開催される尼崎市のTSUTAYA尼崎つかしん店さんでの「独特で面白い出版社フェス」に140Bも参加します。

1/17(金)~3/23(日)の間、約20社の出版社の商品がお店の特設棚で展開、毎月二日間、出版社の担当が直接販売(参加出版社は変わります)に伺います。

3か月連続の店頭イベントは新しい試みで出版社としても、新しい読者さんとの出会いの場として楽しみにしています。
1月は25日(土)と26日(日)に店頭におります。

今年40周年を迎える「つかしん」でお待ちしております(青木)

 

上機嫌で、半端ないフットワークの焼酎伝道者・黒瀬暢子さん

2024年12月30日 月曜日

担当/中島 淳

1月16日(木)、「焼酎と大阪の 深くて意外な歴史」でナカノシマ大学に登壇する黒瀬暢子さんは、このために福岡からわざわざ来阪してくれる。

ナカノシマ大学はお江戸からの登壇も頻繁で、2024年も4回(4月譽田亜紀子さん、9月矢代新一郎さん、10月コジマユイさん、12月岩野裕一さん)を数えたが、九州からはナカノシマ大学15年の歴史の中で初めてである。

テーマが「焼酎」ならやっぱり本場からお呼びせなアカンと思ったので、ご足労いただくことになった。

今回は、薩摩生まれの芋焼酎と黒糖焼酎の誕生と普及に「大阪」が大きく関わっていることを、薩摩藩主である島津家の祖・島津忠久(生年不詳〜1227)が大阪の住吉大社で生まれたという平安時代末期に遡ってひもといていく。

住吉大社の境内。源頼朝の寵愛を受けた丹後局が出産した場所がこの「誕生石」と伝えられ、ここで生まれた子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公だとされている(黒瀬さん提供)

今日だれもが気軽に焼酎を買ったり、お店で楽しんだりすることができるのは、実は大阪と島津家(薩摩藩)との交流・交易の歴史がベースにある。

さらに明治後期に「黒瀬杜氏」の力によって薩摩で焼酎量産化が成功し、そして「近代焼酎の父」と呼ばれている河内源一郎(1883〜1943)や第一次焼酎ブームを作った薩摩酒造の本坊蔵吉(1909〜2003)ら大阪工業高等学校=大阪帝国大学醸造学科(竹鶴政孝もOB)卒業生たちの活躍で新しい酵母が発見され、新商品が生まれ……そして九州の焼酎がポピュラーな日本の酒となって今に至っている。

そんな大きな歴史の流れを、黒瀬杜氏の子孫である黒瀬暢子さんが大阪で講義してくれる。

黒瀬暢子さんは「焼酎プロデューサー」という名前で活動しているが、これは「焼酎の新商品を企画・開発する」というより、「焼酎のファンを増やす」ことを大きな目標に、日々SNSで蔵元探訪記や焼酎イベントのレポート、新商品紹介、そして新しい飲み方提案などの発信をしている。また、黒瀬さん自身が主宰する、焼酎に親しんでもらうための女性向けの会(焼酎女子会enjoy!)は、なんとこの5~6年の間に130回以上も開催している。

小倉のホテルで開催された「焼酎女子会enjoy!」で挨拶する黒瀬さん。日本経済新聞「本格焼酎・泡盛の日」特集で取材した(2023年8月26日・筆者撮影)

ナカノシマ大学は15年続けているが、やっと200回を過ぎたことを考えると、ひと月に2回(会場のレストランを押さえ、蔵元や行政などにも協力をお願いして参加者を募って……)というのは半端ないエネルギーであろう。

そのようなスゴ腕の伝道師であるが、なんと2018年までは焼酎を一滴も飲んだことがなかったという。

黒瀬さんは早稲田大学を卒業してサンリオに入社、その後は児童向けの大型遊具企画制作会社に勤務して、東南アジアに何度も出張しては、現地のショッピングセンターのスタッフに「遊具の組み立てと設置の仕方」を指導していたらしい。

2018年というのはその会社(東京)にいた頃のこと。以下、黒瀬さんの手記から(福岡県立東筑高校同窓会『東筑會報』2022年10月1日発行号)引用する。

自分の名字と同じ「黒瀬」という名前の飲食店をネットで見つけたわたしは、東京・渋谷の「焼酎バー黒瀬」を訪れました。Facebookに投稿したところ、大学の後輩からメッセージが入ります。

 

後輩のメッセージというのは「先輩って名門の出ですね!?  黒瀬杜氏の末裔でしょう?」というもの。「クロセトウジ」という言葉に黒瀬さんの頭の中は「?」が3つほど付いたらしい。その店でもビールを飲んでいたほどで(何しに焼酎バー行ってんねんと突っ込みが入りまくったであろうが)、ほんまに焼酎には無縁の人だった。

杜氏と言えば、まさにお酒作りのプロフェッショナルです。お酒の話題を母の耳に入れてはいけないと(彼女のお母さんはお酒が大嫌いだったそう)、そーっと父に確認すると、どうも、私は焼酎の歴史を造ってきた「黒瀬杜氏」の血を引いているらしいのです。

 

そこからの行動は早かった。

信じられないわたしは、叔父が持っていた江戸時代から大正時代までの戸籍謄本を借り、家系図を作り始めました。家系図に名前がある方に会いに行っては、家系図を書き足し、書き足し。しかもアポなしで!

今は現役を引退している黒瀬杜氏の人。たぶんこの方も、福岡から訪ねてきた黒瀬さんから家系図を見せられた一人なのではなかろうか(黒瀬さん提供)

相手方にしてみたら、会ったこともない親戚から電話で「会ってください」と急に言われてもなぁ……という感じだったのだろう。

黒瀬さんの実家は北九州市の隣、福岡県遠賀郡だが、そこから「黒瀬杜氏」の里、鹿児島県南さつま市まで家系図を持ってアポなしで行くのである(一日仕事ではぜったいに済まない)。そうこうしているうちに祖母の家系のほうも杜氏がいることが分かり、双方の家系図を作ったらそれぞれ100人ぐらいになったそうだ。

江戸時代から明治、大正、昭和、平成、令和へと一族が順ぐりに託してきた「焼酎造り」のバトンパスを家系図に記した黒瀬さんは、「この焼酎文化を守ることが自分のライフワークになるのではないか」と一念発起するに至る。

東京でのビジネスマンのキャリアを終わらせて福岡に帰り、「焼酎プロデューサー」として活動を始めたのが2019年だった。

最近、「事業承継」という言葉があちこちで聞かれる。

「後を継いでくれる人がいない。どうしよう」という問題解決のためにそれを継続させるために事業を立ち上げた人の話も聞くが、廃業する実例もよく聞く。黒瀬さんの場合は「杜氏」になった訳ではないが、ちょっと形を変えた「伝統的ファミリービジネスの継承」がなされる例はとてもおもしろい。

何よりも、黒瀬杜氏が守ってきた焼酎造りのバトンリレーに「大阪」が大きく関わっていたという話は本当に楽しみである。

家系図を作るために南さつま市まで何度も出向いただけでなく、焼酎の酒蔵にも頻繁に顔を出し、東京や大阪へも取材やイベントのために訪れる。この人の運動量は半端ない。

焼酎の都・福岡で超個性的な焼酎好きを集めて開催された日本経済新聞「本格焼酎・泡盛の日」の座談会で黒瀬さん(イラスト右下)は司会を務めた(2024年11月1日掲載/イラスト&デザイン・神谷利男)

彼女の出身校・早稲田大学では2024年4月から「ラグビー蹴球部 女子部」が正式に発足したが、黒瀬さんはそれに先立つことウン十年前に同好会でラグビーをやっていた。ポジションは右のフランカー(FL7)。

スクラム、ラインアウト、モール、ラックなどのボール争奪戦には必ず顔を出し、相手の強烈な当たりも「上等じゃい」と受けて、バックスにいいボールを供給すれば必ずチャンスが訪れるという「運動量半端ないし汚れ役も多いけどきっと報われる」ポジション。

その話を振ったら黒瀬さんはにっこり笑って「そうですかね」と言った。

機嫌のいい人である。なので、この人の周りにも機嫌のええ人が集まる。焼酎業界はこの人の「上機嫌」のおかげで、かなり得をしているのではなかろうか。

ナカノシマ大学の申し込みはこちらへ→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250116

 

 

 

 

 

 

 

朝比奈隆を追いかけて大阪に通った岩野裕一さん

2024年12月16日 月曜日

担当/中島 淳

12月19日(木)のナカノシマ大学に登壇する岩野裕一さんは、明治30年(1897)創業の出版社「実業之日本社」の社長であるが、それ以上に(というと会社には失礼だが)、朝比奈隆の晩年に寄り添い、大阪に足繁く通ったのみならず満州、シカゴなどへの演奏旅行にも同行し、『王道楽土の交響楽−−−−満州 知られざる音楽史』(音楽之友社/第10回出光音楽賞受賞)、『朝比奈隆 すべては「交響楽」のために』(春秋社)を上梓した音楽ジャーナリストとして知られている。

DVDには『のだめカンタービレ』のベートーベン「7番」第4楽章ほか、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキーなどの名演奏7本を収録

「偉大なる指揮者に貼り付いて取材した音楽ジャーナリスト」というとすごくお堅い感じがするが、実に愛嬌があって茶目っ気に溢れるナイスガイの「鉄ちゃん」である。この人が日本のクラシック音楽に対してもっともっと発言してくれたら、敷居がどんどん低くなっていいのになと思っている。

だから、仮にあなたが少しばかりクラシック音楽に興味があって、「朝比奈隆さんの指揮を聴いたことはないけど、ちょっと気になる」ということであれば、岩野さんはきっと期待に応えることを話してくれるから、ぜひお越しください、と強く言います。

当日、会場で販売するのは写真の本であるが、DVD付きで値段もそれなりにするだけあって、「読みごたえ」も「観ごたえ」も両方ともある。1冊読めば、20世紀の日本史や世界史とリンクして「朝比奈隆はどんな指揮者でありどんな人間であったか」ということを知ることができるし、そんな「20世紀音楽史の生き証人」みたいな人が大阪を舞台に「オーケストラの創業者・経営者・音楽監督・常任指揮者」という激務をこなしながら1ステージ1ステージを燃焼させながら93歳まで生きた、ということを驚かずにはいられない。

同時に、この本を出版社の激務の合間に書き上げたという岩野氏の努力にも頭が下がる。特に最終章の「林元植(イム・ウォンシク) 朝比奈隆 唯一の弟子」が素晴らしい。16ページのブロックなのに、この一項だけで映画が一本出来そうな壮大な人間ドラマを読ませてくれる。著名な日本の歌手や韓国代表のサッカー選手などが次々と登場していて、朝比奈隆という人が日韓の文化交流にも多大な貢献をした人だった知るに至る。

あとは、19日(木)の岩野さんの演奏ならぬ講義を「生で」お聴きください。

かつて朝比奈隆の大阪フィルを聴こうと、慌てて東京駅から新幹線に飛び乗っていた岩野さんが、今度は、朝比奈隆と大阪フィルの話をするために新幹線で来阪する。

朝比奈先生もきっと喜んでおられると思う。

 

最後に、かつて雑誌の『大阪人』に書かれたこちらの一文を。

フェスティバルホールへの旅  岩野裕一

私のオフィスから東京駅までは、ダッシュすればわずか五分。午後三時過ぎからずっと落ち着かない時間を過ごしてきたが、決断するならいましかない。よし、やっぱり行こう。

怪訝そうな同僚の目を振り切って会社を飛び出し、カバンを抱えて一目散に東京駅へ。改札口を抜けてホームに駆け上がると、新大阪行きの新幹線になんとか間に合った。空席を捜し、乱れた呼吸を整えると、ようやく気持ちにゆとりが出てきた。さて、今夜はどんな演奏を聴くことができるのだろうか……。

朝比奈先生が指揮する大阪でのコンサートに、いったい何度足を運んだことだろう。東京で暮らす私にとって、「大阪へ行く」というのは、すなわち「朝比奈先生を聴く」ことだった。とりわけ、中之島のフェスティバルホールで開かれる大阪フィルの定期演奏会は、たいがいが平日の夜七時開演で、会社を抜け出すのに苦労しただけに、ことさら印象深い。

新大阪で御堂筋線の地下鉄に乗り換え、淀屋橋で地上に出ると、目の前に水辺のある風景が広がる。ああ、また大阪に来たな、と実感する瞬間だ。

淀屋橋からホールまで、新旧のオフィスビルを眺めつつ、都心の川べりをのびやかな気持ちでホールに向かうときの気分は、東京のコンサートホールでは味わえない、ちょっとした心のぜいたく。そう、ロンドンのテムズ川沿いにあるロイヤル・フェスティバルホールに向かうときの雰囲気に、どこか似ている。十分ほどの散策を楽しみ、なんとか開演時間に間に合った。

ロビーに飾られた、かつてこのステージで音楽を奏でた巨匠たちの写真が、ホールの永い歴史を無言のうちに物語っている。その主(ぬし)ともいうべき朝比奈先生は、一九五八年の開館以来、実に四十三年間にわたって、大阪フィルと共にこのホールへ音楽を染み込ませてきた。いまでは古色蒼然としたフェスティバルホールだが、その威厳は先生にこそふさわしい。

開幕のベルが鳴り、舞台の上ではチューニングを終えた大阪フィルのメンバーが、指揮者の登場を待っている。一瞬の沈黙ののち、下手のカーテンをひるがえして、背筋をまっすぐに伸ばした朝比奈先生がさっそうと舞台に歩み出る。堂々とした足取りで指揮台に向かいながら、先生は聴衆からの拍手を全身で受け止め、ホールの空気を暖かくも張りつめたものに変えていく。さあ、今夜も音楽会の始まりだ−−−−。

この身の引き締まるような瞬間を、私たちはもはや共有することができないと思うと、たまらなく寂しい。だが、忘れてはならないのは、朝比奈先生が半世紀以上にもわたって育て上げ、大阪の誇りとなった大阪フィルが、いまも私たちと共にある、ということだ。

大阪フィルは、これからもずっと、フェスティバルホールのあの大きな空間を、オーケストラの響きで満たしてくれるに違いない。

先生がこの世にいないのは悲しいけれど、それでも私はまた東京の会社をそっと抜け出し、川沿いの道を急ぎ足で歩いて、大阪フィルの演奏会に向かうことにしよう。

(岩野裕一『すべては「交響楽」のために』から 初出〜雑誌『大阪人』2002年4月号)

朝比奈先生の墓前に、19日(木)に岩野さんが登壇することを報告してきました(神戸市灘区の長峰霊園にて)

岩野さん、死ぬほど忙しい人だから、新大阪で地下鉄に乗っても淀屋橋を乗り過ごさないだろうか(笑)。いや、それ以上に淀屋橋から永年の習性で西側のフェスティバルホールに行ってしまわないか心配だが……。

この日は橋の東側、大阪府立中之島図書館に向かってください。みなさんお待ちかねです。

ナカノシマ大学は12月19日(木)18時からです。申し込みはこちらへ→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241219

 

 

 

阪急電車を運転し、百貨店の売り場にも立っていた指揮者・朝比奈隆のこと

2024年12月11日 水曜日

担当/中島 淳

12月19日(木)のナカノシマ大学で岩野裕一さんにお話しいただくのは、たぶん30代以上の方なら指揮台に立っている姿をリアルタイムでご覧になったであろう、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督で常任指揮者だった朝比奈隆(1908〜2001)のこと。

©️大阪フィルハーモニー交響楽団・飯島隆

「日本のオーケストラ史」のど真ん中を体現してきたこの指揮者は、戦後の大阪で今日も続いている交響楽団を立ち上げ、作曲家の真髄に迫る音を追求するためにひたすら演奏のクォリティを向上させていっただけでなく、楽団員が「オーケストラの一員として生活ができるように」マネジメントし、楽団に対する社会的支援を求めて駆けずり回った人でもある。

そういう意味で、音楽家としての偉大な業績はもちろんだが、カラヤンやバーンスタインなどの「世界的指揮者」とは違う次元でも、もっと評価されてよいと思う。

朝比奈隆は、工学博士で北越鉄道取締役会長だった渡邊嘉一と内妻の小島さととの間に東京の牛込(現・新宿区市谷砂土原町)で生まれ、ほどなく朝比奈林之助の養子となった。

幼い頃は小児喘息や栄養失調で苦しみ、療養の傍ら学業を続ける日々だったが、7年制の東京高等学校(旧制)に入学した頃から音楽に目覚めてバイオリンを習いはじめ、部活ではサッカーに熱中して(右のサイドバックだったらしい)当時全日本の覇者だった東大を破って話題になる。勉強にも身が入り成績も上がり、昭和3年(1928)春に京都帝国大学法学部への入学を果たす。

京大を選んだのは「東京を離れたい」ということもあったが、当時、音楽部を指導していたエマヌエル・メッテル(1878〜1941)が指揮するオーケストラの演奏に強烈な印象を受けて、「この人に習いたい」と思ったことが第一の理由だった。

「メッテル先生」は、日本のポピュラー音楽史に欠かせぬ作曲家・服部良一(1907〜93)も師事した人で、朝比奈隆はこの厳しい師匠から一つ年上の弟子(服部)を引き合いに出しては「服部君はよくやるのにお前は少しも勉強せん」とさんざん小言を言われたらしい。

朝比奈隆は京大で交響楽団に入って音楽漬けの学生生活を過ごし、そのおかげで高等文官試験(高級官僚の採用試験)に通らず、卒業後は阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に入社した。実の父や養父、兄たちが鉄道を仕事にしていたことも関係していた。

阪急入社は昭和6年(1931)。大阪の人口が急激に増加し、東京を抜いて世界第6位の都市になった「大大阪」時代の真っただ中で、大阪のシンボル大阪城天守閣が市民の寄付によって再建された年でもあった。

旧い街を縫うようにして路線を敷いた阪神とは違って、人がまだ住んでいない場所に鉄道を通し、その沿線に住宅や行楽施設を開発する阪急の業績はこの時期右肩上がりで、「通勤・通学は電車で、行楽も電車で」というサラリーマンや学生が大量に生まれた時代でもあった。朝比奈隆は電車の運転にも携わる。

昭和4年(1929)開業の世界初のターミナルデパート阪急百貨店(阪急電鉄HPより)

「電車の構造からちょっとした電気知識、運転技術、さらには沿線案内と切符の説明、駅の呼び方に至るまで、教えられた。教習期間がすむと指導員がついて二、三カ月、実際に電車に乗る。ちょうど夏ごろから一人前というわけで、私も相沢(巌夫=陸上選手。当時の男子100m日本記録保持者)君も宝塚線に回された」(朝比奈隆「私の履歴書」より〜『楽は堂に満ちて』所収)

 

ストップウォッチを持っている相沢君と二人で、「梅田から宝塚までの駅名を何秒でいえるか」や、実際に終電に乗務して、「宝塚から池田まで何分何秒でいけるか」などの勝負に明け暮れていたらしい。上司からは大目玉を食ったそうだが、たわいもなく楽しそうである。

入社1年後にはまだオープンして間もなかった梅田の阪急百貨店でも働いた。

「私たちがいるころ、百貨店東側の部分が増築されたが、まだまだ小さい店だったので、店員の名前も顔もすぐ覚えられた。百貨店への異動も相沢君と一緒で、彼は五階、私は六階の家具、陶器、タンスなどの売り場だった。そのころは蓄音機、レコード、ラジオなどの音響部門もあることはあったが、これも六階で扱った。私の売り場は午前中はほとんどお客さんがなく閑散だったので、よく大きな音量でレコードをかけて楽しんだものである」(同)

まさに朝比奈隆が売り場にいた、昭和7年(1932)頃の阪急百貨店(同)

ずいぶんとお気楽な百貨店員だが、それだけでは済まなかったようだ。

京大時代の先輩でチェロ奏者の伊達三郎(1897〜1970)が、バイオリンが弾ける朝比奈隆に「弦楽四重奏をやろう」とやって来た。その誘いにホイホイと乗って、職場を抜け出して大阪中央放送局(JOBK)に駆け込んで、生演奏までしていたらしい。

「当時の放送は NHKだけ。しかもナマ放送なので六階の売り場のラジオが『ただいまから“お昼の音楽”をお送りします。出演は大阪弦楽四重奏団、メンバーはバイオリン朝比奈隆……』とアナウンスしているのだから、どうにも隠しようがなかった。『あいつ、また行っとるで』とすぐわかった。引き立ててもらった伊達さんのせいにしてごまかしていたが、それでも上司からしかられたことはなかった」(同)

世界のクラシック音楽の歴史の中で、都市を代表する交響楽団の音楽総監督としてオーケストラを永く指揮してきた人間が、過去に日々電車を運転し、百貨店の売り場で品物を販売していた、という例は、唯一とは言えないまでも、とてつもなくレアなことではないかと思う。

朝比奈隆という指揮者には、筆者は客席からお目にかかった程度にしか存じ上げないが、威厳に満ちた人だという印象と同時に、「華やかさ」や「大衆性」を感じた。とくに演奏が終わってからの客席に対する挨拶の時に多くの人がステージに近づいては拍手を送る姿を見て、「ほんまにいろんな世代の人から愛されているなこの人は」と感じた。

その明るいキャラクターは阪急時代(2年ちょっとの間ではあったが)にいっそう培われたものと言っても過言ではないと思う。

「運転席の窓越しに見たあの乗客」「売り場にいたあのお客さん」の記憶は、彼の中でそのまま「オーケストラを聴きに来てくれる人たち」につながっていったのだと思う。

朝比奈隆が阪急を辞めたのは昭和8年(1933)。京大へ復学して文学部哲学科に入り、よりいっそう音楽漬けの日々を送って大阪音楽学校(現・大阪音楽大学)に勤務する傍ら、指揮者への階段を一歩一歩登っていった。

昭和16年(1941)に結婚して神戸市灘区に居を構えてからは、戦時中の上海、満州での生活を除けば、死去するまでの60年間、ずっと阪急沿線の神戸市灘区に住み続けた。江戸っ子の彼にとって、阪急の2年間は楽しい思い出ばかりだったようだ。

「やめるときも理由をつけるのに困ったが、やめろともいわれず、意味なくやめ、いまだに阪急から離れられず、その周辺をうろうろしている。私みたいな妙な元“阪急マン”はおそらくいないだろう」(同)

表紙は、舞台を出る巨匠に喝采を贈る観客を捉えている。岩野さんはこの本の解説も執筆

音楽ジャーナリストの岩野さんが12月19日(木)のナカノシマ大学の講義で、阪急時代の話をどの程度されるかは分からないが(欧州にも米国にも満州にも大阪にも朝比奈隆を追いかけて取材した人なので)、きっと言わずにはいられないと思う。

というのも、岩野さんも朝比奈隆と同様に「鉄ちゃん」だからである。

ナカノシマ大学の申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241219

拝啓・古地図サロンから46

2024年11月25日 月曜日

2024年11月22日・本渡章より

【今回の見出し】

  • 大阪ガスビル古地図サロン最終回と新サロンのお知らせ
  • お知らせ・電子書籍のご案内・プロフィール

大阪ガスビル古地図サロン最終回と新サロンのお知らせ

2024年11月22日をもって大阪ガスビル1階カフェ「feufeu」での古地図サロンは終了しました。
最終回は参加12人、公開古地図7点を囲んで、いつものように和やかなひとときを過ごしました。2018年1月26日開催の第1回から数えて全45回のご愛顧ありがとうございました。
※会場の1階カフェ「feufeu」はその後も大阪ガスビル改修工事が始まるまで営業していますので、皆様引き続きご利用ください。

「古地図サロン」初期の風景(2018年頃)

 

2025年からは、次の2つのサロンでお会いいたしましょう。


豆玩舎ZUNZO(宮本順三記念館)

2025年2月7日(金)午後2~4時、第8回古地図サロン「東風(こち)」
会場はグリコのおまけデザイナー、宮本順三さんの作品と世界の玩具のミュージアム。2023年9月から始まり、地図を通して大阪府域の歴史や暮らしを語る場に育ちつつあります。
近鉄八戸ノ里駅前。参加費(記念館入館料)700円(お茶付き)

まちライブラリー北勝堂

2025年3月29日(土)午前10~12時、第1回サロンを開催。(第1回は春休み期間中につき、主に親子対象になる予定)

会場は江戸時代創業の老舗を改装した私設図書館。地域のコミュニティ的な場としても親しまれています。古地図サロンの詳細は未定ですが、所在地の西天満の地域活動を応援するかたちでスタートしたいと思います。
最寄りは大阪メトロ南森町・北浜・淀屋橋の各駅。

 

■ 2025年イベントのお知らせ

●「古代の鉄の文化と黒姫山古墳 」 主催・文学歴史ウォーク

1月12日(日)10~14時 南海高野線・北野田駅前集合
東文化会館での講演&黒姫山古墳・みはら歴史博物館の見学 

 

●「枚岡と石切~河内の歴史と風土」
朝日カルチャーセンター中之島

2月3日(月) 10時~11時30分 河内国一之宮の枚岡神社と河内の歴史(教室)
3月3日(月) 10時~11時30分 参道とともに賑わう石切劔箭神社と河内の風土(教室)
3月17日(月) 10時~12時30分 石切劔箭神社~枚岡神社(現地)

 

●大阪古地図さんぽ

大阪24区を順番に歩いてめぐる「古地図さんぽ」講座を年数回開催しています。
2025年2月のテーマは都島区。開催日など詳細は阪コミュニティ通信社
まで。


●「明治~大正~昭和の大阪古地図展(仮題)」
大阪府立中之島図書館

開催決定! 期間は2025年4月のおよそ1カ月間、展示地図 100点余。
来春リニューアルされる展示室での最初のイベントになる予定です。
詳細はあらためてお知らせします。

 

● X(ツィッター

X(ツィッター)始めました。本渡章 @hondo_akira1113
古地図以外の話題もいろいろ。その他まだ公開できませんが、進行中の案件あり。いずれご報告いたします。

●「大阪の地名に聞いてみた」ブログ連載全12回24編

一年間の連載(題字と似顔絵・奈路道程)に追加取材を加え、ブログの内容を大幅に刷新して書籍化が進行中です。刊行までブログ「大阪の地名に聞いてみた」をお楽しみください。

第12回 ここは水惑星サンズイ圏【前編・後編】
第11回 島の国の島々の街【前編・後編】
第10回 仏地名は難波(なにわ)から大坂、大阪へ【前編・後編】
第9回  人の世と神代(かみよ)をつなぐ神地名【前編・後編】
第8回 語る地名・働く地名【前編・後編】(仕事地名・北摂編)
第7回 古くて新しい仕事と地名の話【前編・後編】(仕事地名・河内編)
第6回 街・人・物・神シームレス【前編・後編】(仕事地名・泉州編)
第5回 場所が仕事をつくった【前編・後編】(仕事地名・大阪市中編)
第4回 花も緑もある大阪【前編・後編】
第3回 桜と梅の大阪スクランブル交差点【前編・後編】
第2回 続・干支地名エトセトラ&その他の動物地名【前編・後編】
第1回 大阪の干支地名エトセトラ【前編・後編】

 

 

●大阪古地図さんぽ

大阪24区を順番に歩いてめぐる「古地図さんぽ」講座を年数回開催しています。5月のテーマは淀川区。詳細は大阪コミュニティ通信社まで。

 

動画シリーズ継続中!
本渡章の「古地図でたどる大阪の歴史」~「区」150年の歩み

大阪市のたどった道のりを、それぞれの土地の成り立ちと経済、文化など多様な要素を持つ24の「区」から見つめなおすシリーズ。続編はしばらくお待ちを。詳細は大阪コミュニティ通信社まで。

第2回番外編 府と区と市の関係について再考

第2回その2 西へ西へと流れた街のエネルギーと水都の原風景…西区

第2回その1 「江戸時代の大坂」と「明治以後の大阪」の架け橋となった巨大区…西区

第1回その3 平成の減区・合区が時代のターニングポイント

第1回その2 大正~昭和は人口爆発、増区・分区の4段跳び時代

第1回その1 大坂三郷プラスワン、4つの区の誕生

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【古地図ギャラリー休眠のお知らせ】

 

2020年9月から202311月まで、東畑建築事務所・清林文庫の所蔵地図、鳥瞰図絵師の故・井沢元晴氏の作品を中心に紹介してきた古地図ギャラリーは休眠期間に入りました。過去20回の公開作品には現役の鳥瞰図絵師、青山大介氏の作品や本渡章所蔵の古地図も含まれています。ラインアップは下記の通りです。
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過去20回の古地図ギャラリーで公開した全40作品

20(2023年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大阪新町夕陽廊の賑」安政5年(1859)

第19回(2023年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より黄華山・画「花洛一覧図」文化5年頃(1808)

 

第18回(2023年7月)

①東畑建築事務所・清林文庫より池田奉膳蔵「内裏図」

 

第17回(2023年5月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「地球萬國山海輿地全図」

②青山大介作品展2023

 

第16回(2023年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「天王寺・石山古城図」

 

第15回(2023年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より長谷川圖書「摂津大坂図鑑綱目大成」

 

第14回(2022年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より久野恒倫「嘉永改正堺大絵図」

②鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「私たちの和田山町」

 

第13回(2022年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「淀川勝竜寺城跡全図」

 

第12回(2022年7月)

①東畑建築事務所「清林文庫」より秋山永年「富士見十三州輿地全図」

 

第11回(2022年5月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大日本分境図成」

 

第10回(2022年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「笠岡市全景立体図」

 

第9回(2022年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「暁鐘成・浪花名所独案内」

②本渡章所蔵地図より「大阪市観光課・大阪市案内図

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「躍進井原市」

 

第8回(2021年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「友鳴松旭・大日本早見道中記」

②本渡章所蔵地図より「遠近道印作/菱川師宣画・東海道分間絵図」「清水吉康・東海道パノラマ地図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「吉備路」

 

第7回(2021年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「石川流宣・江戸図鑑綱目坤」「遠近道印・江戸大絵図」

②本渡章所蔵地図より「改正摂津大坂図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「倉吉市と周辺 文化遺跡絵図」

 

第6回(2021年7月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「石川流宣・日本海山潮陸図」「石川流宣・日本国全図」

②本渡章所蔵地図より「大阪師管内里程図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「倉敷美観地区絵図」

 

第5回(2021年5月)

①2007清林文庫展解説冊子・2019清林文庫展チラシ

②本渡章所蔵地図より「近畿の聖地名勝古蹟と大阪毎日」

③フリーペーパー「井沢元晴漂泊の絵図師」・鳥観図「古京飛鳥」「近つ飛鳥河内路と史跡」

 

第4回(2021年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大阪湾築港計画実測図」

②本渡章所蔵地図より「大阪港之図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「福山展望図」

④鳥観図絵師・青山大介の作品より「梅田鳥観図2013」

 

第3回(2021年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「江戸切絵図(尾張屋版)」「摂津国坐官幣大社住吉神社之図」

②本渡章所蔵地図より「摂州箕面山瀧安寺全図」

③昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「小豆島観光絵図」

 

第2回(2020年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「メルカトル世界地図帳」「オルテリウス世界地図帳」

②本渡章所蔵地図より「A NEW ATLAS帝国新地図」「NEW SCHOOL ATLAS普通教育世界地図」

③昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「大阪府全図(三部作)」

 

第1回(2020年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「ブレッテ 1734年のパリ鳥観図」

②昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「ふたつの飛鳥と京阪奈」

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東畑建築事務所「清林文庫」は、同事務所の創設者東畑謙三が蒐集した世界の芸術・文化に関する稀覯本、約15000冊を所蔵。建築・美術工芸・絵画・彫刻・考古学・地誌など分野は幅広く、世界有数の稀覯本コレクションとして知られる。古地図に関しても国内外の書籍、原図など多数を収め、価値はきわめて高い。

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鳥観図絵師・井沢元晴(1915~1990)は戦後から昭和末までの約40年間に、日本各地を訪ねて多くの鳥観図を描き、昭和の伊能忠敬とメディアで紹介された。活動の前半期にあたる戦後の20年間は「郷土絵図」と呼ばれた鳥観図を作成。その多くは、子供たちに郷土の美しさを知ってもらいたいとの願いをこめて各地の学校に納められ、校舎に飾られた。学校のエリアは主に西日本。「郷土絵図」の活動は60年代半ばまで継続し、新聞各紙にとりあげられた。

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鳥観図絵師・青山大介(1976~)神戸生まれ。高校時代に都市鳥瞰図絵師の第一人者、故・石原正氏の鳥観図に出会い、感銘を受け、独学で鳥瞰図絵師を志す。2011年、制作に3年半をかけた「みなと神戸バーズアイマップ2008」を完成。2013年発行の「港町神戸鳥瞰図2008」は神戸市の津波避難情報板に採用された。以後、多数の作品を発表し、都市鳥瞰図の魅力を発信。2022年の「古の港都 兵庫津鳥瞰図1868」は同年開館の兵庫津ミュージアムのエントランス展示作品となる。2023年、神戸市文化奨励賞受賞。

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●電子書籍のお知らせ

本渡章の著書(古地図・地誌テーマ)のうち、電子書籍になった10冊(2022年末現在)は次の通りです。
(記載の刊行年は紙の書籍のデータです)

『鳥瞰図!』140B・刊(2018年)

思考・感情・直観・感覚…全感性を目覚めさせる鳥瞰図の世界にご案内。大正の広重と呼ばれた吉田初三郎の作品群を中心に、大空から見下ろすパノラマ風景の醍醐味を味わえます。併せて江戸時代以来の日本の鳥観図のルーツも紐解く、オールカラー・図版多数掲載の決定版。

『古地図で歩く大阪 ザ・べスト10』140B・刊(2017年)

梅田・中之島・御堂筋・ミナミ・天満・京橋・天王寺。阿倍野・住吉・十三・大正・平野の10エリアを古地図で街歩きガイド。さらに博物館、図書館、大書店、古書店での古地図探しの楽しみ方、大阪街歩き古地図ベストセレクション等々、盛りだくさんすぎる一冊。オールカラー・図版多数掲載。

*上記2冊は各電子書籍ストアでお求めください

*下記8冊は創元社(オンライン)の電子書籍コーナーでお求めいただけます

『図典「摂津名所図会」を読む』創元社・刊(2020年)

大阪の地誌を代表する「摂津名所図会」の全図版を掲載。主要図版(原寸大)には細部の絵解きの説明文、その他の図版にもミニ解説を添えた。調べものに便利な3種類の索引、主要名所の現在地一覧付。江戸時代の大阪を知るためのビジュアルガイド。

『図典「大和名所図会」を読む』創元社・刊(2020年)

姉妹本『図典「摂津名所図会」を読む』の大和(奈良)版です。主要図版(原寸大)には細部の絵解きの説明文、その他の図版にもミニ解説を添え、3種類の索引、主要名所の現在地一覧も付けるなど「摂津編」と同じ編集で構成。江戸時代の奈良を知るためのビジュアルガイド。

『古地図が語る大災害』創元社・刊(2014年)

記憶の継承は防災の第一歩。京阪神を襲った数々の歴史的大災害を古地図から再現し、その脅威と向き合うサバイバル読本としてご活用ください。歴史に残る数々の南海トラフ大地震の他、直下型大地震、大火災、大水害の記録も併せて収録。

『カラー版大阪古地図むかし案内』(付録・元禄9年大坂大絵図)創元社・刊(2018年)

著者の古地図本の原点といえる旧版『大阪古地図むかし案内』に大幅加筆し、図版をオールカラーとした改訂版。江戸時代の大坂をエリアごとに紹介し、主要な江戸時代地図についての解説も収めた。

『大阪暮らしむかし案内』創元社・刊(2012年)

井原西鶴の浮世草子に添えられた挿絵を題材に、江戸時代の大坂の暮らしぶりを紹介。絵解きしながら、当時の庶民の日常と心情に触れられる一冊。

『大阪名所むかし案内』創元社・刊(2006年)

江戸時代の観光ガイドとして人気を博した名所図会。そこに描かれた名所絵を読み解くシリーズの最初の著書として書かれた一冊。『図典「摂津名所図会」を読む』のダイジェスト版としてお読みいただけます。全36景の図版掲載。

『奈良名所むかし案内』創元社・刊(2007年)

名所絵を読み解くシリーズの第2弾。テーマは「大和名所図会」。全30景の図版掲載。

『京都名所むかし案内』創元社・刊(2008年)

名所絵を読み解くシリーズの第3弾。テーマは「都名所図会」。全36景の図版掲載。

※その他の電子化されていないリアル書籍(古地図・地誌テーマ)一覧

『古地図でたどる 大阪24区の履歴書』140B・刊(2021年)

『大阪古地図パラダイス』(付録・吉田初三郎「大阪府鳥瞰図」)140B・刊(2013年)

『続・大阪古地図むかし案内』(付録・グレート大阪市全図2点)創元社・刊(2011年)

『続々・大阪古地図むかし案内』(付録・戦災地図・大阪商工地図)創元社・刊(2013年)

『アベノから大阪が見える』燃焼社・刊(2014)

『大阪人のプライド』東方出版・刊(2005)