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【開催延期】ナカノシマ大学6月講座 開催延期のお知らせ

2026年6月26日 金曜日

いつもナカノシマ大学をご受講いただき、ありがとうございます。

本日6月26日(金)18時に予定しておりました、ナカノシマ大学6月講座
「料理家・小林カツ代が広めた 大阪人『おいしい』の真髄」

は開催を延期させていただきます。

大阪市内の豪雨が収まらず、主要河川が増水し、鉄道など交通機関にも支障をきたしています。
講師と受講者のみなさまの安全を考え、延期せざるを得ないと判断しました。
直前のご連絡でまことに申し訳ありません。

延期ですので、改めて本田明子さんの講座をナカノシマ大学で開催いたします。
その時は改めてご案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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ナカノシマ大学事務局(株式会社140B)

思わぬ本に登場する「小林カツ代」の足あと(その2『古本食堂』)

2026年6月22日 月曜日

担当/中島 淳

最初にお断りしておくが(すんません)、ベストセラーとなった『三千円の使いかた』はもとより、原田ひ香の本を一度も読んだことがなかった。

原田ひ香『古本食堂』(2023年・ハルキ文庫・税込814円)

そういう意味でこの本は自分にとって「初モノ・原田ひ香小説」であり、「初モノ・小説のお題になった小林カツ代(他にもあるかもしれない)」でもある。

小林カツ代の著書が小説の中に取り上げられていると聞いて読んでみたが、それを抜きにしてもこの物語は面白かったし、原田ひ香という作家のストーリーテラーぶりがいかんなく発揮されている。あらすじ(文庫カバーから引用)はこんな感じだ。

鷹島珊瑚(たかしま・さんご)は両親を看取り、帯広でのんびり暮らしていた。そんな折、東京の神田神保町で小さな古書店を営んでいた兄の滋郎(じろう)が急逝。珊瑚がそのお店とビルを相続することになり、単身上京した。一方、珊瑚の親戚で国文科の大学院生・美希喜(みきき)は、生前滋郎の元に通っていたことから、素人の珊瑚の手伝いをすることに……。

カレー、中華など神保町の美味しい食と思いやり溢れる人々、奥深い本の魅力が一杯詰まった幸福な物語(後略)

 

この小説は神保町「すずらん通りから一本入ったところ」にある[鷹島古書店]を舞台に、6つの話で構成されている。

結構な年齢になってから北海道を出て上京し、「新米古書店店主」となった珊瑚と、滋郎がやっていたこの店が好きで、大叔母の珊瑚を盛り立てて店を存続させたい美希喜……ダブルヒロインのほほ笑ましい奮闘記として楽しく読めるが、サービス精神旺盛な原田ひ香がそれで済ませる訳がない。

物語の重要な小道具(わき役)として神保町界隈の「美味しいもの」と、「読みたくなる本」が登場人物の口から語られる。目次はこのような感じである。

第一話 小林カツ代『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』/三百年前のお寿司

第二話 本多勝一『極限の民族』/日本一のビーフカレー

第三話 橋口譲二『十七歳の地図』/揚げたてピロシキ

第四話 『お伽草子』/あつあつカレーパン

第五話 鹿島茂『馬車が買いたい!』/池波正太郎が愛した焼きそば

最終話 丸谷才一『輝く日の宮』/文豪たちが愛したビール

 

書いていたらひたすら腹が減ってきた。読めばもっと腹が鳴ってしまう小説だ。

*

第一話に登場する小林カツ代の著書は、料理レシピ本の中では異色な存在だということが物語の中で明らかにされる。

身なりもおしゃれで感じがよく、いかにもゆとりある専業主婦が珊瑚と美希喜のいる[鷹島古書店]にやって来て悩みを打ち明ける。「それなりに生活は裕福だけどお弁当作りに疲れた若い母親」という設定だ。

「子供が幼稚園に上がって、お弁当を作ることになったんですけど、前の日からお弁当の本に出てる材料を用意して、朝五時半に起きて、本の通りに作って……もうそれだけでくたくたになってしまう。材料はたくさん残るし、朝ご飯なんてもう作れなくて、夫と子供には牛乳とパンだけ食べさせて」

 彼女の目がうるんでいる。主婦にとっては死活問題なのかもしれない。

「もう、家にはお弁当の本が何十冊もずらっと並んでいるんです。夫に『これ、本屋開けるんじゃないか』ってからかわれるくらいで。もしかしたら、今、書店に並んでいるお弁当の本で幼児向けのやつ、ほとんど全部買ったかもしれません。本だけで何万も使ったと思います。それでも、できないものだから……こういう古本屋ならまだ知らない本があるんじゃないかと思って(後略)」

 

切実な主婦の叫びに対して、珊瑚が棚から出してきたのは1冊の文庫本だった。以下、珊瑚と主婦とのやりとり。

この本の初版は主婦と生活社から刊行された。こちらの文庫版は2022年発売(ハルキ文庫・税込924円)

「小林カツ代さん、知ってる?」

「あ、お名前だけは。ケンタロウさんのお母さんですよね」

「そう。もう亡くなられたけどね……この本の特徴はね、写真がないの」

「写真がない?」

 本を手渡された彼女はぱらぱらとめくる。確かに、ない。全部、文章だ。少しのイラストの他は細かい字で書いてある。(中略)

「かぼちゃのスピード煮とか、とり肉とかぼちゃの煮物とか、簡単にできて味がよくしみる、お弁当に入れるのにぴったりな煮物の作り方がたくさんでてるのよ。しかも、一つ覚えれば、それをジャガイモとか里芋とかで同じようにできるやり方なんかも書いてあるからアレンジできるはず」

 

「美しくて色とりどりで楽しそうなビジュアルのお弁当」の呪縛に振り回されていた主婦は、目からウロコが落ちたようにこの本を手に取るのだが、こっから先は『古本食堂』を読んでのお楽しみである。

*

 それでつい、この『ハッと驚くお弁当づくり』も買ってしまった。

初版は昭和59年(1984)。当時のタイトルが『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』だった。お弁当作りの「スタンダード」と言える傑作だったので、年数が経つとタイトル名も変えて新版が刊行され、38年後には別の版元から文庫版が出た。それでもこの物語の中で珊瑚が語っている「写真がない」「アレンジは自在」という本質は変わらない。

「もしかしたら、今回登壇される本田明子さんは、初版にもこの文庫版にもかかわっていたのでは?」

と思ったら「案の定」どころか、「お弁当」が小林カツ代と本田明子をつなぐ最重要アイテム、ということを、本田明子さんがこの文庫に寄稿した巻頭文から知る。それをこの後に書くのは字数が足りないので、次回のブログでご紹介させていただきます。

たまたま停まっていただけですが、ベンツやジャガーではなくトヨタセンチュリーっちゅうのが似合う建物

ナカノシマ大学はいよいよ今週金曜日(26日)となりました。場所は登録有形文化財の大阪倶楽部(1924年竣工)。地下鉄淀屋橋駅の10号出口(ちょうど真ん中らへん)を出てから5分もかからず行けます。

もう8割埋まっておりますので、どうぞお早めに!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

 

 

思わぬ本に登場する「小林カツ代」の足あと(その1『時代をきりひらいた日本の女たち』)

2026年6月21日 日曜日

担当/中島 淳

少ない材料、短い時間でも「美味しさ」は決して妥協せず、見事な一皿を作り出す方法を次々と考案し、「家庭料理に革命を起こした」と称賛され今もレシピ本が売れ続けている料理研究家・小林カツ代(1937〜2014)。

彼女は生涯で250点もの著書を上梓しているが(そのうち200点は6月26日のナカノシマ大学に登壇する、直弟子の本田明子さんが関わっている)、カツ代の没後もさまざまな著者・編者が、彼女の足跡をユニークな視点で紹介している。

*

B5判ハードカバー152ページ(2021年・岩崎書店・税込4,950円)

『時代をきりひらいた日本の女たち』 (小杉みのり・著/落合恵子・監修/朝野ペコ・イラスト)は子ども向けに書かれた近・現代女性の31人の人物評伝だが、大人が読んでも十分楽しめる。

とくに、初めて目にした名前の人が残したものの価値に、新鮮に驚くことができる。

興味のある人のページからつまみ食い的に読んでも楽しめるし(私はまず女優の杉村春子を読んだ)、人物の生年順に編集されているので、各人が生きた時代が前後の人物と重なる。

ページを進めるごとにその人が生きた時代のことがくっきりと浮かび上がってくるのが特徴だ(カッコ内は筆者が記入)。落合恵子さんの人選、ええですな。

広岡浅子(実業家・教育者)、荻野吟子(医師・女性運動家)、津田梅子(教育者)、樋口一葉(小説家)、羽仁もと子(ジャーナリスト)、上村松園(日本画家)、与謝野晶子(歌人・作家)、平塚らいてう(思想家・運動家)、市川房枝(政治家)、加藤シヅエ(政治家)、知里幸恵(アイヌ文化伝承者)、金子文子(アナーキスト)、杉村春子(俳優)、人見絹枝(陸上競技選手)、神谷美恵子(精神科医)、猿橋勝子(科学者)、長谷川町子(漫画家)、朝倉摂(舞台美術家)、越路吹雪(シャンソン歌手・舞台俳優)、茨木のり子(詩人)、石牟礼道子(小説家・環境運動家)、兼高かおる(ツーリストライター)、土井たか子(政治家)、高野悦子(岩波ホール総支配人)、若桑みどり(美術史家) 、増井光子(獣医師・動物園長) 、小林カツ代(料理研究家)、米沢冨美子(物理学者)、田部井淳子(登山家)、高田喜佐(シューズデザイナー) 、米原万里(同時通訳・エッセイスト)

「小林カツ代」のページより。全31人がこんなつかみで登場する

 

この本は値段が値段だったので図書館で借りたが、イラストがとても親しみやすくて可愛らしいし、4ページずつの人物紹介文の随所に小見出しが配置されていて、本当に読みやすい(子ども向けの本だから多くの漢字にルビが入っている)。

*

小林カツ代を紹介する「つかみ」はこんな感じだ。

 カツ代の登場前、料理研究家の紹介するレシピといえば、いくつもの手間をかけた時間のかかる料理だった。伝統的な和食や、おもてなしの西洋料理。それは、家庭料理の高い目標をしめすものだった。

 カツ代はそこへ、まったく新しい発想をもちこんだ。ずばり「早くてかんたん、安くておいしいレシピ」。

 社会には、はたらく女性が増えていた。カツ代は女性たちを家事の負担から解放し、家族のだれもが作れるようなアイデアレシピをつぎつぎに提案した。

 

そして、カツ代紹介文の小見出しは、以下このように続く。

味覚の原点は子ども時代/自分のみそ汁のまずさにびっくり/思いがけないテレビデビュー/「今日をのりこえる」レシピを作る/本物の味がわかるから型をやぶることができる/だれが作ったっていいじゃない

 

最後の見出しは、私らのようなオッサンに対するエールである。

カツ代さんはそれを行動に示し、「年配の男性に向けて料理教室を開催したり、非行に走った子どもの施設に足を運び、ボランティアで料理を教えたり。時間と労力をおしまず、『だれもが料理に親しんでほしい』という思いを行動にうつしていた」(同書の注釈より)

250に及ぶカツ代さんの著書ももちろんお薦めだけど(レシピ本や古本屋にもなかなか在庫がない=ファンが手放さない)、このような「出会い頭の小林カツ代」に触れると、また新しい発見があると思う。

6月26日(金)のナカノシマ大学「料理家・小林カツ代が広めた 大阪人『おいしい』の真髄」に登壇される本田明子さんは、この本のことをご存じだろうか? ぜひ感想を聞いてみたいものです。

お申し込みはこちらまで。あと10席ほどですのでぜひ♬

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

小林カツ代が本田明子さんを一瞬で弟子にした「立役者」

2026年6月1日 月曜日

担当/中島 淳

大阪生まれ大阪育ちで、それまでの「料理の常識」を覆しながら手間をかけない(けど圧倒的に美味い)レシピを世に送り出していった料理家・小林カツ代(1937〜2014)には唯一の「弟子」がいる。「助手」は他にもいたが、弟子は今回のナカノシマ大学で登壇される本田明子さんだけである。

会場は、登録有形文化財の大阪倶楽部3階3号室

本田さんは、『小林カツ代のらくらくクッキング』(1980年・文化出版局)を高校時代に読んで、レシピ通りに作ったらあまりにも美味しく出来たので、「私は天才だろうか!?」と思ったほどだとお会いした時にそう言っておられた。

カツ代レシピで「開眼」した本田さんは、短大卒業後に某大手証券会社(1980年代は給料もボーナスもスゴかったと聞く)に就職が内定していたが、「できればこの人に弟子入りしたい」とまで思っていた。というのも、彼女のホームタウンである東京都東久留米市には、「小林カツ代料理教室」があったからである。

しかし小林カツ代の主義は、「弟子はとらない」。

そのカツ代がひと目で本田さんを弟子にしたのは、何も彼女が「私はいかにカツ代先生のレシピを血肉化させて、家族や友人たちを喜ばせてきたか」みたいなプレゼンテーションをしたからではない。本田さんの「思わぬところ」を見て決めたのである。

*

小林カツ代は大阪・北堀江の製菓問屋の末娘として生まれ育った。父は船場の商家に丁稚奉公し、若くして大番頭に出世したが「婿入り」はせずに独立。母は料理と字の上手な「武家のお嬢さん」だった。出自の対照的な両親だったが、「美味しいもの好き」「人を差別しない」「戦争が大嫌い」というところは共通していた。

傑作。大阪の堀江や堺の百舌鳥などきめの細かい取材が素晴らしい。ピースボートのくだりは冒頭に登場

かつて『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』(文春文庫)の著者でノンフィクションライターの中原一歩さんを取材した際に語っていた言葉が印象に残っている。

「カツ代さんは若い人が好きなんです。大阪の“いいとこ”の子で否定されずに育ったから、決して他人も否定しない。肩書きで人を見るようなことは絶対にありませんでした」

中原さん自身、カツ代の全盛期にいきなり電話をかけて「年越しの世界一周クルーズの『ピースボート』に乗って、船上で黒豆を振る舞ってもらえませんか。ただしノーギャラで……」というとんでもないオファーをした人であるだけに(カツ代は快諾)、その言葉には説得力があった。

だから「弟子をとらない」という自らの信条はさておき、若い人と会うのはカツ代の楽しみでもあったので「とりあえず会う」ということになったという。1980年代前半のことである。

*

この頃カツ代の家では「ミーナ」「ボン太」という猫を飼っていた。「ミケ」という名の犬もいる。夫と小学生の娘と息子、猫2匹、犬1匹。でもそこで終わらなかった。

以下、小林カツ代が少女のために書いた、若き日の回想『虹色のフライパン』(1984年・国土社)から。

「小林カツ代の本は古本屋に出ない」その心は、読者が離さないから。この本も、いつも図書館で借りている

「マナは、手のひらにのる大きさだった黒白のねこ。助手のセツコさんがある雨の朝、玄関を入るなり、

『くる道に小さいねこが雨に打たれていましてね。捨てられたらしいです』といいつつ、私の顔をじっと見ました。

思わず、

『いいわよ』といってしまった私。このひと言で助手は外へとびだし、マナを拾ってきたというわけ。」

 

マナという名は、息子の健太郎さん(料理研究家のケンタロウ)が付けたそうである。

「聖書の中のマナというのは、神さまがくださった食物をさします。とても大切なものという意味です。

マナはめきめき大きくなり、ピッカピカになり、毛足は長く、じつにすてきなねこに成長しました。とても心の広い思いやりのあるねこで、ノラねこを連れてきて私に食事のさいそくをしたりしました。どんなねこにもやさしく、けっしてケンカをしませんでした。」

*

本田明子さんが小林カツ代宅を訪れたのは、そのマナがいた時期だった。

「うちにね、アコちゃんというゆかいな弟子がいるのですが、だいたい私は弟子をとらない主義だったのに、知り合いの人にたのまれて、会うだけ会いましょうということになったのです。うちへはじめてアコがきた日、マナがソファーで寝そべっていました。

彼女、入ってくるなり、あいさつもそこそこに、『アラー、ねこォ!』というなりだきあげました。それを見て、弟子はとらない主義なんか、ふわーっとどこかへ行ってしまい、『うん、いいよ』

かくしてアコはその日から毎日わが家へ。

ただね、仕事中もひょっひょっとねこと遊ぶんですなァ。といっても、これは師匠である私も同じで、そろって「かわいいっ」なんて、めいわく顔のねこをねこかわいがり。」

 

しかし、カツ代ファミリーと飼い猫マナとの楽しい時間はそう長くは続かなかった。

「ある雪の日、マナは帰ってきませんでした。つぎの日も、つぎの日も。何日も日が流れ、地域の小さい新聞に、マナさがしの広告をだしました。その結果は、悲しいしらせを私にもたらしました。マナは死んだと。」

*

「もし」の話をしたらキリがないけど、本田さんがカツ代宅を訪れた時にマナがソファーに寝そべっていなかったら(もっと言えば助手のセツコさんがマナを拾ってこなかったら)、「弟子・本田明子」は実現していなかったかもしれない。動物が大好きな小林カツ代にとっては、マナを抱き上げるという本田さんの無意識(だったと思う)の行動が、どんなに見事な自己PRより決定的だったのだ。

師弟のツーショット(NHKの番組より)。本田さんはカツ代を「話術の達人でしたがそれ以上に聞き上手。膨大なレシピは人の話を丁寧に聞き出して行ったからこその結果です」と評す

「小林カツ代を後世に伝える」というナカノシマ大学の主催者としては、「小林カツ代と弟子・本田明子をつなぐ」という決定的な仕事をした飼い猫マナに助演女優賞を贈りたいところである。いやほんまに。

……ここまで書いたのは、小林カツ代から見た「本田明子、弟子入りのエピソード」。本田さんから見たら、実はちょっと違っているのかもしれない。なのでそのあたりは、ぜひナカノシマ大学でご披露いただきたいところである。

あと4週間を切りましたので、ぜひ申し込みはお早めに。https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

5~6月の書店さんでのイベントのご案内

2026年5月17日 日曜日

昨年、
大垣書店イオンモールKYOTO店さんと
平和書店アル・プラザ彦根店(昨年はアル・プラザ城陽店)さん
で開催した書店イベントが今年も5月から6月にかけて開催されます

2店舗とも昨年より規模が大きくなった帰ってきました

●大垣書店イオンモールKYOTO店さん
 #会いにゆける出版社フェス2026
5/23(土)~6/30(火)
140Bの出張販売日:5/30-31、6/13-14の土日4日間
こちらもどうそ→「新刊さんいらっしゃい by うすもの談話室」

●平和書店アル・プラザ彦根店さん
 #まるっと初夏の本まつり
5/23(土)~6/21(日)
140Bの出張販売日:5/23-24の土日2日間

それぞれ店内に参加出版社の常設のフェア棚を展開、
期間中たくさんのイベント等が予定されています
参加出版社もイベント内容もそれそれ特色がありますので
詳細は各ホームページをご覧ください

それでは当日、売場でもお会い出来ることを楽しみにしております(青木)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月25日天神寄席は「短歌」で。ゲストは万葉研究のあの方

2026年5月11日 月曜日

担当/中島 淳

今年で13年目に入った、毎月25日に天満天神繁昌亭で開かれる「天神寄席」。

一つのテーマで貫かれた落語が4〜5席かかり、中入後はホスト役の髙島幸次先生(近世日本史専攻)と桂春若師匠を聞き手に、毎回ゲストが登壇して30分ほどの「鼎談」が行われる(その後がトリで大ネタ)。落語も面白いけど、この「鼎談」が聞きものです。

「どんな人がゲストで登壇し、どんな感想を話してくれるか」は聞き手の二人がうまいことコントロールして盛り上げようとするのだが、そうはいかない時もあって、それはそれで面白いのだ。

ということで、5月25日(月)の天神寄席「みそひともじ落語」について髙島先生から原稿が来ました。どぞ。

*

「万葉学」の大家は、落語の和歌を何とする(髙島幸次) 

「天神寄席」5月席の鼎談ゲストは、『万葉集』研究の第一人者、國學院大學教授の上野誠先生です。

上野先生は、去る2014年12月の「天神寄席」に出演してはるので、10余年ぶりのご登場、当時は、確か奈良大学教授やったけど。

先生の研究は、国文学だけやのうて、歴史学・民俗学・考古学など幅広い分野にも視野を広げ、「万葉集はことばの文化財」の立場から、独自の新しい『万葉集』の読み方を提示して評価されてはります。

また、その関心の幅広さは、研究分野に留まらんと、時には小説『天平グレート・ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(2015年/講談社文庫)を著したり、万葉オペラ『遣唐使物語』などの脚本を書いたり、数々のエッセイを執筆したり、はたまた、講演やラジオ・テレビなどでも、その深い研究成果を、解りやすく面白く披露してはるんです。

しかも、その幅広い活動は一時の気まぐれの寄り道ではないのです。エッセイで言えば、2022年の『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社文庫)で、日本エッセイスト・クラブ賞を受けはったし、MBSラジオ「上野誠の万葉歌ごよみ」(土曜朝5:30~5:45)という冠番組を担当してはるし。毎週、万葉歌一首を採り上げて解説、そのユニークな視点とソフトな語り口は、ネットで検索して聴いてみてください。

装丁は南伸坊。ええ味出まくりです

今回の天神寄席は、「万葉集」をテーマにして「和歌」の出てくる落語5席を楽しんでもらおと算段してます。

問題は、鼎談ですねん。落語のハチャメチャな歌の理解を、万葉研究の大家はどのように受け止めはるのか、興味津々、ちょっと怖い。

加えて、進行役の髙島としては、上野先生の関心の幅広さについていけるのか、話題の振れ先は予想が立たず、いまから心配しています。当日は髙島の困惑ぶりもお楽しみください。

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筆者としては、「誤魔化しようがないほど困惑した髙島先生の姿」というものを生きているうちにぜひ見てみたいので、当日はもちろん受付に入って、中入後の鼎談はしっかりと見届けたいと思っています。

「天神寄席」の受付はこちら→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260525

お待ちしております!

おせいさん(田辺聖子)の講座を、ゆかりの地・綿業会館で

2026年4月30日 木曜日

担当/中島 淳

5年間慣れ親しんだ「大阪府立中之島図書館でのナカノシマ大学」にしばし別れを告げて、久しぶりに「毎回、違う会場でナカノシマ大学を開催する」という日々がはじまった。

「あんなええ場所を離れて大丈夫やろか……」との不安はあったが、この界隈は近代名建築の密集エリアなので「講座にふさわしい会場」で開催することができるのはラッキーこの上なしなことである。

4月28日(火)、船場の芝川ビル(1927年竣工)で開催された4月講座「ニッカ誕生の芝川ビルで竹鶴政孝&ウヰスキーの宵」より、テイスティングで盛り上がる会場

そして5月は、大阪が生んだユーモア溢れる会話文の名手であり、万葉集や源氏物語を題材にしても数多くの作品を残す作家・田辺聖子(1928〜2019)にちなんだ講座「しんどい時代にこそ 田辺聖子を読みたい」を開催する。場所は「ダイビル」の名コンビ、渡辺節・村野藤吾の師弟が手がけた、綿業会館(重要文化財・1931年竣工)です。

福島の「写真館の娘」として生まれ育った庶民的キャラクターの田辺聖子と、船場を代表する綿業会館の取り合わせは意外に思われる向きもあるかもしれないが、ここは「竹鶴政孝(マッサン)と芝川ビル」と同様に、田辺聖子にとってはゆかりの場所だったのだ。

作家として独り立ちするまでに手足をバタつかせて奮闘する日々を描いた自伝的小説『しんこ細工の猿や雉』(文春文庫)には、この「綿業会館での芥川賞受賞記念パーティー」でのシーンが、最後の最後に綴られている。

綿業会館。正面玄関(左側)は三休橋筋に面している。右は備後町通

パーティーは1964(昭和39)年4月11日(土)に開催された。

 大阪の祝賀会では、会なかば、山崎豊子氏が、車でかけつけて下さった。空港へ原稿を持って行かれた帰りだそうである。氏は多彩的で、モノクロの写真で見るより、ずっと綺麗な人であった。二人で握手しているところを写真にとられた。

 

「山崎豊子と田辺聖子のツーショット」というのは、文化面の新聞記者にとってはヨダレが出そうなネタで、筆者も臨席していたら絶対にカメラを離さなかったであろう。

「綿業会館本館7階大会場」でのパーティーにより華を添える1シーンであるが、田辺聖子にとって決定的な場面がやって来るのは、その後である。

 このとき、一緒に候補になった、直木賞の方の川野彰子が来ていた。小太りでもっさりした着物を着て、俊敏そうな黒い眉をしていたが、子持ちの主婦らしいおちつきがあった。

 散会後、いつまでも綿業クラブの玄関に立っていたので「送りましょうか」といったら、

「主人が車持って来てくれてるはずですねん」

 とおっとりいっていた。しかし車はみえなかったので、川野サンの「主人」に、私はそのとき会うことができなかった。

 この男と、二年のちに私が結婚するとは、夢にも思わない。

 

川野彰子(かわの・しょうこ)については、生年が1927年だとする説と1928年だとする説があるので分からないが、綿業会館でのやりとりから半年も経たぬうちに、帰らぬ人となる。ウィキペディアには

 夫・川野純夫は、彰子と死別した後に作家の田辺聖子と再婚。田辺のエッセイに登場する「カモカのおっちゃん」のモデルとしても知られる。

と紹介されている。

講師の中周子先生(田辺聖子文学館館長)。とてもハイソな感じだが、「京都人なんですけど誰も信じてくれないんですよ(笑)」と語るざっくばらんなキャラの持ち主だ

それにしても、この綿業会館の玄関前での短い会話の中に、互いに牽制しながら、「女」が静かに火花を散らしているのがありありと伝わってきて(それはおせいさんの手練れの技術であるが)、実にわくわくさせてくれる。

なので、ナカノシマ大学で田辺聖子の講座を行うなら、大阪市内は綿業会館しかないと思っていたので、今回、5月23日(土)が空いていたのがとてもラッキーでした。

申し込みはすでに7割近く埋まっているので、お早めにどうぞ。

講座自体は14時からですが、13時から13時40分までは、綿業会館の館内見学もあるので(受付は12:30〜)ぜひお早めにお越しください。

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260523

 

 

 

 

天満の天神さんに「25年に一度」がやって来る

2026年4月9日 木曜日

140Bは、公益社団法人 上方落語協会が毎月25日に天満天神繁昌亭で開催する「天神寄席」を、2014年から全面協力でサポートしていますが、その「天神寄席」が2027年には大きな節目を迎える、というお話を、天神寄席プロデューサーでありブッキングコーディネーターであり鼎談のホストでもある髙島幸次先生が寄稿してくれました。ぜひご一読ください。

担当/髙島幸次

天満の天神さんと毎月25日

天満の天神さん 

 天神寄席4月席は、「天満の天神さん」がテーマです。

表門越しに拝殿を眺める。天神さんの参拝客にはたまらない景色だ

大阪天満宮の御祭神として知られる「天神様(菅原道真公)」の正式な御神号は「天満大自在天神」といいます。天神さんをお祀りする神社は、全国に12,000社もあるといい、その多くは、御神号の上の二字から「天満宮」「天満社」、あるいは下の二字から「天神宮」「天神社」などと呼ばれます。

大阪人は大阪天満宮のことを「天満の天神さん」と言いますが、この場合の「天満」は御神号ではなく地名です。なので、「天満の天神さん」を解りやすく言い換えると次のようになります。

「天満大自在天神」を祀る「天満宮」が鎮座することから「天満」と呼ばれるようになった地に「天満大自在天神」を祀っていることから「天神さん」と通称されている「大阪天満宮」

 

ということです。どこが解りやすいねん!

毎月25日 

 菅原道真公は、お誕生日が6月25日、右大臣から大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されたのが1月25日、亡くなったのが2月25日なので、全国の天満宮では「25」は特別な数字とされています。大阪天満宮の夏祭「天神祭」も江戸時代までは6月25日に行われ、明治の新暦採用以降に、それを7月25日に読み替えて斎行しているのです。

また、大阪天満宮の電話番号(下4桁)も0025です。他にも、道明寺天満宮は2525、京都の長岡天満宮は1025、福岡県の太宰府天満宮は8225、水田天満宮は8625、東京都の亀戸天神社はfax.が0025など、挙げれば切りがないのでこれくらいに。

「天満天神繁昌亭」の「天神寄席」も、天満宮への謝意を表すために毎月25日の夜席なのですが、それだけではありません。平安中期の延喜3年(903)に道真公が亡くなられたあと、天満宮では25年ごとの節目にも「式年大祭」を斎行してきました。

そして、来年4月には「菅原道真公御神退千百二十五年式年大祭」を迎えます(「御神退」とは、ご逝去後に神様になられたことを示します)。

この覆いが外れ、見事に葺き替えられた屋根がお目見えするのは今年の10月末だ。工事の状況はこちらから知ることができる→ https://osakatemmangu.or.jp/construction

 

現在、天満宮の本社で屋根の葺き替えが行われているのも、来年の式年大祭に向けた準備なのです。

*

そこで、来年の式年大祭をちょうど1年後に控えた今月25日の天神寄席では、大阪天満宮・天神祭・菅原道真公にまつわる落語・講談をお楽しみいただきます。

また、鼎談のゲストには寺井種治(たねはる)宮司をお迎えし、今後の繁昌亭とのかかわり方や、千年を越える悠久の歴史を受け継ぐことのご苦労などをお聞きします。

葺き替え後は、この風景がよりブラッシュアップした形でお目見え

鼎談の時間は、そこはそれ、25分ほどを予定しています。

初の春開催決定! 神保町ブックフェスティバル

2026年4月2日 木曜日

昨年秋、まさかの両日雨天中止となった「神保町ブックフェスティバル」が、
史上初の「春」開催となって開催決定です。

多くのお客さんと関係者の落胆の声を取り返しに140Bも出展します。

 #春の神保町ブックフェスティバル

 4/18(土)-19(日)
 11:00~17:00  神田すずらん通り

140Bは[B-北12]ワゴンです、たくさんお運びお待ちしています。
立ち読み、ひやかし、応援、差し入れ大歓迎です、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://osanpo-jimbo.com/info/6635305

4月講座の会場は芝川ビル、お題は「竹鶴・芝川・ウヰスキー」

2026年3月23日 月曜日

担当/中島 淳

ナカノシマ大学はこの3月講座まで5年間ほど、大阪府立中之島図書館3階多目的スペースで開催してきましたが、2026年度は同館の指定管理制度が変更となるため、お世話になった中之島図書館を離れ、この先は毎月、講座のテーマに見合った会場で開催します。

ナカノシマ大学は2009年10月から毎月(多い時は月2回)開催して今年で18年目を迎えますが、2021年5月までは毎回、テーマに見合った会場で開いていました。なので「本来の姿に戻る」ということですので、みなさんご心配なさらずに。

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伏見町通(左・東西)と心斎橋筋(右・南北)が交わる、一度見たら忘れられない中南米のデザイン

4月講座は「ジプシー開催」第1弾として、淀屋橋駅の南出口を出てすぐの場所にある登録有形文化財の「芝川ビル」で開催します。お題は「ニッカ誕生の芝川ビルで 竹鶴政孝&ウヰスキーの宵」。

周辺の建物が超高層ビルばかりになってしまったので、逆に高さはなくても芝川ビルの「わが道をゆく」感じが余計に目立って、まち歩きの人たちだけでなく、周辺ではたらく人たちにとっても注目の的です。

このビルの竣工は、キューバの英雄フィデル・カストロや日本の喜劇王・植木等と同い年の1927(昭和2)年。この4年前の1923(大正12)年に関東大震災が起こったので、とにかく「火災で延焼」ということがないように、強度のある鉄筋コンクリートでの建築が必須条件だった。

いまでもこのビルは相当に目立つのだから、当時の目立ちっぷりは尋常ではなかったと思う。それほどにぶっ飛んでいた。

今回の4月講座は、この芝川ビル99年の歴史の中でも、格別のドラマに彩られた1934(昭和9)年7月2日の「大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)」誕生の経緯を、フレンドリーな生き字引である千島土地(株)不動産事業部課長の川嵜(かわさき)千代さんに講義していただき、後半は、竹鶴が世界ブランドにつくり上げた「ニッカ」を知るならこの3杯を試飲してくださいということで、「竹鶴シニアアンバサダー」の金﨑愛子さんが各ウイスキーの解説をしてくれる。おつまみのチョコレート(同じ芝川ビルの[ブロードハースト])と一緒にどうぞ。

ナカノシマ大学2014年12月講座より。こんなグラスでテイスティングします

「試飲」といってもそれなりの量が入っているので、お酒はミニボトルのままお持ち帰りいただいてもぜんぜんOKです。楽しむことが第一。

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それにしても、芝川ビルの持ち主である芝川又四郎(1886〜1970)が純正ジャパニーズウイスキーを作ろうとした竹鶴政孝(1894〜1979)とどのようにして大阪で知り合い、竹鶴の冒険的事業の巨額の投資で後押しをするようになったのかについては、4月28日(火)の講座まで、何度か書いていきたいと思います。

とりあえず、今回はゆったり受講していただきたく、定員を50人に絞りますのでお早めに→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260428