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山崎豊子を語る4人の女性(2・小八木利子さんと香西順子さん)

2026年9月16日 水曜日

担当/中島 淳

このほど、文藝春秋から発売された山崎豊子の最新刊『作家・山崎豊子』には、「1」でご紹介したように相愛大学人文学部教授の荒井真理亜先生が図書館で発見した、相愛女学校時代(12〜17歳)に山崎豊子が書いた5篇の作文が全文掲載されている。

山崎豊子『作家・山崎豊子』文藝春秋

『作家・山崎豊子』(文藝春秋)はナカノシマ大学会場でも販売

『作家・山崎豊子』には「よくもこれだけたくさんあったもんだ」と驚くほどの未発表原稿がてんこ盛りであるが、読んでいて一番楽しかったのは、本のトリを飾る親族による座談会「山崎豊子生誕100年『おばは妖怪でした』」である(初出は『文藝春秋2024年11月号』)。

出席者は以下の通り

⚫︎山崎定樹さん(山崎豊子の甥=兄・定彦の息子)

⚫︎小八木利子さんと香西順子さん(山崎豊子の姪=長兄・正三の長女と次女)

⚫︎山﨑泰さん(山崎豊子の甥=弟・武の長男)

定樹さん、利子さん、順子さんにとって山崎豊子は「叔母」で、泰さんにとっては「伯母」。それで「おば」とひらがなで書かれている。

定樹さんにとって、私生活での山崎豊子は

「とても愛情深い人でした。特に、兄弟愛および甥っ子姪っ子に対する愛情というのは、人の三倍も四倍も、下手したら五倍ぐらい強い人で、だからみんな強烈な体験をしています。」

 

(太字は文藝春秋『作家・山崎豊子』から)だったそうで、順子さんによると

香西順子さん(文藝春秋提供)

「山崎家は祖母のます(豊子の母)が祖父よりも強かったんですね。祖母がゴッドマザーで、戦後は、おばが父親代わりみたいに弟たちの進学や就職を気にしていた。」

 

という。要は「山崎家の中心」で、それを支えていたのが豊子の母で彼らの祖母・ますだった。順子さんが続ける。

「おばがあの時代にしては珍しい、いわゆる良妻賢母型に収まらない生き方ができたのは、祖母がそれを許容したからだと思います。おばは若い頃から、家の中でも女性としての責務からは全部解放されていましたから。」

 

豊子が新聞記者から作家へと飛躍するにつれ、山崎家では完全に「別格」扱いされていた。利子さんは

「私たちの母が、祖母に小言をいろいろ言われて、『豊子さんもそうですがな』って言い返したら、『豊子は別や』。それが祖母の決め台詞でした。」

 

彼女たちの母親にとって豊子を守るますは「強大な壁のようなお姑さん」だったのだ。

そして定樹さんの記憶では

「台所に立っているのはいっぺんも見たことがない。」

 

だった。そして順子さんは

「あの時代にそういう生き方をさせた明治生まれの母親がいたことが大きかったと思う。」

 

と半ばリスペクトを込めて語っている。

豊子の母で彼らの祖母であるますはきっと、自分たちの世代が逆立ちしても手が届かなかった「スーパーキャリアウーマン」の娘が誇らしかったのではなかろうか。

豊子おばちゃんは家事はしない代わりに甥や姪たちに注ぐ愛情は桁外れだった。順子さんの記憶では

「私が高校に入学した時に、お祝いといって、その頃流行していた日本文学全集と世界文学全集を本棚ごと突然送ってきたんです。」

 

なかなかトゥーマッチな叔母だったことが分かる。

最年少の泰さんにとっては、伯母の豊子は物心ついた時はすでに人気作家。「いつもオーバーアクションで、笑顔で大きな声で話しかけてくれる人」だったらしい。

「『泰、おばちゃんの仕事何か知ってるか?』って聞かれて、そのたびに『作家』って答えるやり取りが何回もあって、ちょっと苦手やなと思いました。(中略)これまた言うの? と思って。」

 

「おばちゃん」が人気作家になってからの社会的プレッシャーは相当のものだっただろうから、馬鹿話ができる甥や姪との時間は何よりもかけがえのないものだったはず。泰さんがそのおばちゃんを本当に有名人だと実感したのは、年末おなじみの番組でテレビに映った伯母を観た時だった。

「確か、平成三(一九九一)年にNHKの紅白歌合戦の審査員でテレビに出たんですよね。それを見て、これは本当にすごい人なんやと思ったのは覚えています。」

 

すると、たたみかけるように利子さんが

「その前の昭和四十一(一九六六)年に紅白の審査員をやったときは、尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎)が隣の隣の席だったそうで、『メッチャ男前で色気があった』と、うっとりした顔をしてました。」

小八木利子さん(文藝春秋提供)

 

すかさず順子さんが

「イケメンが大好きだったからね(笑)。」

たしかに。

『白い巨塔』の財前五郎は田宮二郎、唐沢寿明、岡田准一が演じているし、『華麗なる一族』の万俵鉄平は仲代達矢、加山雄三、木村拓哉。『不毛地帯』の壱岐正は仲代達矢、平幹二朗。『二つの祖国(大河ドラマは「山河燃ゆ」)』の天羽賢治は九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)。『大地の子』の陸一心は上川隆也。『沈まぬ太陽』の恩地元は渡辺謙、上川隆也。『運命の人』の弓成亮太は本木雅弘……。

「どんだけイケメンが出るんや!?」と誰もが思ってしまう。それはそれで豊子おばちゃんの「書く力」の原動力になったのではなかろうか……。

彼女が阪神ファンだったかどうかは分からないが、「世界一美しいワインドアップ」と言われたあの左投手も大作家のお気に入りだったそうです。

9月26日(土)のナカノシマ大学では、姪の小八木利子さんと妹の香西順子さんのお二人が第2部に登壇して、「魅力的、でも大変なおば・山崎豊子」のお話をしていただけます。本の中でも利子さんが

「作品を読んでも、やっぱり自分の力で生きてる女性にものすごい敬意を表しているよね。」

とリスペクトしたら、すかさず妹の順子さんが

「その分、専業主婦には少し冷たかったと思うけど(笑)」

いけずで返しておられる。活字にはならなかったお話も含めて(絶対たくさん出そう)お楽しみください。

聞き手はこの本の編集者である文藝春秋の田中光子さん。次回はその田中さんのことを書かせていただきます。

ナカノシマ大学のお申し込みはこちら→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260926

山崎豊子を語る4人の女性(1・荒井真理亜さん)

2026年9月15日 火曜日

担当/中島 淳

これまでに、「山崎豊子」をテーマにしたナカノシマ大学を4回開催してきた。

100号の節目での人気投票で1位に輝いた号。奈路道程さんのイラストもキレッキレ。『月刊島民』は全36号すべてダウンロードして読めます

きっかけは今から10年前、『月刊島民』があった頃のこちらの第90号、特集「山崎豊子をあるく。」である。

私は島民の担当者ではなかったが、どういう訳か山崎豊子の特集が作りたくてたまらなくなり(たぶん『しぶちん』あたりを読んで「これや!」と思ったのだろう)、担当Oに頼んであちこち取材させてもらった。

大阪では、秘書だった野上孝子さん(1939〜2021)、船場の瓦町にあった頃の平岡珈琲店の小川清さん、毎日新聞大阪本社学芸部の有本忠浩さん。お江戸では最後の担当編集者で『約束の海』の矢代新一郎さんを新潮社で取材した。

『月刊島民』90号より

「中島ひとりに任せといたら危ないわ」と、当時20代だったもう一人の担当Eが「船場を描いた山崎豊子」や「山崎豊子年表ラブの書店員コメント1〜3」などをまとめてくれ、それに加えて「山崎豊子の出身校、相愛の先生」からも談話をもらってくれた。

その談話の方が、今回ナカノシマ大学に登壇する「4人の女性」の一人、相愛大学人文学部教授、荒井真理亜さんである。

山崎豊子『作家・山崎豊子』文藝春秋

『作家・山崎豊子』表紙は『大地の子』執筆中の写真(文藝春秋)

今年8月に発売された山崎豊子の最新刊『作家・山崎豊子』が誕生するに至った大きなきっかけは、荒井先生が2019年に相愛大学図書館の所蔵資料であった校友会誌『相愛』に、相愛女学校時代(1936〜41年)の山崎豊子が書いた作文数点を見つけたことである。

これまで山崎が残した資料では20~21歳の時に書かれた日記が知られているが、少女期の文章が発見されたのは初めてとみられる。

(毎日新聞2025年1月11日)

最新刊『作家・山崎豊子』には、校友会誌『相愛』に掲載された女学校時代の作文「淡路島」「海の夜情」「曠野」「雲」「現代の学生」など5篇が所収されているが、「ほんまに女学生が書いたんか!?」と思えるほど構成も描写も手練れな文章で、荒井さんは毎日新聞の取材に

「もうこの時期に、書くことや文筆業への憧れを持っていたのではないでしょうか」(同)

と答えている。この5篇や、文章に対する荒井先生の評はこの本に詳しく書かれているから『作家・山崎豊子』をぜひ読んでいただきたい。新潮社の編集者・前述の矢代さんは「『淡路島』は、『華麗なる一族』の冒頭をほうふつとさせる」と指摘していて、以下のように語っている。

荒井真理亜先生(相愛大学提供)

「多くの優れた作家は幼少の頃から作家としての自我を確立させているものですが、山崎さんもそうだった。12歳の時点ではっきりとそれがうかがえる点で貴重な資料といえます」(同)

これまでに、「山崎豊子」についてのナカノシマ大学を4回開催したと冒頭で書いたが、文藝春秋『大地の子』『運命の人』の編集者だった平尾隆弘さん(2016年/2025年)、新潮社の矢代さん(2024年)、そして彼女の秘書を50年以上続けた野上孝子さん(2018年。2021年没)など、大ベテランの方々に講師をお願いしてきた。作家が活躍した1950年代後半から2010年代前半までの時代を考えると、当然といえば当然であるが。

そういう意味では、若手の荒井先生が今回「山崎豊子を語る講師」として登壇してくださるというのは非常にうれしい。

しかも会場が山崎豊子が1936年から5年間通った同じ相愛なので、二重の楽しみと言えます。あとの3人の女性についてはまた後日に。

受講お申し込みはこちら→https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260926

9月26日(土)15時に、相愛大学本町キャンパスでお会いしましょう。

 

 

「笑顔でひとりゲリラ戦」の人、北尾修一さん

2026年9月7日 月曜日

担当/中島 淳

9月12日(土)に迫ったナカノシマ大学9月講座「本を作って売ろう  実践的! 出版講座」の講師、北尾修一さん(編集者・百万年書房代表)のことを知ったのは昨年3月。たまたま観ていた NHKニュース「おはよう日本」で、「新しい出版の形“ZINE”が若い世代の心を捉えている」みたいな内容だった。

2025年3月24日(月)NHKニュース「おはよう日本」より

ニュースではZINEを売り場の目玉として積極的に品揃えしている[有隣堂グラングリーン大阪店]を紹介するほか、ビルの屋上などで開かれている「ZINEフェア」の熱気を取材していた。

そのフェアに足繁く通い、新しい書き手を発掘しては本にして実績を挙げている編集者兼出版社の社長として、北尾修一さんをクローズアップしていた。

面白そうな内容だったので急いで録画し、何かの機会でお目にかかりたいなと思っていたが……「自分がやっている研究会に来てもらったらええんや」と思い、有志による出版の研究会をお江戸でやっていたので、百万年書房のHPでアドレスを調べ「東京でこんな研究会をやっていますが、よろしかったらお話しいただけますか?」とメールを送ったら、なんと6分後に快諾の返信が来た。早い!

研究会は彼自身の歯切れの良い「ZINEばなし」で大盛り上がり。その後の懇親会で、「大阪で『ナカノシマ大学』という市民講座をやっていますが、来阪のご予定があればぜひご登壇を」とお願いしたら、

「大阪はブックフェアや文学フリマでよく行っているので、ぜひお声がけください」とこれまたご快諾いただいて、12日(土)当日を迎えるに至っている。

9月12日(土)は、百万年書房の本も含めて販売する予定ですが、白瀬世奈の本は2刷も完売して10,000部を突破したそうで、3刷は間に合わず。残念(涙)

ナカノシマ大学を前に、北尾さんの著書や作った本を読んでいると、この人の持論である「出版はもっと自由なものだ」を体現していて、興味が尽きない。

『いつもより具体的な本づくりの話を。』(イースト・プレス)はナカノシマ大学当日にも会場で販売するので、ぜひ手に取ってページをめくり、この人の本づくりのスタンスに触れてほしい。

結構分厚い本だが、フォントが読みやすく行間もゆったりしている上に、新しい発見がてんこ盛りでかつ「腑に落ちる」文章なので、読み進むのが楽しみな1冊である。

とくにグッと刺さったのは、第2章(企画を立てる)の冒頭「企画と『企画っぽいもの』」の項。

 百万年書房を立ち上げてから、私は企画を考えたことがありません。

 はじめましての著者に、企画提案の手紙を書いたことも、数えるほど。

 そもそも仕事とプライベートの境目を見失っているので、普通に生活している中で、目の前をいろんな人や情報が通り過ぎるのを、マンボウみたいに揺れながらぼーっと眺めていて、「あ」と感じたものをつかまえて「これ本にしよう」と思い、粛々と本にするだけです。

 ひとりなので編集会議もありませんし、企画書を書くこともほとんどありません。

「もっと背伸びをして、日々の生活では遭遇しない人や情報を貪欲に吸収せなあかん」と思う人もいるかもしれませんが、無理するとなんか疲れちゃうんです。今のところ百万年書房は私ひとりなので、私が本をつくるのにイヤになってしまうと困るのです。

 それに、そもそも自分のキャパシティなんてたかが知れているので、少しくらい背伸びをしたところで大した企画が生まれるわけでもない、と思っています。

(北尾修一『いつもよりも具体的な本づくりの話を。』より)

さらに第9章(つくった本を育てる)の「編集者と消火活動」にはこんなことが書かれていて、目から鱗が落ちた。本が売れているとたまにトラブルを抱えることもある。そんな時にどうするかという一文だ。

 言い方を変えると、いつどこで問題が起きてもすぐ現場に駆けつけられるように、いかに自分をひまな状態に保つかが、編集者(と消防士)が普段心がけるべきことです。そう考えると、近頃の編集者はみんな忙しすぎ、本をつくりすぎ、たくさん企画を抱えすぎです。そんな生活だと、いざという時に本と著者を守れないのでは……?と思ってしまいます。

 編集者という仕事をこのように捉える人は昨今では珍しいかもしれませんが、でも原則的に考えるとそうなんです。いかに自分をひまにさせるかに知恵を絞る。それが自分の心身の健康だけでなく、良い本づくり、さらには天下泰平につながるのです。

(同)

 あれもこれもやってて忙しいわ……なんて言うとるからいつまで経ってもあかん、という戒めとして読んだ。

タイトルはポップだが「好きなことして生きていく」ための方策はお金の管理も含めて緻密なのがエラい

そして実際に北尾さんが編集した、二人の女性が書いた百万年書房の本。白瀬世奈『良い子でいたら幸せになれるんじゃなかったのかよ』と、平城さやか『ふつうに働けないからさ、好きなことして生きています。』

細かい感想はまたどこかで書きたいけど、両方とも今の時代の「リアル」がありありと浮かび上がってくる内容で、著者に共感して感情移入してしまい、夢中で読み終えてしまった。この二人はそれぞれ自費出版の本を出していて、それを北尾さんが見つけて、著書に結実されたのだろう。

いずれの本も、著者がブックデザインにまで関わっていることにも注目したい。

二人とも、SNSで「バズってる」ようなインフルエンサーでもなんでもない。大手出版社の編集会議では「知名度」というモノサシで真っ先に外される書き手だろう。東京の、何冊も本を出している知り合いの書き手が話していたことを思い出した。

「出版社の編集会議では、『その人のフォロワー数は何人?  本にするなら最低15万はほしいよね』みたいなことを必ず言われると聞きました」

 

お忙しいのをお構いなしに世田谷区の百万年書房代表にお邪魔したら、ええポーズを取ってくださった。感謝

他人がつくった指標ではなく、自分の肌感覚で「この人の原稿はおもしろいかどうか」。

北尾さんはそんな編集者としての「あたりまえ」をあらためて私たちに問うてくる。

当日が本当に楽しみであるが、質問が多すぎるだろうから、時間通りに終わるだろうか?

あと10人で締め切りますので、この機会をお見逃しなく→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260912

 

1998年に書いていた、古谷高治さんのこと

2026年7月30日 木曜日

担当/中島 淳

2009年に産声をあげたナカノシマ大学は、リアルな意味で「大阪の歴史がたり」の場所だと思っている。

「そんな話はこの人やないとアカンやろ」という人に登壇してもらい、古代から現代までの「大阪」のある部分をスパッと切り取って、受講者をその時代、その世界に引き込んでいく、という面白さがある。

最近では、黎明期からのアメ村に足繁く出入りして、「誰もやっていない仕事」を確立していったDJのMARK’Eさん(2024年8月講座)や、南海ホークスがあった当時の大阪球場の熱気を知る野球評論家の江本孟紀さん(2025年7月講座)たちのおかげで、私たちは「あまり知られていない大阪の歴史」に触れることができている。

7月22日(水)に登壇してくれた中川和彦さんは、心斎橋にスタンダードブックストアを開く前、「南海電車と御堂筋線を結ぶ通路沿い(髙島屋地下)の店で、発売日に雑誌を高層ビルのように積み上げては完売させていた」という2000年代前半のことを話してくれたが、当日受講していた20代の学生くんたちにとっては生まれる前のことだし、「雑誌がそんなにたくさん売れるんだ!?」ということも含めて「?」であったろう。

でも知らない時代を垣間見ることができたり、知っている時代の新たな見方ができたりするという体験を異なる世代の人と共有できる場は、主催者である私自身にとっても、うれしい限りである。

彼が店主をつとめるPARCOの地下2階[TANK酒場]にて

8月19日(水)に登壇される古谷高治さんは、90年代のアメ村[TANK GALLERY]の店主、2002〜19年まで続いた心斎橋のカフェ&ダイナー[digmeout]のカフェマスター、そして現在はPARCOの地下2階にある[TANK酒場]の店主であるが、この人が「いつもの場所」にいることに安心する客は、30数年前からずっと変わらず「とても幅広い世代」カバーしている。

私は江弘毅氏が編集長をしていたMeets Regional編集部に1996年から98年までの2年間在籍したが、当時のミーツには1970年代生まれの編集者が3人いて、古谷さんと同世代だったこともあって「きのう、古ちゃんの店で……」みたいな会話を編集室でよく聞いていた。

彼に対してはその程度のことしか知らなかったが、私が担当していた連載「ママいるぅ?」の作者である日限萬里子(ひぎり・まりこ/1942〜2005)さんはアメ村や堀江で若い人間が開いた店に足繁く顔を出しては面白い話を仕入れたり知っている人を紹介したりして店の人といい関係を作り、私との打ち合わせの時には「若い子がやっている面白いトコ」の話をあれこれ教えてくれた。

「アメリカ村をつくった人」と言われる日限さんを見て一番カッコええと思ったところは、「アメ村創世記メンバー」で固まったりサロンにしたり、自分が「名士」になったりせず(持ち上げて利用したい人はいたが)、常に「あたらしい、おもしろいコト(人)」を探して歩き回っていたことだろう。ミーハーでイケメン好き、お茶目なお姐さんで、「止まる」「退屈する」ことが嫌いな人だった。

Meets Regional1998年4月号「炭屋町 先駆者の系譜。」

日限さんの連載の中で、「アメリカ村」と呼ばれる前はアメリカンカジュアルで一世を風靡した石津謙介のブランド「ヴァンヂャケット(VAN)」があった街だと書かれていて、驚いた記憶がある。

てっきり東京の青山だと思っていたら、大阪発祥だった。

中学時代からVANの服に夢中になっていた私は「いつかはそのことを書いてみたい」とは思っていた。すると別なところから、かつて石津謙介のもとでVANのノベルティ(通学カバンやロッカーにVANのステッカーを貼るのが一種のステイタスだった)をあれこれ作っていた方に出会う機会ができて、日限さんと彼を引き合わせ、二人から60年代のアメ村の話を聞き、アメ村のあたらしい流れを作っている若い人の店も取材したりした。

その時に行った店の一つが古谷さんの[TANK GALLERY]である。今から28年前の『Meets Regional』1998年4月号に、以下のようなことを書いた。

ポツリポツリとあった店は、すき間がないほどに増え、ワーゲンのビートルが似合った街には、もはや駐車スペースが取れないほど、人が溢れている。もし20年ぶりにこの街に帰って来た人間がいたら、完璧に浦島太郎であろう。VANも[ループ(日限萬里子さんが1969年に開いたカフェ)]も炭屋町という名も今はなく、サーフボードを持った人間にこの街で会うこともまずない。街にやって来る人間は、驚くほど低年齢化している。

しかし日限萬里子さんは、相変わらずこの街に顔を出しては「あのコの店頑張ってるよ、いっぺん行かへん?」と周囲の人間をつねに挑発し続ける。

路地の奥にある[タンクギャラリー]の古谷高治さんは、10年ほど前から古着が好きで吹田からアメリカ村に来ていた。「母が南中学校(現在のビッグ・ステップの場所)の出身なので、この街には何となく親しみがあったんです」。店はカフェとギャラリーが一緒になったような形。お世辞にも広いとは言えないが、ここの和み感覚は抜群である。実際、相席になって最初は渋々隣に座っていた女の子同士が、いつの間にか話し込んでしまう、という光景も目にする。それは古谷さんの、来る者拒まずで人の橋渡しまでするキャラクターによるところが大きい。

この写真(撮影・バンリ)はバンリさんとMeets Regionalのご厚意で今回のナカノシマ大学のチラシにも転載している

「昔のアメリカ村の店員は恐かった。服が好きだし、商品知識がすごいし、いろいろ教えてくれた。でも今は、店側もとりあえず、来る側もとりあえず、ちょっと危ないよね」。貸しギャラリーや自分で展覧会をプロデュースするだけでなく、自分自身も表現者として活動する。来る側と迎える側とのいい意味での緊張関係を志向する。

日限さんの連載の愛読者だという彼は、カフェが社交場として強力な武器となることをわかっている。

(Meets Regional1998年4月号「炭屋町 先駆者の系譜」から)

原稿の出来はさておき、古谷さんの「たたずまい」も良さも28年前からまるで変わっていないことに驚く。

もちろん、いろいろな面で変わったというところは当然あるだろうが、肝心なところは変わっていない。

「大阪の街の人間」に会うと安心するのはそういうところ。中川さんやMARK’Eさん、[ザ・メロディ]の森本徹さん、[アラビヤコーヒー]の髙坂明郎さんなどにも同じ「安心」を感じてしまう。

古谷さんによる、1980年代から今日までの、アメ村〜心斎橋がたり、どうぞお楽しみに!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260819

 

「巻き込まれる渦を作る人」中川和彦さんのおもしろさ

2026年7月10日 金曜日

担当/中島 淳

「スタンダードブックストアの中川さんがナカノシマ大学に登壇します」

(たぶんこの人だったら知ってはるだろう)という人にチラシを見せると、案の定「あ〜!」と声を上げる人が多くて、そういう時はチラシを渡す手にも熱が加わる(暑いのにすみませんね)。

スタンダードブックストア(心斎橋店)がオープンしたのは2006年の12月。140Bの創業と同じ年だった。

それまで知っている中川和彦さんは、なんば髙島屋地下の書店[鉢の木]の店主だった。私が京阪神エルマガジン社の販売部にいた2000年代前半、「雑誌を摩天楼のように積んでは完売する」店として有名だったので(南海電車と地下鉄御堂筋線を結ぶ通路からすぐの場所だった)、SAVVYやMeets Regionalの人気特集が早々品切れになると、カートに雑誌数十冊をワイヤーで括り付けて直接納品する、という形で追加リクエストに応えていた。

そういう中川さんが、髙島屋地下の[鉢の木]とはぜんぜん趣が違う書店をつくられたのは知っていたし、新刊営業やイベントで何度もお邪魔はしていたが、本格的に「一緒に仕事をした」のはもう12年も前、2014年のことだ。

3月上旬の寒い時期だったように思う。書店員仲間の人たちと弊社にやって来られた。

「西加奈子さんの小説『円卓』がこの夏、関西の全民放テレビの制作で映画化されることが決まりましたんで、私ら大阪の書店員としては地元作家だし、目いっぱい盛り上げたい。できればこれを記念した、本屋で売れる本が作れないだろうか」

 

映画が公開されるまで3か月しかない!?  けれど切羽詰まった感じではない匂いがした。

西加奈子さんとは140Bもお付き合いがあった。

弊社が雑誌『大阪人』を編集していた頃(2011年4月〜12年3月)、9月号「旅する24区」では、ミナミのラウンジで女性の黒服として働いていた頃の話「ぎらぎら」を寄稿してくれて、読むたびにげらげらが止まらず、巻頭で掲載させてもらった。3月号「司馬遼太郎と大阪」では精神科医の名越康文さんとの対談に出演いただき、両者の司馬遼太郎観「人たらしの歴史オタク。大阪人なので醒めて見ているけど人間に優しい」という説に大きく頷いた。

雑誌『大阪人』2011年9月号(右)と2012年3月号

雑誌の中に西加奈子さんの作品や言葉があると、「華」も「活力」も「笑い」も加味される。とても貴重な作家に目をつけた中川さんたちの目はさすがであるが……自作の小説で忙しい作家の方に、こんな日程で新たな原稿を頼むのはハードルが高い。

映画が公開される6月下旬までに「西加奈子をテーマにした本」を完成させて書店の棚に並べられるかどうか……。イメージが湧かなかった。

しかし、中川さんや現場の熱気を知る書店員の人たちと弊社の長机でわいわい話をしているうちに、「このメンバーやったら面白いことができるのではないだろうか?」という気に、自然となったのもまた事実。それで、『大阪人』でも西さんの担当だった青山ゆみこさんに編集をお願いし、A5判36p(表紙4p+本文32p・2色刷り)というボリュームで刊行することになった。

著者(編者)は「大阪の本屋実行委員会」、タイトルは『西加奈子と地元の本屋』。発売は「映画が封切られる前の6月中旬」とした。

タイトルを考えても巻頭は西加奈子さんに登場してもらわねば。

「対談だったらスケジュールを調整してくれるのでは」ということで、西区江戸堀[Calo B00kshop & Cafe]の店主、石川あき子さんが主催していたイベント「書店員ナイト・リターンズ」の目玉企画にこの対談を入れ込んでいただき、スタンダードブックストア心斎橋で開催することになった。

「西さんと誰かの公開対談」がこの本に収録されたら面白いことになるわ……と盛り上がってきた頃に、お相手が芥川賞作家の津村記久子さんと決まって(西さんは対談で、「うち、作家界で津村記久子の一番のファンだと思うんです。全作品コンプリートしてるし」と語っている)、スタッフの盛り上がりも最高潮となって当日を迎えた。

地下の入り口から。奥はすでに満杯となっている(2014年4月18日)

2014年4月18日(金)「書店員ナイト・リターンズ」。

書店員を中心に、取次関係者、編集者、スタンダードブックストアの常連客など180人の本好きが集まった。このシーンを映像にしようと映画『円卓 こっこ、ひと夏のイマジン』の製作委員会に入っているMBSも撮影スタッフやアナウンサーまで投入して、熱心にカメラを回していた。

スタンダードブックストアで4桁のイベントを開催している中川さんは、怒濤のように押し寄せる来場客を相手に手慣れた司会ぶりでさすがやなぁ〜と思ったが、それ以上に感心したのは、書店員やお客さんだけにではなく、トーハンや日販など取引のない販売会社(=取次。スタンダードは「大阪屋」と取引していた)の人とも気軽に会話していたことである。これまでに見ないタイプの書店人だった。

登壇者の緊張を抜く絶妙の合いの手を入れる中川さん

「書店員ナイト・リターンズ」の大きな山を越え、青山さんは対談の構成と原稿まとめの作業、阪神間・神戸を含む大阪市内・府下40エリアの書店員のみなさんには「ウチの店ではこんな本が売れている」アンケートをせっせと書いていただいてすぐに原稿にしたり、地元書店員7人による「ぶっちゃけ座談会」を開いたり、サイン会などで西加奈子ファミリーとも面識のある、ご存じ紀伊国屋書店梅田本店の「アニキ」百々典孝(どど・のりたか)さんからは「いつかは跨ぐぞ! 西加奈子宅の敷居」という愛がほとばしりまくりの原稿を書いてもらったりして、超薄型の本には似つかわしくないほど濃くてアツい仕上がりとなった。

6/6(金)見本出し、11(水)取次搬入、13(金)発売。

初版は「文芸関連書」にしては異例の10,000部。たぶん中川さんが取次各社に根回ししてくれたのだろう。そうでないとこんな部数はありえない。6月21日(土)の映画公開日にも間に合ったし、試写会の会場でもたくさん売っていただいて、いつの間にか在庫がなくなってしまう。しかし増刷しようにも定価が安すぎた。

イラストは神戸市のごみ分別キャラ「ワケトン」やQBBチーズでおなじみのザ・ロケット・ゴールド・スター、デザインは雑誌『Talking Rock!』の田中直美

この本は「映画公開前&公開中に売り切る部数」という見込みで増刷は端から考えていなかった。この税込380円(今なら387円)の本は、5,000部増刷した場合2,600部以上売らないと採算が取れない。

「初版本をそんなに取ってくれるんなら12,000部ぐらい刷っとけばよかったなぁ〜」というのも後の祭りである。

なんだかんだと私自身の失敗も多かったが、それでも今この本を開いて読むと、12年前の、古河大阪ビルの会議室でやいのやいの言いながらページを考えていった熱がそのまま伝わってくる(400円でお釣りが来る本だとは信じ難い)。それは、中川さんが起こした「渦」に巻き込まれていくことが、けっこう楽しかったからだと言える。

ラストページには、7人の書店員&取次社員の「大阪の本屋実行委員会 おそるおそる立ち上げ編集後記」が書かれていて、最後は中川さんの一文で締められている。

本屋の厳しい現状には諸事情あろうが、本屋側の責任も大だと常々考えていた。環境の変化は激しいが、本屋だけに訪れているのではない。小売業は変化対応業。脱皮できなければ死ぬだけだ。西加奈子さんの『円卓』の映画化を機にひょんなことからこの出版物の制作が始まった。大阪の本屋の熱い想いが詰まっている。本屋が自ら本をつくることに違和感はない。これが脱皮の一歩となることを切に願う。そして大きなうねりになることを。新しい衣を纏った新世代の本屋、そして取次よ、今こそ力を結集しよう!

 

[スタンダードブックストア]という店舗は現在、大阪にはないけれど、中川さんはこの言葉通りのことを実践しながら各地で「古本屋台」に出張し、7月22日(水)のナカノシマ大学にも本とお酒(ソフトドリンクも)を持ち込んで話をしてくれる。講義中も、本もお酒も買えるのはスタンダードブックストアとまんま一緒だ。

盛夏の夕暮れ、芝川ビルのモダンテラスに中川さんの「本屋」が登場するなんて、ちょっと楽しみでしょ。

申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260722

 

【開催延期】ナカノシマ大学6月講座 開催延期のお知らせ

2026年6月26日 金曜日

いつもナカノシマ大学をご受講いただき、ありがとうございます。

本日6月26日(金)18時に予定しておりました、ナカノシマ大学6月講座
「料理家・小林カツ代が広めた 大阪人『おいしい』の真髄」

は開催を延期させていただきます。

大阪市内の豪雨が収まらず、主要河川が増水し、鉄道など交通機関にも支障をきたしています。
講師と受講者のみなさまの安全を考え、延期せざるを得ないと判断しました。
直前のご連絡でまことに申し訳ありません。

延期ですので、改めて本田明子さんの講座をナカノシマ大学で開催いたします。
その時は改めてご案内させていただきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
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ナカノシマ大学事務局(株式会社140B)

思わぬ本に登場する「小林カツ代」の足あと(その2『古本食堂』)

2026年6月22日 月曜日

担当/中島 淳

最初にお断りしておくが(すんません)、ベストセラーとなった『三千円の使いかた』はもとより、原田ひ香の本を一度も読んだことがなかった。

原田ひ香『古本食堂』(2023年・ハルキ文庫・税込814円)

そういう意味でこの本は自分にとって「初モノ・原田ひ香小説」であり、「初モノ・小説のお題になった小林カツ代(他にもあるかもしれない)」でもある。

小林カツ代の著書が小説の中に取り上げられていると聞いて読んでみたが、それを抜きにしてもこの物語は面白かったし、原田ひ香という作家のストーリーテラーぶりがいかんなく発揮されている。あらすじ(文庫カバーから引用)はこんな感じだ。

鷹島珊瑚(たかしま・さんご)は両親を看取り、帯広でのんびり暮らしていた。そんな折、東京の神田神保町で小さな古書店を営んでいた兄の滋郎(じろう)が急逝。珊瑚がそのお店とビルを相続することになり、単身上京した。一方、珊瑚の親戚で国文科の大学院生・美希喜(みきき)は、生前滋郎の元に通っていたことから、素人の珊瑚の手伝いをすることに……。

カレー、中華など神保町の美味しい食と思いやり溢れる人々、奥深い本の魅力が一杯詰まった幸福な物語(後略)

 

この小説は神保町「すずらん通りから一本入ったところ」にある[鷹島古書店]を舞台に、6つの話で構成されている。

結構な年齢になってから北海道を出て上京し、「新米古書店店主」となった珊瑚と、滋郎がやっていたこの店が好きで、大叔母の珊瑚を盛り立てて店を存続させたい美希喜……ダブルヒロインのほほ笑ましい奮闘記として楽しく読めるが、サービス精神旺盛な原田ひ香がそれで済ませる訳がない。

物語の重要な小道具(わき役)として神保町界隈の「美味しいもの」と、「読みたくなる本」が登場人物の口から語られる。目次はこのような感じである。

第一話 小林カツ代『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』/三百年前のお寿司

第二話 本多勝一『極限の民族』/日本一のビーフカレー

第三話 橋口譲二『十七歳の地図』/揚げたてピロシキ

第四話 『お伽草子』/あつあつカレーパン

第五話 鹿島茂『馬車が買いたい!』/池波正太郎が愛した焼きそば

最終話 丸谷才一『輝く日の宮』/文豪たちが愛したビール

 

書いていたらひたすら腹が減ってきた。読めばもっと腹が鳴ってしまう小説だ。

第一話に登場する小林カツ代の著書は、料理レシピ本の中では異色な存在だということが物語の中で明らかにされる。

身なりもおしゃれで感じがよく、いかにもゆとりある専業主婦が珊瑚と美希喜のいる[鷹島古書店]にやって来て悩みを打ち明ける。「それなりに生活は裕福だけどお弁当作りに疲れた若い母親」という設定だ。

「子供が幼稚園に上がって、お弁当を作ることになったんですけど、前の日からお弁当の本に出てる材料を用意して、朝五時半に起きて、本の通りに作って……もうそれだけでくたくたになってしまう。材料はたくさん残るし、朝ご飯なんてもう作れなくて、夫と子供には牛乳とパンだけ食べさせて」

 彼女の目がうるんでいる。主婦にとっては死活問題なのかもしれない。

「もう、家にはお弁当の本が何十冊もずらっと並んでいるんです。夫に『これ、本屋開けるんじゃないか』ってからかわれるくらいで。もしかしたら、今、書店に並んでいるお弁当の本で幼児向けのやつ、ほとんど全部買ったかもしれません。本だけで何万も使ったと思います。それでも、できないものだから……こういう古本屋ならまだ知らない本があるんじゃないかと思って(後略)」

 

切実な主婦の叫びに対して、珊瑚が棚から出してきたのは1冊の文庫本だった。以下、珊瑚と主婦とのやりとり。

この本の初版は主婦と生活社から刊行された。こちらの文庫版は2022年発売(ハルキ文庫・税込924円)

「小林カツ代さん、知ってる?」

「あ、お名前だけは。ケンタロウさんのお母さんですよね」

「そう。もう亡くなられたけどね……この本の特徴はね、写真がないの」

「写真がない?」

 本を手渡された彼女はぱらぱらとめくる。確かに、ない。全部、文章だ。少しのイラストの他は細かい字で書いてある。(中略)

「かぼちゃのスピード煮とか、とり肉とかぼちゃの煮物とか、簡単にできて味がよくしみる、お弁当に入れるのにぴったりな煮物の作り方がたくさんでてるのよ。しかも、一つ覚えれば、それをジャガイモとか里芋とかで同じようにできるやり方なんかも書いてあるからアレンジできるはず」

 

「美しくて色とりどりで楽しそうなビジュアルのお弁当」の呪縛に振り回されていた主婦は、目からウロコが落ちたようにこの本を手に取るのだが、こっから先は『古本食堂』を読んでのお楽しみである。

 それでつい、この『ハッと驚くお弁当づくり』も買ってしまった。

初版は昭和59年(1984)。当時のタイトルが『お弁当づくり ハッと驚く秘訣集』だった。お弁当作りの「スタンダード」と言える傑作だったので、年数が経つとタイトル名も変えて新版が刊行され、38年後には別の版元から文庫版が出た。それでもこの物語の中で珊瑚が語っている「写真がない」「アレンジは自在」という本質は変わらない。

「もしかしたら、今回登壇される本田明子さんは、初版にもこの文庫版にもかかわっていたのでは?」

と思ったら「案の定」どころか、「お弁当」が小林カツ代と本田明子をつなぐ最重要アイテム、ということを、本田明子さんがこの文庫に寄稿した巻頭文から知る。それをこの後に書くのは字数が足りないので、次回のブログでご紹介させていただきます。

たまたま停まっていただけですが、ベンツやジャガーではなくトヨタセンチュリーっちゅうのが似合う建物

ナカノシマ大学はいよいよ今週金曜日(26日)となりました。場所は登録有形文化財の大阪倶楽部(1924年竣工)。地下鉄淀屋橋駅の10号出口(ちょうど真ん中らへん)を出てから5分もかからず行けます。

もう8割埋まっておりますので、どうぞお早めに!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

 

 

思わぬ本に登場する「小林カツ代」の足あと(その1『時代をきりひらいた日本の女たち』)

2026年6月21日 日曜日

担当/中島 淳

少ない材料、短い時間でも「美味しさ」は決して妥協せず、見事な一皿を作り出す方法を次々と考案し、「家庭料理に革命を起こした」と称賛され今もレシピ本が売れ続けている料理研究家・小林カツ代(1937〜2014)。

彼女は生涯で250点もの著書を上梓しているが(そのうち200点は6月26日のナカノシマ大学に登壇する、直弟子の本田明子さんが関わっている)、カツ代の没後もさまざまな著者・編者が、彼女の足跡をユニークな視点で紹介している。

B5判ハードカバー152ページ(2021年・岩崎書店・税込4,950円)

『時代をきりひらいた日本の女たち』 (小杉みのり・著/落合恵子・監修/朝野ペコ・イラスト)は子ども向けに書かれた近・現代女性の31人の人物評伝だが、大人が読んでも十分楽しめる。

とくに、初めて目にした名前の人が残したものの価値に、新鮮に驚くことができる。

興味のある人のページからつまみ食い的に読んでも楽しめるし(私はまず女優の杉村春子を読んだ)、人物の生年順に編集されているので、各人が生きた時代が前後の人物と重なる。

ページを進めるごとにその人が生きた時代のことがくっきりと浮かび上がってくるのが特徴だ(カッコ内は筆者が記入)。落合恵子さんの人選、ええですな。

広岡浅子(実業家・教育者)、荻野吟子(医師・女性運動家)、津田梅子(教育者)、樋口一葉(小説家)、羽仁もと子(ジャーナリスト)、上村松園(日本画家)、与謝野晶子(歌人・作家)、平塚らいてう(思想家・運動家)、市川房枝(政治家)、加藤シヅエ(政治家)、知里幸恵(アイヌ文化伝承者)、金子文子(アナーキスト)、杉村春子(俳優)、人見絹枝(陸上競技選手)、神谷美恵子(精神科医)、猿橋勝子(科学者)、長谷川町子(漫画家)、朝倉摂(舞台美術家)、越路吹雪(シャンソン歌手・舞台俳優)、茨木のり子(詩人)、石牟礼道子(小説家・環境運動家)、兼高かおる(ツーリストライター)、土井たか子(政治家)、高野悦子(岩波ホール総支配人)、若桑みどり(美術史家) 、増井光子(獣医師・動物園長) 、小林カツ代(料理研究家)、米沢冨美子(物理学者)、田部井淳子(登山家)、高田喜佐(シューズデザイナー) 、米原万里(同時通訳・エッセイスト)

「小林カツ代」のページより。全31人がこんなつかみで登場する

 

この本は値段が値段だったので図書館で借りたが、イラストがとても親しみやすくて可愛らしいし、4ページずつの人物紹介文の随所に小見出しが配置されていて、本当に読みやすい(子ども向けの本だから多くの漢字にルビが入っている)。

小林カツ代を紹介する「つかみ」はこんな感じだ。

 カツ代の登場前、料理研究家の紹介するレシピといえば、いくつもの手間をかけた時間のかかる料理だった。伝統的な和食や、おもてなしの西洋料理。それは、家庭料理の高い目標をしめすものだった。

 カツ代はそこへ、まったく新しい発想をもちこんだ。ずばり「早くてかんたん、安くておいしいレシピ」。

 社会には、はたらく女性が増えていた。カツ代は女性たちを家事の負担から解放し、家族のだれもが作れるようなアイデアレシピをつぎつぎに提案した。

 

そして、カツ代紹介文の小見出しは、以下このように続く。

味覚の原点は子ども時代/自分のみそ汁のまずさにびっくり/思いがけないテレビデビュー/「今日をのりこえる」レシピを作る/本物の味がわかるから型をやぶることができる/だれが作ったっていいじゃない

 

最後の見出しは、私らのようなオッサンに対するエールである。

カツ代さんはそれを行動に示し、「年配の男性に向けて料理教室を開催したり、非行に走った子どもの施設に足を運び、ボランティアで料理を教えたり。時間と労力をおしまず、『だれもが料理に親しんでほしい』という思いを行動にうつしていた」(同書の注釈より)

250に及ぶカツ代さんの著書ももちろんお薦めだけど(レシピ本や古本屋にもなかなか在庫がない=ファンが手放さない)、このような「出会い頭の小林カツ代」に触れると、また新しい発見があると思う。

6月26日(金)のナカノシマ大学「料理家・小林カツ代が広めた 大阪人『おいしい』の真髄」に登壇される本田明子さんは、この本のことをご存じだろうか? ぜひ感想を聞いてみたいものです。

お申し込みはこちらまで。あと10席ほどですのでぜひ♬

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

小林カツ代が本田明子さんを一瞬で弟子にした「立役者」

2026年6月1日 月曜日

担当/中島 淳

大阪生まれ大阪育ちで、それまでの「料理の常識」を覆しながら手間をかけない(けど圧倒的に美味い)レシピを世に送り出していった料理家・小林カツ代(1937〜2014)には唯一の「弟子」がいる。「助手」は他にもいたが、弟子は今回のナカノシマ大学で登壇される本田明子さんだけである。

会場は、登録有形文化財の大阪倶楽部3階3号室

本田さんは、『小林カツ代のらくらくクッキング』(1980年・文化出版局)を高校時代に読んで、レシピ通りに作ったらあまりにも美味しく出来たので、「私は天才だろうか!?」と思ったほどだとお会いした時にそう言っておられた。

カツ代レシピで「開眼」した本田さんは、短大卒業後に某大手証券会社(1980年代は給料もボーナスもスゴかったと聞く)に就職が内定していたが、「できればこの人に弟子入りしたい」とまで思っていた。というのも、彼女のホームタウンである東京都東久留米市には、「小林カツ代料理教室」があったからである。

しかし小林カツ代の主義は、「弟子はとらない」。

そのカツ代がひと目で本田さんを弟子にしたのは、何も彼女が「私はいかにカツ代先生のレシピを血肉化させて、家族や友人たちを喜ばせてきたか」みたいなプレゼンテーションをしたからではない。本田さんの「思わぬところ」を見て決めたのである。

小林カツ代は大阪・北堀江の製菓問屋の末娘として生まれ育った。父は船場の商家に丁稚奉公し、若くして大番頭に出世したが「婿入り」はせずに独立。母は料理と字の上手な「武家のお嬢さん」だった。出自の対照的な両親だったが、「美味しいもの好き」「人を差別しない」「戦争が大嫌い」というところは共通していた。

傑作。大阪の堀江や堺の百舌鳥などきめの細かい取材が素晴らしい。ピースボートのくだりは冒頭に登場

かつて『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』(文春文庫)の著者でノンフィクションライターの中原一歩さんを取材した際に語っていた言葉が印象に残っている。

「カツ代さんは若い人が好きなんです。大阪の“いいとこ”の子で否定されずに育ったから、決して他人も否定しない。肩書きで人を見るようなことは絶対にありませんでした」

中原さん自身、カツ代の全盛期にいきなり電話をかけて「年越しの世界一周クルーズの『ピースボート』に乗って、船上で黒豆を振る舞ってもらえませんか。ただしノーギャラで……」というとんでもないオファーをした人であるだけに(カツ代は快諾)、その言葉には説得力があった。

だから「弟子をとらない」という自らの信条はさておき、若い人と会うのはカツ代の楽しみでもあったので「とりあえず会う」ということになったという。1980年代前半のことである。

この頃カツ代の家では「ミーナ」「ボン太」という猫を飼っていた。「ミケ」という名の犬もいる。夫と小学生の娘と息子、猫2匹、犬1匹。でもそこで終わらなかった。

以下、小林カツ代が少女のために書いた、若き日の回想『虹色のフライパン』(1984年・国土社)から。

「小林カツ代の本は古本屋に出ない」その心は、読者が離さないから。この本も、いつも図書館で借りている

「マナは、手のひらにのる大きさだった黒白のねこ。助手のセツコさんがある雨の朝、玄関を入るなり、

『くる道に小さいねこが雨に打たれていましてね。捨てられたらしいです』といいつつ、私の顔をじっと見ました。

思わず、

『いいわよ』といってしまった私。このひと言で助手は外へとびだし、マナを拾ってきたというわけ。」

 

マナという名は、息子の健太郎さん(料理研究家のケンタロウ)が付けたそうである。

「聖書の中のマナというのは、神さまがくださった食物をさします。とても大切なものという意味です。

マナはめきめき大きくなり、ピッカピカになり、毛足は長く、じつにすてきなねこに成長しました。とても心の広い思いやりのあるねこで、ノラねこを連れてきて私に食事のさいそくをしたりしました。どんなねこにもやさしく、けっしてケンカをしませんでした。」

本田明子さんが小林カツ代宅を訪れたのは、そのマナがいた時期だった。

「うちにね、アコちゃんというゆかいな弟子がいるのですが、だいたい私は弟子をとらない主義だったのに、知り合いの人にたのまれて、会うだけ会いましょうということになったのです。うちへはじめてアコがきた日、マナがソファーで寝そべっていました。

彼女、入ってくるなり、あいさつもそこそこに、『アラー、ねこォ!』というなりだきあげました。それを見て、弟子はとらない主義なんか、ふわーっとどこかへ行ってしまい、『うん、いいよ』

かくしてアコはその日から毎日わが家へ。

ただね、仕事中もひょっひょっとねこと遊ぶんですなァ。といっても、これは師匠である私も同じで、そろって「かわいいっ」なんて、めいわく顔のねこをねこかわいがり。」

 

しかし、カツ代ファミリーと飼い猫マナとの楽しい時間はそう長くは続かなかった。

「ある雪の日、マナは帰ってきませんでした。つぎの日も、つぎの日も。何日も日が流れ、地域の小さい新聞に、マナさがしの広告をだしました。その結果は、悲しいしらせを私にもたらしました。マナは死んだと。」

「もし」の話をしたらキリがないけど、本田さんがカツ代宅を訪れた時にマナがソファーに寝そべっていなかったら(もっと言えば助手のセツコさんがマナを拾ってこなかったら)、「弟子・本田明子」は実現していなかったかもしれない。動物が大好きな小林カツ代にとっては、マナを抱き上げるという本田さんの無意識(だったと思う)の行動が、どんなに見事な自己PRより決定的だったのだ。

師弟のツーショット(NHKの番組より)。本田さんはカツ代を「話術の達人でしたがそれ以上に聞き上手。膨大なレシピは人の話を丁寧に聞き出して行ったからこその結果です」と評す

「小林カツ代を後世に伝える」というナカノシマ大学の主催者としては、「小林カツ代と弟子・本田明子をつなぐ」という決定的な仕事をした飼い猫マナに助演女優賞を贈りたいところである。いやほんまに。

……ここまで書いたのは、小林カツ代から見た「本田明子、弟子入りのエピソード」。本田さんから見たら、実はちょっと違っているのかもしれない。なのでそのあたりは、ぜひナカノシマ大学でご披露いただきたいところである。

あと4週間を切りましたので、ぜひ申し込みはお早めに。https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

5~6月の書店さんでのイベントのご案内

2026年5月17日 日曜日

昨年、
大垣書店イオンモールKYOTO店さんと
平和書店アル・プラザ彦根店(昨年はアル・プラザ城陽店)さん
で開催した書店イベントが今年も5月から6月にかけて開催されます

2店舗とも昨年より規模が大きくなった帰ってきました

●大垣書店イオンモールKYOTO店さん
 #会いにゆける出版社フェス2026
5/23(土)~6/30(火)
140Bの出張販売日:5/30-31、6/13-14の土日4日間
こちらもどうそ→「新刊さんいらっしゃい by うすもの談話室

●平和書店アル・プラザ彦根店さん
 #まるっと初夏の本まつり
5/23(土)~6/21(日)
140Bの出張販売日:5/23-24の土日2日間

それぞれ店内に参加出版社の常設のフェア棚を展開、
期間中たくさんのイベント等が予定されています
参加出版社もイベント内容もそれそれ特色がありますので
詳細は各ホームページをご覧ください

それでは当日、売場でもお会い出来ることを楽しみにしております(青木