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小林カツ代が本田明子さんを一瞬で弟子にした「立役者」

2026年6月1日 月曜日

担当/中島 淳

大阪生まれ大阪育ちで、それまでの「料理の常識」を覆しながら手間をかけない(けど圧倒的に美味い)レシピを世に送り出していった料理家・小林カツ代(1937〜2014)には唯一の「弟子」がいる。「助手」は他にもいたが、弟子は今回のナカノシマ大学で登壇される本田明子さんだけである。

会場は、登録有形文化財の大阪倶楽部3階3号室

本田さんは、『小林カツ代のらくらくクッキング』(1980年・文化出版局)を高校時代に読んで、レシピ通りに作ったらあまりにも美味しく出来たので、「私は天才だろうか!?」と思ったほどだとお会いした時にそう言っておられた。

カツ代レシピで「開眼」した本田さんは、短大卒業後に某大手証券会社(1980年代は給料もボーナスもスゴかったと聞く)に就職が内定していたが、「できればこの人に弟子入りしたい」とまで思っていた。というのも、彼女のホームタウンである東京都東久留米市には、「小林カツ代料理教室」があったからである。

しかし小林カツ代の主義は、「弟子はとらない」。

そのカツ代がひと目で本田さんを弟子にしたのは、何も彼女が「私はいかにカツ代先生のレシピを血肉化させて、家族や友人たちを喜ばせてきたか」みたいなプレゼンテーションをしたからではない。本田さんの「思わぬところ」を見て決めたのである。

小林カツ代は大阪・北堀江の製菓問屋の末娘として生まれ育った。父は船場の商家に丁稚奉公し、若くして大番頭に出世したが「婿入り」はせずに独立。母は料理と字の上手な「武家のお嬢さん」だった。出自の対照的な両親だったが、「美味しいもの好き」「人を差別しない」「戦争が大嫌い」というところは共通していた。

傑作。大阪の堀江や堺の百舌鳥などきめの細かい取材が素晴らしい。ピースボートのくだりは冒頭に登場

かつて『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』(文春文庫)の著者でノンフィクションライターの中原一歩さんを取材した際に語っていた言葉が印象に残っている。

「カツ代さんは若い人が好きなんです。大阪の“いいとこ”の子で否定されずに育ったから、決して他人も否定しない。肩書きで人を見るようなことは絶対にありませんでした」

中原さん自身、カツ代の全盛期にいきなり電話をかけて「年越しの世界一周クルーズの『ピースボート』に乗って、船上で黒豆を振る舞ってもらえませんか。ただしノーギャラで……」というとんでもないオファーをした人であるだけに(カツ代は快諾)、その言葉には説得力があった。

だから「弟子をとらない」という自らの信条はさておき、若い人と会うのはカツ代の楽しみでもあったので「とりあえず会う」ということになったという。1980年代前半のことである。

この頃カツ代の家では「ミーナ」「ボン太」という猫を飼っていた。「ミケ」という名の犬もいる。夫と小学生の娘と息子、猫2匹、犬1匹。でもそこで終わらなかった。

以下、小林カツ代が少女のために書いた、若き日の回想『虹色のフライパン』(1984年・国土社)から。

「小林カツ代の本は古本屋に出ない」その心は、読者が離さないから。この本も、いつも図書館で借りている

「マナは、手のひらにのる大きさだった黒白のねこ。助手のセツコさんがある雨の朝、玄関を入るなり、

『くる道に小さいねこが雨に打たれていましてね。捨てられたらしいです』といいつつ、私の顔をじっと見ました。

思わず、

『いいわよ』といってしまった私。このひと言で助手は外へとびだし、マナを拾ってきたというわけ。」

 

マナという名は、息子の健太郎さん(料理研究家のケンタロウ)が付けたそうである。

「聖書の中のマナというのは、神さまがくださった食物をさします。とても大切なものという意味です。

マナはめきめき大きくなり、ピッカピカになり、毛足は長く、じつにすてきなねこに成長しました。とても心の広い思いやりのあるねこで、ノラねこを連れてきて私に食事のさいそくをしたりしました。どんなねこにもやさしく、けっしてケンカをしませんでした。」

本田明子さんが小林カツ代宅を訪れたのは、そのマナがいた時期だった。

「うちにね、アコちゃんというゆかいな弟子がいるのですが、だいたい私は弟子をとらない主義だったのに、知り合いの人にたのまれて、会うだけ会いましょうということになったのです。うちへはじめてアコがきた日、マナがソファーで寝そべっていました。

彼女、入ってくるなり、あいさつもそこそこに、『アラー、ねこォ!』というなりだきあげました。それを見て、弟子はとらない主義なんか、ふわーっとどこかへ行ってしまい、『うん、いいよ』

かくしてアコはその日から毎日わが家へ。

ただね、仕事中もひょっひょっとねこと遊ぶんですなァ。といっても、これは師匠である私も同じで、そろって「かわいいっ」なんて、めいわく顔のねこをねこかわいがり。」

 

しかし、カツ代ファミリーと飼い猫マナとの楽しい時間はそう長くは続かなかった。

「ある雪の日、マナは帰ってきませんでした。つぎの日も、つぎの日も。何日も日が流れ、地域の小さい新聞に、マナさがしの広告をだしました。その結果は、悲しいしらせを私にもたらしました。マナは死んだと。」

「もし」の話をしたらキリがないけど、本田さんがカツ代宅を訪れた時にマナがソファーに寝そべっていなかったら(もっと言えば助手のセツコさんがマナを拾ってこなかったら)、「弟子・本田明子」は実現していなかったかもしれない。動物が大好きな小林カツ代にとっては、マナを抱き上げるという本田さんの無意識(だったと思う)の行動が、どんなに見事な自己PRより決定的だったのだ。

師弟のツーショット(NHKの番組より)。本田さんはカツ代を「話術の達人でしたがそれ以上に聞き上手。膨大なレシピは人の話を丁寧に聞き出して行ったからこその結果です」と評す

「小林カツ代を後世に伝える」というナカノシマ大学の主催者としては、「小林カツ代と弟子・本田明子をつなぐ」という決定的な仕事をした飼い猫マナに助演女優賞を贈りたいところである。いやほんまに。

……ここまで書いたのは、小林カツ代から見た「本田明子、弟子入りのエピソード」。本田さんから見たら、実はちょっと違っているのかもしれない。なのでそのあたりは、ぜひナカノシマ大学でご披露いただきたいところである。

あと4週間を切りましたので、ぜひ申し込みはお早めに。https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260626

5~6月の書店さんでのイベントのご案内

2026年5月17日 日曜日

昨年、
大垣書店イオンモールKYOTO店さんと
平和書店アル・プラザ彦根店(昨年はアル・プラザ城陽店)さん
で開催した書店イベントが今年も5月から6月にかけて開催されます

2店舗とも昨年より規模が大きくなった帰ってきました

●大垣書店イオンモールKYOTO店さん
 #会いにゆける出版社フェス2026
5/23(土)~6/30(火)
140Bの出張販売日:5/30-31、6/13-14の土日4日間
こちらもどうそ→「新刊さんいらっしゃい by うすもの談話室

●平和書店アル・プラザ彦根店さん
 #まるっと初夏の本まつり
5/23(土)~6/21(日)
140Bの出張販売日:5/23-24の土日2日間

それぞれ店内に参加出版社の常設のフェア棚を展開、
期間中たくさんのイベント等が予定されています
参加出版社もイベント内容もそれそれ特色がありますので
詳細は各ホームページをご覧ください

それでは当日、売場でもお会い出来ることを楽しみにしております(青木

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

5月25日天神寄席は「短歌」で。ゲストは万葉研究のあの方

2026年5月11日 月曜日

担当/中島 淳

今年で13年目に入った、毎月25日に天満天神繁昌亭で開かれる「天神寄席」。

一つのテーマで貫かれた落語が4〜5席かかり、中入後はホスト役の髙島幸次先生(近世日本史専攻)と桂春若師匠を聞き手に、毎回ゲストが登壇して30分ほどの「鼎談」が行われる(その後がトリで大ネタ)。落語も面白いけど、この「鼎談」が聞きものです。

「どんな人がゲストで登壇し、どんな感想を話してくれるか」は聞き手の二人がうまいことコントロールして盛り上げようとするのだが、そうはいかない時もあって、それはそれで面白いのだ。

ということで、5月25日(月)の天神寄席「みそひともじ落語」について髙島先生から原稿が来ました。どぞ。

「万葉学」の大家は、落語の和歌を何とする(髙島幸次) 

「天神寄席」5月席の鼎談ゲストは、『万葉集』研究の第一人者、國學院大學教授の上野誠先生です。

上野先生は、去る2014年12月の「天神寄席」に出演してはるので、10余年ぶりのご登場、当時は、確か奈良大学教授やったけど。

先生の研究は、国文学だけやのうて、歴史学・民俗学・考古学など幅広い分野にも視野を広げ、「万葉集はことばの文化財」の立場から、独自の新しい『万葉集』の読み方を提示して評価されてはります。

また、その関心の幅広さは、研究分野に留まらんと、時には小説『天平グレート・ジャーニー 遣唐使・平群広成の数奇な冒険』(2015年/講談社文庫)を著したり、万葉オペラ『遣唐使物語』などの脚本を書いたり、数々のエッセイを執筆したり、はたまた、講演やラジオ・テレビなどでも、その深い研究成果を、解りやすく面白く披露してはるんです。

しかも、その幅広い活動は一時の気まぐれの寄り道ではないのです。エッセイで言えば、2022年の『万葉学者、墓をしまい母を送る』(講談社文庫)で、日本エッセイスト・クラブ賞を受けはったし、MBSラジオ「上野誠の万葉歌ごよみ」(土曜朝5:30~5:45)という冠番組を担当してはるし。毎週、万葉歌一首を採り上げて解説、そのユニークな視点とソフトな語り口は、ネットで検索して聴いてみてください。

装丁は南伸坊。ええ味出まくりです

今回の天神寄席は、「万葉集」をテーマにして「和歌」の出てくる落語5席を楽しんでもらおと算段してます。

問題は、鼎談ですねん。落語のハチャメチャな歌の理解を、万葉研究の大家はどのように受け止めはるのか、興味津々、ちょっと怖い。

加えて、進行役の髙島としては、上野先生の関心の幅広さについていけるのか、話題の振れ先は予想が立たず、いまから心配しています。当日は髙島の困惑ぶりもお楽しみください。

筆者としては、「誤魔化しようがないほど困惑した髙島先生の姿」というものを生きているうちにぜひ見てみたいので、当日はもちろん受付に入って、中入後の鼎談はしっかりと見届けたいと思っています。

「天神寄席」の受付はこちら→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260525

お待ちしております!

おせいさん(田辺聖子)の講座を、ゆかりの地・綿業会館で

2026年4月30日 木曜日

担当/中島 淳

5年間慣れ親しんだ「大阪府立中之島図書館でのナカノシマ大学」にしばし別れを告げて、久しぶりに「毎回、違う会場でナカノシマ大学を開催する」という日々がはじまった。

「あんなええ場所を離れて大丈夫やろか……」との不安はあったが、この界隈は近代名建築の密集エリアなので「講座にふさわしい会場」で開催することができるのはラッキーこの上なしなことである。

4月28日(火)、船場の芝川ビル(1927年竣工)で開催された4月講座「ニッカ誕生の芝川ビルで竹鶴政孝&ウヰスキーの宵」より、テイスティングで盛り上がる会場

そして5月は、大阪が生んだユーモア溢れる会話文の名手であり、万葉集や源氏物語を題材にしても数多くの作品を残す作家・田辺聖子(1928〜2019)にちなんだ講座「しんどい時代にこそ 田辺聖子を読みたい」を開催する。場所は「ダイビル」の名コンビ、渡辺節・村野藤吾の師弟が手がけた、綿業会館(重要文化財・1931年竣工)です。

福島の「写真館の娘」として生まれ育った庶民的キャラクターの田辺聖子と、船場を代表する綿業会館の取り合わせは意外に思われる向きもあるかもしれないが、ここは「竹鶴政孝(マッサン)と芝川ビル」と同様に、田辺聖子にとってはゆかりの場所だったのだ。

作家として独り立ちするまでに手足をバタつかせて奮闘する日々を描いた自伝的小説『しんこ細工の猿や雉』(文春文庫)には、この「綿業会館での芥川賞受賞記念パーティー」でのシーンが、最後の最後に綴られている。

綿業会館。正面玄関(左側)は三休橋筋に面している。右は備後町通

パーティーは1964(昭和39)年4月11日(土)に開催された。

 大阪の祝賀会では、会なかば、山崎豊子氏が、車でかけつけて下さった。空港へ原稿を持って行かれた帰りだそうである。氏は多彩的で、モノクロの写真で見るより、ずっと綺麗な人であった。二人で握手しているところを写真にとられた。

 

「山崎豊子と田辺聖子のツーショット」というのは、文化面の新聞記者にとってはヨダレが出そうなネタで、筆者も臨席していたら絶対にカメラを離さなかったであろう。

「綿業会館本館7階大会場」でのパーティーにより華を添える1シーンであるが、田辺聖子にとって決定的な場面がやって来るのは、その後である。

 このとき、一緒に候補になった、直木賞の方の川野彰子が来ていた。小太りでもっさりした着物を着て、俊敏そうな黒い眉をしていたが、子持ちの主婦らしいおちつきがあった。

 散会後、いつまでも綿業クラブの玄関に立っていたので「送りましょうか」といったら、

「主人が車持って来てくれてるはずですねん」

 とおっとりいっていた。しかし車はみえなかったので、川野サンの「主人」に、私はそのとき会うことができなかった。

 この男と、二年のちに私が結婚するとは、夢にも思わない。

 

川野彰子(かわの・しょうこ)については、生年が1927年だとする説と1928年だとする説があるので分からないが、綿業会館でのやりとりから半年も経たぬうちに、帰らぬ人となる。ウィキペディアには

 夫・川野純夫は、彰子と死別した後に作家の田辺聖子と再婚。田辺のエッセイに登場する「カモカのおっちゃん」のモデルとしても知られる。

と紹介されている。

講師の中周子先生(田辺聖子文学館館長)。とてもハイソな感じだが、「京都人なんですけど誰も信じてくれないんですよ(笑)」と語るざっくばらんなキャラの持ち主だ

それにしても、この綿業会館の玄関前での短い会話の中に、互いに牽制しながら、「女」が静かに火花を散らしているのがありありと伝わってきて(それはおせいさんの手練れの技術であるが)、実にわくわくさせてくれる。

なので、ナカノシマ大学で田辺聖子の講座を行うなら、大阪市内は綿業会館しかないと思っていたので、今回、5月23日(土)が空いていたのがとてもラッキーでした。

申し込みはすでに7割近く埋まっているので、お早めにどうぞ。

講座自体は14時からですが、13時から13時40分までは、綿業会館の館内見学もあるので(受付は12:30〜)ぜひお早めにお越しください。

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260523

 

 

 

 

天満の天神さんに「25年に一度」がやって来る

2026年4月9日 木曜日

140Bは、公益社団法人 上方落語協会が毎月25日に天満天神繁昌亭で開催する「天神寄席」を、2014年から全面協力でサポートしていますが、その「天神寄席」が2027年には大きな節目を迎える、というお話を、天神寄席プロデューサーでありブッキングコーディネーターであり鼎談のホストでもある髙島幸次先生が寄稿してくれました。ぜひご一読ください。

担当/髙島幸次

天満の天神さんと毎月25日

天満の天神さん 

 天神寄席4月席は、「天満の天神さん」がテーマです。

表門越しに拝殿を眺める。天神さんの参拝客にはたまらない景色だ

大阪天満宮の御祭神として知られる「天神様(菅原道真公)」の正式な御神号は「天満大自在天神」といいます。天神さんをお祀りする神社は、全国に12,000社もあるといい、その多くは、御神号の上の二字から「天満宮」「天満社」、あるいは下の二字から「天神宮」「天神社」などと呼ばれます。

大阪人は大阪天満宮のことを「天満の天神さん」と言いますが、この場合の「天満」は御神号ではなく地名です。なので、「天満の天神さん」を解りやすく言い換えると次のようになります。

「天満大自在天神」を祀る「天満宮」が鎮座することから「天満」と呼ばれるようになった地に「天満大自在天神」を祀っていることから「天神さん」と通称されている「大阪天満宮」

 

ということです。どこが解りやすいねん!

毎月25日 

 菅原道真公は、お誕生日が6月25日、右大臣から大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷されたのが1月25日、亡くなったのが2月25日なので、全国の天満宮では「25」は特別な数字とされています。大阪天満宮の夏祭「天神祭」も江戸時代までは6月25日に行われ、明治の新暦採用以降に、それを7月25日に読み替えて斎行しているのです。

また、大阪天満宮の電話番号(下4桁)も0025です。他にも、道明寺天満宮は2525、京都の長岡天満宮は1025、福岡県の太宰府天満宮は8225、水田天満宮は8625、東京都の亀戸天神社はfax.が0025など、挙げれば切りがないのでこれくらいに。

「天満天神繁昌亭」の「天神寄席」も、天満宮への謝意を表すために毎月25日の夜席なのですが、それだけではありません。平安中期の延喜3年(903)に道真公が亡くなられたあと、天満宮では25年ごとの節目にも「式年大祭」を斎行してきました。

そして、来年4月には「菅原道真公御神退千百二十五年式年大祭」を迎えます(「御神退」とは、ご逝去後に神様になられたことを示します)。

この覆いが外れ、見事に葺き替えられた屋根がお目見えするのは今年の10月末だ。工事の状況はこちらから知ることができる→ https://osakatemmangu.or.jp/construction

 

現在、天満宮の本社で屋根の葺き替えが行われているのも、来年の式年大祭に向けた準備なのです。

そこで、来年の式年大祭をちょうど1年後に控えた今月25日の天神寄席では、大阪天満宮・天神祭・菅原道真公にまつわる落語・講談をお楽しみいただきます。

また、鼎談のゲストには寺井種治(たねはる)宮司をお迎えし、今後の繁昌亭とのかかわり方や、千年を越える悠久の歴史を受け継ぐことのご苦労などをお聞きします。

葺き替え後は、この風景がよりブラッシュアップした形でお目見え

鼎談の時間は、そこはそれ、25分ほどを予定しています。

初の春開催決定! 神保町ブックフェスティバル

2026年4月2日 木曜日

昨年秋、まさかの両日雨天中止となった「神保町ブックフェスティバル」が、
史上初の「春」開催となって開催決定です。

多くのお客さんと関係者の落胆の声を取り返しに140Bも出展します。

 #春の神保町ブックフェスティバル

 4/18(土)-19(日)
 11:00~17:00  神田すずらん通り

140Bは[B-北12]ワゴンです、たくさんお運びお待ちしています。
立ち読み、ひやかし、応援、差し入れ大歓迎です、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

https://osanpo-jimbo.com/info/6635305

4月講座の会場は芝川ビル、お題は「竹鶴・芝川・ウヰスキー」

2026年3月23日 月曜日

担当/中島 淳

ナカノシマ大学はこの3月講座まで5年間ほど、大阪府立中之島図書館3階多目的スペースで開催してきましたが、2026年度は同館の指定管理制度が変更となるため、お世話になった中之島図書館を離れ、この先は毎月、講座のテーマに見合った会場で開催します。

ナカノシマ大学は2009年10月から毎月(多い時は月2回)開催して今年で18年目を迎えますが、2021年5月までは毎回、テーマに見合った会場で開いていました。なので「本来の姿に戻る」ということですので、みなさんご心配なさらずに。

伏見町通(左・東西)と心斎橋筋(右・南北)が交わる、一度見たら忘れられない中南米のデザイン

4月講座は「ジプシー開催」第1弾として、淀屋橋駅の南出口を出てすぐの場所にある登録有形文化財の「芝川ビル」で開催します。お題は「ニッカ誕生の芝川ビルで 竹鶴政孝&ウヰスキーの宵」。

周辺の建物が超高層ビルばかりになってしまったので、逆に高さはなくても芝川ビルの「わが道をゆく」感じが余計に目立って、まち歩きの人たちだけでなく、周辺ではたらく人たちにとっても注目の的です。

このビルの竣工は、キューバの英雄フィデル・カストロや日本の喜劇王・植木等と同い年の1927(昭和2)年。この4年前の1923(大正12)年に関東大震災が起こったので、とにかく「火災で延焼」ということがないように、強度のある鉄筋コンクリートでの建築が必須条件だった。

いまでもこのビルは相当に目立つのだから、当時の目立ちっぷりは尋常ではなかったと思う。それほどにぶっ飛んでいた。

今回の4月講座は、この芝川ビル99年の歴史の中でも、格別のドラマに彩られた1934(昭和9)年7月2日の「大日本果汁(現・ニッカウヰスキー)」誕生の経緯を、フレンドリーな生き字引である千島土地(株)不動産事業部課長の川嵜(かわさき)千代さんに講義していただき、後半は、竹鶴が世界ブランドにつくり上げた「ニッカ」を知るならこの3杯を試飲してくださいということで、「竹鶴シニアアンバサダー」の金﨑愛子さんが各ウイスキーの解説をしてくれる。おつまみのチョコレート(同じ芝川ビルの[ブロードハースト])と一緒にどうぞ。

ナカノシマ大学2014年12月講座より。こんなグラスでテイスティングします

「試飲」といってもそれなりの量が入っているので、お酒はミニボトルのままお持ち帰りいただいてもぜんぜんOKです。楽しむことが第一。

それにしても、芝川ビルの持ち主である芝川又四郎(1886〜1970)が純正ジャパニーズウイスキーを作ろうとした竹鶴政孝(1894〜1979)とどのようにして大阪で知り合い、竹鶴の冒険的事業の巨額の投資で後押しをするようになったのかについては、4月28日(火)の講座まで、何度か書いていきたいと思います。

とりあえず、今回はゆったり受講していただきたく、定員を50人に絞りますのでお早めに→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260428

大阪(春場所)から何度も祝福された、北の富士勝昭さん

2026年2月26日 木曜日

担当/中島 淳

3月6日(金)のナカノシマ大学「粋な男、北の富士勝昭と大相撲春場所の思い出」が目前に迫ってきた。

安青錦は綱取り、熱海富士は新小結、初土俵から11場所連続勝ち越しの義ノ富士が前頭筆頭、迎え撃つ両横綱……と楽しみ満載(日本相撲協会HPより)

その2日後にはいよいよ大相撲春場所の初日を迎える。

春場所のチケットは1枚も残っていない(当日券もナシ)ので、テレビかWEB観戦しかないけれど、「春場所がはじまる何とも言えない空気」はぜひミナミ周辺で味わっていただきたいし、その空気を先取りして、名実況アナの肉声で伝えてくれるのがこのナカノシマ大学です。

さて、今回の講師、藤井康生さん(元NHK大相撲中継アナウンサー)が思い出を語る北の富士勝昭さん(1942〜2024)は、多くの相撲ファンにとっては「明るくてサービス精神旺盛で、ファンの気持ちをズバッと代弁してくれる解説者」として圧倒的人気を博し、一時代を築かれた人である。

大相撲がこれだけ人気になった立役者のひとりだ。

藤井アナと北の富士さんの放送席での掛け合いや相撲談義は、「途中で取組の実況を挟むのがもったいない」ぐらいの聴きごたえのある内容だった。

北の富士さんは解説者としてだけでなく、「横綱二人(千代の富士と北勝海)を育てた名親方」としても有名だけど、現役時代の「左差し右上手の速攻で優勝10回を誇る横綱」の足跡が見逃せない。しかし……北の富士さんの初土俵が69年前の昭和32年(1957)初場所で、引退が昭和49年(1974)名古屋場所(長嶋茂雄と同じ年だった)。現役時代の記憶がない人の方がきっと多いはずだ。

無理もない話であるが、大阪の相撲好きのみなさんには、「この人の力士人生は、いつも春場所(大阪場所)に大きな『転機』があった」ということをぜひ知ってほしいものである。

北の富士さんと大阪の関係はもう「相思相愛」のレベルだったのでは、と筆者は勝手に想像している。

北の富士さんは、17年半にわたる現役時代の間に、年に一度の「春場所」にこれだけご縁があった。

懐かしの旧・大阪府立体育会館。北の富士さんが現役の間は、昭和27年(1952)に竣工したこの建物で春場所が行われた。昭和62年(1987)からは現在のエディオンアリーナで開催(大阪市浪速区制100周年記念冊子より)

⚫︎昭和32年(1957)春場所……初場所の初土俵は「前相撲」。この場所で、出羽海部屋の序の口力士「竹澤」としてデビュー

⚫︎昭和38年(1963)春場所……新十両。すでに四股名を「北の富士」に改名していた

⚫︎昭和39年(1964)春場所……新三役。初場所に13勝2敗の成績で、入幕2場所目に昇進

⚫︎昭和42年(1967)春場所……14勝1敗で初優勝。場所前に師匠の九重親方が出羽海部屋から独立。「九重部屋」の大関・北の富士として賜杯を抱く

⚫︎昭和45年(1970)春場所……新横綱。ライバルで親友の玉の海正洋(1944〜71)と同時昇進

⚫︎昭和48年(1973)春場所……14勝1敗で10回目(最後)の優勝。「名横綱」栃錦・若乃花と並ぶ

 

とくに印象深いのは、昭和42年(1967)の春場所だ。

北の富士さんの師匠・九重親方(元横綱・千代の山雅信/1926〜77)は、中学1年のヒョロッとした自分を見て相撲界に導いてくれた恩人であり、中学卒業の1月に上京し、当時現役だった千代の山を訪ねて出羽海部屋の入門を許された。千代の山は現役引退後に出羽海の部屋付き親方「九重」となって若手を指導するが、「出羽海」を継ぐことができないと知ると、「自分も独立して部屋を持ちたい」と思うのは当然のことだろう。

「師匠と共に出る」のは弟子としては当然のことかもしれないが、北の富士さんにとってその頃の出羽海部屋の「居心地の良さ」は、格別なものであった。

当時の出羽海親方(後の武蔵川理事長)は、襲名後にまず部屋の食事を質・量ともに豪華にした。そして「ノセたら必ず結果を出す」北の富士さんの特性を見抜き、「どんどん遊べ。そのためには土俵で強くなって金を稼げ」とハッパをかけた。若手同士の稽古でさえも成績のいい力士に賞金を出すし、北の富士さんが「ちょっと手元不如意で」と言えば、親方もおかみさんも小遣いをくれる。

序二段や三段目でくすぶっていた人間が急に強くなって番付を急上昇させ、新十両の1年後には新三役。それから3年もせずに大関に駆け上がった。なんと言っても超名門部屋。同部屋の強豪とは取組がないのも有り難かったはずだ。

そんな出羽海部屋には鉄の規律があった。「独立イコール破門」という厳しい措置である。大部屋を「破門」になっても、独立して部屋を立ち上げるという九重親方と行動を共にする北の富士さんが感じた葛藤とリスクは、相当なものであったに違いない。

九重親方について出たことで出羽海部屋の敷居は二度とまたげなくなってしまうが、親方夫妻は笑って送り出してくれたという。それが昭和42年(1967)1月末のこと。

地下鉄谷町九丁目駅から徒歩3分の正法寺。山門の奥に本堂が建っている場所に、九重部屋の急ごしらえの土俵があった。寺の西隣は落語「高津の富」でおなじみ高津宮(こうづぐう)

そして迎えた春場所、北の富士さんは以下のような心境で臨んだ。

大騒ぎして出羽海部屋を飛び出した以上、ぶざまな相撲だけはとれないと心に決め、稽古にも熱が入った。稽古場のない新生九重部屋は、協会内にある相撲教習所の土俵を借りて稽古を開始。大阪の春場所にも真っ先に乗り込んだ。

 

大阪には九重部屋の宿舎はなかったが、地元の人たちが支えてくれたので稽古場も宿舎も確保できた。

大阪では南区(現中央区)中寺の正法寺(しょうぼうじ)境内に土俵が設けられ、初稽古には大勢の報道陣が詰めかけた。もともと乗りやすいタイプの私は燃えた。境内の近くに石の階段もあり、これを上り下りしてはトレーニングに励んだ。

(九重勝昭〈当時〉『土俵で燃えろ』東京新聞出版局/1991年より)

その甲斐あって幕内では北の富士さんが25歳で初優勝。十両でも弟弟子の松前山が優勝し、新生九重部屋は二重の喜びに包まれた。

この頃から、2歳下の「玉の海正洋」(片男波部屋)というライバルが頭角を現し、二人の対戦が大相撲の人気取組になってくる。お互いに「こいつだけには負けられない」がありながらも、話し上手の北の富士、聞き上手の玉の海のコンビは、土俵の外でも仲良しだった。

そして昭和45年(1970)、大阪万博開幕の春場所に、北の富士と玉の海は横綱昇進同時を果たす。

第51代横綱・玉の海正洋。昭和45年(1970)秋場所から昭和46年(1971)春場所まで4場所連続14勝1敗と、抜群の安定感を示した(日本相撲協会HPより)

横綱の同時昇進は昭和36年(1961)の九州場所の大鵬幸喜(1940〜2013)、柏戸剛(1938〜96)に続いて9年ぶりの快挙。大鵬と柏戸の「柏鵬時代」が実は「大鵬一強」に終わったので(優勝は大鵬32回に対して柏戸5回)、相撲ファンは二人の新横綱が競い合う時代の到来を楽しみにした。

この昭和45年春場所こそ、大鵬が先輩横綱の意地で賜杯をさらったが(北の富士・玉の海とも13勝2敗で準優勝)、その後の戦績はまさに「北玉時代」の到来を告げるものだった。

⚫︎昭和45年(1970)夏場所……14勝1敗で北の富士優勝

⚫︎同     名古屋場所……13勝2敗で北の富士優勝

⚫︎同       秋場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎同      九州場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎昭和46年(1971)初場所……14勝1敗で大鵬優勝(玉の海は優勝決定戦で敗れる)

⚫︎同       春場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎同       夏場所……15戦全勝で北の富士優勝(初の全勝)

⚫︎同      名古屋場所……15戦全勝で玉の海優勝

⚫︎同       秋場所……15戦全勝で北の富士優勝

 

どうですかこの壮観な優勝成績!

わずか1年余りの期間だったが、「両横綱がしのぎを削る」という言葉に相応しい実力伯仲ぶりを見せ、「大鵬一強時代」に閑古鳥が鳴いていた本場所の会場は一気に盛り上がった。この頃の相撲ファンはほんまに幸せだったと思う。

しかし玉の海は昭和46年(1971)の秋場所後、虫垂炎の手術の後に容体が悪化して急死、北玉時代は突然幕を閉じる。両者の対戦成績は、北の富士の22勝、玉の海の21勝。あまりにも惜しい。

玉の海亡きあと、北の富士さんは3回優勝して優勝10回で引退したが、もし玉の海が生きていたら、「北玉時代」はお互いに15回ずつぐらい(玉の海は北の富士より2歳下だったので20回ぐらいか)優勝していたのではないかと思う。それほど、両者の対戦はお互いにとっても、ファンにとっても楽しみだった。

大阪キタの盛り場のど真ん中、ネオンぎらぎらの場所に一角だけ、静寂に包まれた寺院がある。

平安時代に創建された高野山真言宗の太融寺。大坂夏の陣で自害した「淀殿」の墓があり、明治初期に板垣退助らが自由民権運動の狼煙を上げ、「国会期成同盟」が結成された場所で、その碑も佇んでいる。

そこに、玉の海の贔屓だった大阪の檀家の人たちによって「第五十一代横綱 玉の海正洋の碑」が建てられ、昭和47年(1972)春場所初日の前日、3月11日(土)に除幕式が行われた。

この「除幕式」に日本相撲協会の幹部をはじめ、北の富士さん以下幕内の役力士たちが列席した。先代住職の麻生弘道さんは当時のことを覚えておられた。

「町会長が玉の海の贔屓で、先代(麻生恵光さん)と話をして実現したと思います。とにかく町内の人たちがたくさん来て、横綱(北の富士)には長男を抱き上げてもらいました」

その写真を見せていただいた。

玉の海の碑の前で、現住職の麻生祥光さんを抱き上げる第52代横綱・北の富士(当時/太融寺提供)

残念なことに、このとき北の富士さんに抱き上げられた現住職の麻生祥光さんは、その後一度もお目にかかれなかったそうだが、小学校は精勤、中学・高校は皆勤賞だったというから「横綱のおかげです」と話しておられた。

まもなく春場所がはじまるが、こういった現役時代と親方時代を経て、北の富士さんは平成10年(1998)に、横綱経験者として初のNHK大相撲解説者となり、藤井康生さんとの黄金コンビが25年近く続いた。

3刷となりました。当日は品切れのないように確保しておきます

あの掛け合いや名解説、そして時には「ごめん、いま(取組を)見ていなかった」と正直に告白する、語りの天才・北の富士さんの思い出を語るには、この人意外には考えられない。

藤井さんの著書『粋  北の富士勝昭が遺した言葉と時代』(集英社)もすごく売れているようで、当日、会場でも販売します。「先に読んでおきたい」という方は、どうぞお近くの書店でお買い求めを。

当日は17時から。大相撲放送と同じ時間帯に開催しますので、どうぞお早めにお申し込みを

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260306

 

 

 

「ブッキンブース」は20年前からあった!?

2026年2月13日 金曜日

ナカノシマ大学2月講座(2月20日開催)の講師、中村優子さんに開業された本屋「BOOK‘N BOOTH」(ブッキンブース)についてお話を聞いてみました。

Q:「BOOK‘N BOOTH」という店名は最初から決まっていましたか?

中村優子:いえ、実は違う店舗名で開店準備を進行していました。名刺を印刷する直前にスタッフの山下美緒子さんに「これでいいの?」と聞かれて、「いや、違う」と(笑)。

Q:突然「BOOK‘N BOOTH」という名前が降りてきたのですか?

中村優子:それも違って、もう20年ほど前ですが、ジュンク堂書店天満橋店での勤務時代に今でいう「推し」作家の棚を作っていました。「めっちゃおもろいのに、なんでこの作家さん売れへんかなぁ、みんなにもっと知って欲しいなぁ」という思いで好きな作家さんや作品を店頭でごりごりに展開していました。

Q:その棚の評判がよかった?

中村優子:そうなんです。思いの外、売れたんです! お客さんからも褒めてもらったりして、どんどん大きく展開しました。詳しくはナカノシマ大学でお話しますが、その時一緒に棚をつくった同僚の山下美緒子さんと中村明香(さやか)さんとその棚を「BOOK‘N BOOTH」と名づけていました。3人のチームだったんです。

Q:その山下美緒子さんと中村明香さんが今回の「BOOK‘N BOOTH」のオープニングスタッフに加わっているのも偶然ではないと?

中村優子:間違いなくこのふたりがいなけれれば今回の「BOOK‘N BOOTH」はなかったですね。実際、わたしは多くの時間を本業の社会保険労務士の仕事に取られています、書店員のプロのふたりに現場を預けられる安心感はやはり20年前の経験があってこそだと思います。

Q:そういう意味では「BOOK‘N BOOTH」はすでに20年前からあったと?

中村優子:そういうことになりますね、3人でやるのが当たり前であまり深く考えてなかったですけど(笑)。書店としての基本の体裁を守りつつ、好きな作家や作品を売る、それにオリジナルグッズも作る、そのスタイルはもう出来上がっていたかも知れません。天満橋店時代にはオリジナルグッズをジュンク堂書店と直販取引の口座を開いて売っていました。メインキャラのデザインも当時と同じです、写真が残っていないのが残念ですが棚には看板もありました。

Q:聞けば聞くほど、20年前から準備されていた気がしてきました、「BOOK‘N BOOTH」は約束の地だったんですね。ナカノシマ大学の会場ではオリジナルグッズの販売もありますか?

中村優子:販売します! デザイン担当の山下美緒子さんがどんどん新作を作っていますから。オリジナルのトートバックとおそらく関西で唯一の取り扱っいてる作家の高野秀行さんのTシャツ各種やZINE等販売予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q:高野秀行さんからは「高野本聖地」書店として認定されてますね。ナカノシマ大学ではたくさんのお話が聞けること楽しみにしています。

中村優子:話したいことはたくさんありますから、きちんと準備して行きたいと思います。みなさん、よろしくお願いします。

2026年2月13日
聞き手:140B青木

ナカノシマ大学2月講座

いま、「町の本屋」を大阪で開くということ

講師:中村 優子(BOOK’N BOOTH店主・社会保険労務士)ex.ジュンク堂書店

2/20(金)18:00〜   大阪府立中之島図書館

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260220

 

 

大相撲実況アナの名調子で、春場所と「語りの天才」の思い出を

2026年2月11日 水曜日

担当/中島 淳

3月講座は、ナカノシマ大学としては初めて、現役のスポーツ実況アナウンサーが登壇される。

藤井康生さん            ©︎露木聡子

講師は藤井康生さん(元NHK大相撲実況アナウンサー)。お題は「粋な男、北の富士勝昭と大相撲春場所の思い出」である。

3月8日(日)から大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)ではじまる大相撲春場所に先がけて、3月6日(金)の開催とさせていただいた。

NHK大相撲放送の実況アナウンサーだった藤井康生さん(1957〜)と解説の北の富士勝昭さん(1942〜2024)は、相撲ファンにとっては「放送席の黄金コンビ」だった。

サービス精神旺盛で話術の天才であった北の富士さんの持ち味が十分発揮できるように、工夫と研究を重ねたプロフェッショナルである。

藤井さんは昭和54年(1979)NHKに入局、59年(1984)名古屋場所から大相撲の実況放送を約38年間担当した。

藤井アナウンサーの隣に座った解説者は、みなさんご存じの人たちばかりだ。※敬称略。西暦は NHK専属解説者の期間

⚫︎神風正一(元関脇/1953〜87)

⚫︎若瀬川忠男(元小結/1985〜91)

⚫︎緒方昇(元関脇・北の洋(なだ)/1988〜2000)

⚫︎出羽錦忠雄(元関脇/1990〜99)

⚫︎北の富士勝昭(第52代横綱/1998〜2024)

⚫︎舞の海秀平(元小結/1998〜)

そして大相撲中継の解説といえばもうひとり、玉ノ海梅吉さん(元関脇/1955〜82)を覚えておられる方も多いと思う。

平成13年(2001)夏場所、貴乃花×武蔵丸の優勝決定戦(鬼の形相)など「あの実況もこの人だったのか!?」が満載。「相撲博士」としての研究熱心さも随所に表れている

藤井さんは入社後の新人研修で蔵前国技館に行った際に、玉ノ海さんから大相撲に興味があるのかと聞かれ、「大いにあります」と答えると、「相撲は奥があって面白いですよ。諸先輩を見習って頑張ってください」と言葉をかけられたそうである。しかし藤井さんが放送席に入る頃には解説者を引退していた。

「残念ながら私は間に合わず、放送でご一緒したいという願いはかないませんでした」(藤井康生『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』東京ニュース通信社)

実況アナとして初めて放送席に入った昭和60年(1985)春場所3日目、解説はおなじみ神風さんだった。藤井さんが「どうぞよろしくお願いします」とご挨拶をする「藤井くん、思い切っておやりなさい。何でも聞いてください」と優しい声で背中を押してくれたそうだ。

幕内前半終了まで約1時間実況を務めて先輩アナと交代したが、その際にも神風さんから「藤井くん、上出来でしたよ」と声をかけてくださったという(しかし場所後に改めて放送のテープを聴いてみたところ、「『上出来』なはずはありませんでした」と振り返っている)。

その後も大相撲放送のアナウンサーとして経験を積んだ頃に出会ったのが、横綱として10回の優勝に輝き、九重親方として二人の横綱(千代の富士、北勝海)を育て、平成10年(1998)から NHK専属解説者となった北の富士勝昭さんである。横綱経験者が NHK大相撲放送の専属解説者を務めるのは、これが初めてだった。

そして藤井さんは北の富士さんの、力士や親方として挙げてきた「実績」以上に、その人間性に魅了される。

「人生あっという間です。私も69年近く生きてきました。その人生の中で、北の富士さんほどの人物と出会ったことはありません。北の富士さんの懐の深さ、人間力、そしてまわりの人たちを惹きつける魅力、心を動かされることの連続でした。(中略)

その中で、いつの日からか私に身についた習慣があります。北の富士さんの口から飛び出す興味深い経験談や思い出話、笑い話を、忘れないうちに書き留めておくことでした。これこそ大相撲の『貴重な歴史の証言』と考えたのだと思います。」

巻末には、向正面のこの人を加えて「ゴールデントリオ」と謳われた舞の海秀平さんとの対談「北の富士さんのいない放送席で」を収録。これもお見逃しなく

 

これは藤井康生さんの最新刊、『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』(集英社)の「はじめに」に書かれた一文。「トークショーや雑誌に依頼されたロングインタビュー。そして、大相撲中継での昔話。プライベートでの酔話に裏話。北の富士さんが語った数々の興味深い話を、史実と共に重ねてみます」と続いている。

昨年11月に出たこの本を読むと、北の富士勝昭という解説者の、遊び心を大事にしつつファンに寄り添いながら「本質をズバッと突く」話は、藤井康生というアナウンサーと二人でつくり上げていった作品だということが分かる。

解説者がいくら興味深いことを言ったとしても、そこに反応し、「この話はもっと引っ張りたいな」と相手を乗せつつ話を引き出す聞き手(アナウンサー)がいなければ、視聴者が相撲の奥深さを実感できるような放送にはならない。

放送席での「実況の妙」については本書に詳しいが、とにかく藤井さんは「北の富士さんの昔話があまりにもおもしろいから引っ張りたい。けどアナウンサーとしては目の前の取組の実況をしないといけない」という二つのミッションにいつも引き裂かれていた。

それをどのようにして解決したかは本書をご一読いただきたく。でもきっとナカノシマ大学当日にもご披露いただけるかと思う。

素晴らしいコンビは、藤井さんが NHKを定年退職するまで約25年続いた。

藤井さんは2022年1月にNHKを定年退職されたが、その後もフリーアナウンサーとして「ABEMA大相撲LIVE」で実況を担当しているし、相撲ファンのために公式YouTube「藤井康生のうっちゃり大相撲」を配信中である。

ナカノシマ大学の開始時間は通常なら18時だけど、藤井さんがこの日のうちに千葉県の自宅までお帰りなので、17時〜18時40分とさせていただいた。

まだお仕事中の方がほとんどだと思うが、「春場所で、放送席横のチケットがあるけど、行かへん?」と誘われたら、会社早退しても相撲ファンは行きますよね。しかもこの日は目の前で話してくれるので、ほんまにプレミアムかと。

3月6日(金)もまだきっと朝晩は冷える。それでも、大阪ではたらく人間にとって「春場所がはじまった」という報せは、お水取りとかセンバツとかプロ野球開幕とか以上に「春」を感じさせてくれる。

どうぞ「春」を感じに、ナカノシマ大学にお越しいただいて、春の夕暮れ、藤井アナの「実況」に酔ってください。

お申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260306