文/高岡伸一
絵/綱本武雄
ちゃんと調べたわけではないが、大阪の都市にはカドマル建築が多い気がする。カドマル建築とは、外壁の角が丸い建築のこと。特段そのような用語があるわけではなく、勝手にそう名づけてみた。
一般的な建築の外観は、角が90度に尖っている。だから御堂筋のような大通りでは、建ち並ぶビルがビシッと揃って綺麗に外壁が連続するし、船場の古い市街地では、交差点の角が四隅からギュッと絞り込まれて、密集度が強調される。そんな中にカドマル建築が現れると、ふっと緊張から開放されるというか、空間に動きとゆとりが生まれるような気がする。前編と後編の2回にわけて、そんな大阪のカドマル建築とその魅力を紹介しよう。
カドマル建築の歴史は明治時代に遡る。木の建築を伝統にもつ日本では、それ以前にカドマル建築はほとんど現れない。技術的に木を丸く加工するのは難しいからだ。明治になって西洋の建築が導入されてから、カドマル建築は現れる。今回紹介する中で最も古いオペラ・ドメーヌ高麗橋は、1912年に建てられた煉瓦造の建築。煉瓦を積んで外壁をつくっていくため、壁を曲面にすることは難しくない。実はこの建築は竣工当時と今とでは外観が少し違っていて、カドマルはもっと独立した円柱のようなデザインだった。大正時代、この辺りの船場は狭い道路を拡幅するため、沿道建物の一部を取り壊す軒切り(のきぎり)が行われた。この煉瓦造の建築も道路が拡がった分だけ削り取られて、カドマルが大きく損なわれてしまったのだ。しかし削り取られた跡を修復する際に、またカドマルを復活させている。よほどカドマルにこだわりがあったのだろう。
その後、建築は煉瓦からコンクリートへと構造が変わり、より自由にデザインできるようになる。大正時代から昭和のはじめにかけて、いわゆる大大阪時代には、個性的な魅力をもつ多くのカドマル建築が建てられた。その代表的な存在が、1927年に建てられた芝川ビルだ。角に向かって大きな円弧を取り、勾配を持たせたスパニッシュ瓦の屋根がそれを強調する。円弧の中央に設けられた正面玄関には、同心円状に拡がっていく階段を上ってアプローチする。そこに加えて玄関廻りをこれでもかと飾る、マヤ・インカの古代文明をモチーフにした濃密な装飾。規模は小さいが、訪れる人の気持ちをいやがうえにも高揚させる建築だ。
大大阪時代のレトロ建築にカドマル建築が多い理由は、何となく想像できる。例えば中之島に建つ中央公会堂や中之島図書館をイメージするとわかるように、日本がヨーロッパから学び取った古典的な様式建築は、左右対称、専門用語でいうシンメトリーが基本だ。中心軸に玄関を設けて左右に展開していく正面性の強いデザインは、建築に威厳を与えてくれる。しかし大大阪時代に建てられたレトロ建築の多くは、中之島の公共建築のように広々とした敷地に建つのではなく、江戸時代に遡る碁盤目状の、敷地の小さな密集地に建てられた。左右対称で正面性を強調したいと思っても、町家から引き継いだ間口の狭い敷地では、うまく効果が発揮できない。かろうじて角地に建つ建築だけが、その敷地を活かしてうまく正面性を獲得することができた。そう、角を丸くすることで、連続する長い正面を獲得することを考えたのだ。
天満屋はかつての1階角にビルの顔であるタバコ屋があったし、明治屋ビルも店舗の玄関がカドマル部に設けられている。今回紹介する近代建築を見れば、敷地が極端に細長い高麗橋野村ビルを除けば、他は全てカドマル部に玄関が設けられ、そこから左右対称のデザインが展開していることがわかる。角を中心軸にして玄関を設け、左右の壁をシンメトリーにデザインすることで、密集市街地ならではのデザインを生み出したのだ