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朝比奈隆を追いかけて大阪に通った岩野裕一さん

担当/中島 淳

12月19日(木)のナカノシマ大学に登壇する岩野裕一さんは、明治30年(1897)創業の出版社「実業之日本社」の社長であるが、それ以上に(というと会社には失礼だが)、朝比奈隆の晩年に寄り添い、大阪に足繁く通ったのみならず満州、シカゴなどへの演奏旅行にも同行し、『王道楽土の交響楽−−−−満州 知られざる音楽史』(音楽之友社/第10回出光音楽賞受賞)、『朝比奈隆 すべては「交響楽」のために』(春秋社)を上梓した音楽ジャーナリストとして知られている。

DVDには『のだめカンタービレ』のベートーベン「7番」第4楽章ほか、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキーなどの名演奏7本を収録

「偉大なる指揮者に貼り付いて取材した音楽ジャーナリスト」というとすごくお堅い感じがするが、実に愛嬌があって茶目っ気に溢れるナイスガイの「鉄ちゃん」である。この人が日本のクラシック音楽に対してもっともっと発言してくれたら、敷居がどんどん低くなっていいのになと思っている。

だから、仮にあなたが少しばかりクラシック音楽に興味があって、「朝比奈隆さんの指揮を聴いたことはないけど、ちょっと気になる」ということであれば、岩野さんはきっと期待に応えることを話してくれるから、ぜひお越しください、と強く言います。

当日、会場で販売するのは写真の本であるが、DVD付きで値段もそれなりにするだけあって、「読みごたえ」も「観ごたえ」も両方ともある。1冊読めば、20世紀の日本史や世界史とリンクして「朝比奈隆はどんな指揮者でありどんな人間であったか」ということを知ることができるし、そんな「20世紀音楽史の生き証人」みたいな人が大阪を舞台に「オーケストラの創業者・経営者・音楽監督・常任指揮者」という激務をこなしながら1ステージ1ステージを燃焼させながら93歳まで生きた、ということを驚かずにはいられない。

同時に、この本を出版社の激務の合間に書き上げたという岩野氏の努力にも頭が下がる。特に最終章の「林元植(イム・ウォンシク) 朝比奈隆 唯一の弟子」が素晴らしい。16ページのブロックなのに、この一項だけで映画が一本出来そうな壮大な人間ドラマを読ませてくれる。著名な日本の歌手や韓国代表のサッカー選手などが次々と登場していて、朝比奈隆という人が日韓の文化交流にも多大な貢献をした人だった知るに至る。

あとは、19日(木)の岩野さんの演奏ならぬ講義を「生で」お聴きください。

かつて朝比奈隆の大阪フィルを聴こうと、慌てて東京駅から新幹線に飛び乗っていた岩野さんが、今度は、朝比奈隆と大阪フィルの話をするために新幹線で来阪する。

朝比奈先生もきっと喜んでおられると思う。

 

最後に、かつて雑誌の『大阪人』に書かれたこちらの一文を。

フェスティバルホールへの旅  岩野裕一

私のオフィスから東京駅までは、ダッシュすればわずか五分。午後三時過ぎからずっと落ち着かない時間を過ごしてきたが、決断するならいましかない。よし、やっぱり行こう。

怪訝そうな同僚の目を振り切って会社を飛び出し、カバンを抱えて一目散に東京駅へ。改札口を抜けてホームに駆け上がると、新大阪行きの新幹線になんとか間に合った。空席を捜し、乱れた呼吸を整えると、ようやく気持ちにゆとりが出てきた。さて、今夜はどんな演奏を聴くことができるのだろうか……。

朝比奈先生が指揮する大阪でのコンサートに、いったい何度足を運んだことだろう。東京で暮らす私にとって、「大阪へ行く」というのは、すなわち「朝比奈先生を聴く」ことだった。とりわけ、中之島のフェスティバルホールで開かれる大阪フィルの定期演奏会は、たいがいが平日の夜七時開演で、会社を抜け出すのに苦労しただけに、ことさら印象深い。

新大阪で御堂筋線の地下鉄に乗り換え、淀屋橋で地上に出ると、目の前に水辺のある風景が広がる。ああ、また大阪に来たな、と実感する瞬間だ。

淀屋橋からホールまで、新旧のオフィスビルを眺めつつ、都心の川べりをのびやかな気持ちでホールに向かうときの気分は、東京のコンサートホールでは味わえない、ちょっとした心のぜいたく。そう、ロンドンのテムズ川沿いにあるロイヤル・フェスティバルホールに向かうときの雰囲気に、どこか似ている。十分ほどの散策を楽しみ、なんとか開演時間に間に合った。

ロビーに飾られた、かつてこのステージで音楽を奏でた巨匠たちの写真が、ホールの永い歴史を無言のうちに物語っている。その主(ぬし)ともいうべき朝比奈先生は、一九五八年の開館以来、実に四十三年間にわたって、大阪フィルと共にこのホールへ音楽を染み込ませてきた。いまでは古色蒼然としたフェスティバルホールだが、その威厳は先生にこそふさわしい。

開幕のベルが鳴り、舞台の上ではチューニングを終えた大阪フィルのメンバーが、指揮者の登場を待っている。一瞬の沈黙ののち、下手のカーテンをひるがえして、背筋をまっすぐに伸ばした朝比奈先生がさっそうと舞台に歩み出る。堂々とした足取りで指揮台に向かいながら、先生は聴衆からの拍手を全身で受け止め、ホールの空気を暖かくも張りつめたものに変えていく。さあ、今夜も音楽会の始まりだ−−−−。

この身の引き締まるような瞬間を、私たちはもはや共有することができないと思うと、たまらなく寂しい。だが、忘れてはならないのは、朝比奈先生が半世紀以上にもわたって育て上げ、大阪の誇りとなった大阪フィルが、いまも私たちと共にある、ということだ。

大阪フィルは、これからもずっと、フェスティバルホールのあの大きな空間を、オーケストラの響きで満たしてくれるに違いない。

先生がこの世にいないのは悲しいけれど、それでも私はまた東京の会社をそっと抜け出し、川沿いの道を急ぎ足で歩いて、大阪フィルの演奏会に向かうことにしよう。

(岩野裕一『すべては「交響楽」のために』から 初出〜雑誌『大阪人』2002年4月号)

朝比奈先生の墓前に、19日(木)に岩野さんが登壇することを報告してきました(神戸市灘区の長峰霊園にて)

岩野さん、死ぬほど忙しい人だから、新大阪で地下鉄に乗っても淀屋橋を乗り過ごさないだろうか(笑)。いや、それ以上に淀屋橋から永年の習性で西側のフェスティバルホールに行ってしまわないか心配だが……。

この日は橋の東側、大阪府立中之島図書館に向かってください。みなさんお待ちかねです。

ナカノシマ大学は12月19日(木)18時からです。申し込みはこちらへ→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241219