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書店イベント参加のお知らせ

2025年1月7日 火曜日

迎春、本年もよろしくお願いいたします

さて、新年早々に開催される尼崎市のTSUTAYA尼崎つかしん店さんでの「独特で面白い出版社フェス」に140Bも参加します。

1/17(金)~3/23(日)の間、約20社の出版社の商品がお店の特設棚で展開、毎月二日間、出版社の担当が直接販売(参加出版社は変わります)に伺います。

3か月連続の店頭イベントは新しい試みで出版社としても、新しい読者さんとの出会いの場として楽しみにしています。
1月は25日(土)と26日(日)に店頭におります。

今年40周年を迎える「つかしん」でお待ちしております(青木)

 

上機嫌で、半端ないフットワークの焼酎伝道者・黒瀬暢子さん

2024年12月30日 月曜日

担当/中島 淳

1月16日(木)、「焼酎と大阪の 深くて意外な歴史」でナカノシマ大学に登壇する黒瀬暢子さんは、このために福岡からわざわざ来阪してくれる。

ナカノシマ大学はお江戸からの登壇も頻繁で、2024年も4回(4月譽田亜紀子さん、9月矢代新一郎さん、10月コジマユイさん、12月岩野裕一さん)を数えたが、九州からはナカノシマ大学15年の歴史の中で初めてである。

テーマが「焼酎」ならやっぱり本場からお呼びせなアカンと思ったので、ご足労いただくことになった。

今回は、薩摩生まれの芋焼酎と黒糖焼酎の誕生と普及に「大阪」が大きく関わっていることを、薩摩藩主である島津家の祖・島津忠久(生年不詳〜1227)が大阪の住吉大社で生まれたという平安時代末期に遡ってひもといていく。

住吉大社の境内。源頼朝の寵愛を受けた丹後局が出産した場所がこの「誕生石」と伝えられ、ここで生まれた子が薩摩藩「島津氏」の始祖・島津忠久公だとされている(黒瀬さん提供)

今日だれもが気軽に焼酎を買ったり、お店で楽しんだりすることができるのは、実は大阪と島津家(薩摩藩)との交流・交易の歴史がベースにある。

さらに明治後期に「黒瀬杜氏」の力によって薩摩で焼酎量産化が成功し、そして「近代焼酎の父」と呼ばれている河内源一郎(1883〜1943)や第一次焼酎ブームを作った薩摩酒造の本坊蔵吉(1909〜2003)ら大阪工業高等学校=大阪帝国大学醸造学科(竹鶴政孝もOB)卒業生たちの活躍で新しい酵母が発見され、新商品が生まれ……そして九州の焼酎がポピュラーな日本の酒となって今に至っている。

そんな大きな歴史の流れを、黒瀬杜氏の子孫である黒瀬暢子さんが大阪で講義してくれる。

黒瀬暢子さんは「焼酎プロデューサー」という名前で活動しているが、これは「焼酎の新商品を企画・開発する」というより、「焼酎のファンを増やす」ことを大きな目標に、日々SNSで蔵元探訪記や焼酎イベントのレポート、新商品紹介、そして新しい飲み方提案などの発信をしている。また、黒瀬さん自身が主宰する、焼酎に親しんでもらうための女性向けの会(焼酎女子会enjoy!)は、なんとこの5~6年の間に130回以上も開催している。

小倉のホテルで開催された「焼酎女子会enjoy!」で挨拶する黒瀬さん。日本経済新聞「本格焼酎・泡盛の日」特集で取材した(2023年8月26日・筆者撮影)

ナカノシマ大学は15年続けているが、やっと200回を過ぎたことを考えると、ひと月に2回(会場のレストランを押さえ、蔵元や行政などにも協力をお願いして参加者を募って……)というのは半端ないエネルギーであろう。

そのようなスゴ腕の伝道師であるが、なんと2018年までは焼酎を一滴も飲んだことがなかったという。

黒瀬さんは早稲田大学を卒業してサンリオに入社、その後は児童向けの大型遊具企画制作会社に勤務して、東南アジアに何度も出張しては、現地のショッピングセンターのスタッフに「遊具の組み立てと設置の仕方」を指導していたらしい。

2018年というのはその会社(東京)にいた頃のこと。以下、黒瀬さんの手記から(福岡県立東筑高校同窓会『東筑會報』2022年10月1日発行号)引用する。

自分の名字と同じ「黒瀬」という名前の飲食店をネットで見つけたわたしは、東京・渋谷の「焼酎バー黒瀬」を訪れました。Facebookに投稿したところ、大学の後輩からメッセージが入ります。

 

後輩のメッセージというのは「先輩って名門の出ですね!?  黒瀬杜氏の末裔でしょう?」というもの。「クロセトウジ」という言葉に黒瀬さんの頭の中は「?」が3つほど付いたらしい。その店でもビールを飲んでいたほどで(何しに焼酎バー行ってんねんと突っ込みが入りまくったであろうが)、ほんまに焼酎には無縁の人だった。

杜氏と言えば、まさにお酒作りのプロフェッショナルです。お酒の話題を母の耳に入れてはいけないと(彼女のお母さんはお酒が大嫌いだったそう)、そーっと父に確認すると、どうも、私は焼酎の歴史を造ってきた「黒瀬杜氏」の血を引いているらしいのです。

 

そこからの行動は早かった。

信じられないわたしは、叔父が持っていた江戸時代から大正時代までの戸籍謄本を借り、家系図を作り始めました。家系図に名前がある方に会いに行っては、家系図を書き足し、書き足し。しかもアポなしで!

今は現役を引退している黒瀬杜氏の人。たぶんこの方も、福岡から訪ねてきた黒瀬さんから家系図を見せられた一人なのではなかろうか(黒瀬さん提供)

相手方にしてみたら、会ったこともない親戚から電話で「会ってください」と急に言われてもなぁ……という感じだったのだろう。

黒瀬さんの実家は北九州市の隣、福岡県遠賀郡だが、そこから「黒瀬杜氏」の里、鹿児島県南さつま市まで家系図を持ってアポなしで行くのである(一日仕事ではぜったいに済まない)。そうこうしているうちに祖母の家系のほうも杜氏がいることが分かり、双方の家系図を作ったらそれぞれ100人ぐらいになったそうだ。

江戸時代から明治、大正、昭和、平成、令和へと一族が順ぐりに託してきた「焼酎造り」のバトンパスを家系図に記した黒瀬さんは、「この焼酎文化を守ることが自分のライフワークになるのではないか」と一念発起するに至る。

東京でのビジネスマンのキャリアを終わらせて福岡に帰り、「焼酎プロデューサー」として活動を始めたのが2019年だった。

最近、「事業承継」という言葉があちこちで聞かれる。

「後を継いでくれる人がいない。どうしよう」という問題解決のためにそれを継続させるために事業を立ち上げた人の話も聞くが、廃業する実例もよく聞く。黒瀬さんの場合は「杜氏」になった訳ではないが、ちょっと形を変えた「伝統的ファミリービジネスの継承」がなされる例はとてもおもしろい。

何よりも、黒瀬杜氏が守ってきた焼酎造りのバトンリレーに「大阪」が大きく関わっていたという話は本当に楽しみである。

家系図を作るために南さつま市まで何度も出向いただけでなく、焼酎の酒蔵にも頻繁に顔を出し、東京や大阪へも取材やイベントのために訪れる。この人の運動量は半端ない。

焼酎の都・福岡で超個性的な焼酎好きを集めて開催された日本経済新聞「本格焼酎・泡盛の日」の座談会で黒瀬さん(イラスト右下)は司会を務めた(2024年11月1日掲載/イラスト&デザイン・神谷利男)

彼女の出身校・早稲田大学では2024年4月から「ラグビー蹴球部 女子部」が正式に発足したが、黒瀬さんはそれに先立つことウン十年前に同好会でラグビーをやっていた。ポジションは右のフランカー(FL7)。

スクラム、ラインアウト、モール、ラックなどのボール争奪戦には必ず顔を出し、相手の強烈な当たりも「上等じゃい」と受けて、バックスにいいボールを供給すれば必ずチャンスが訪れるという「運動量半端ないし汚れ役も多いけどきっと報われる」ポジション。

その話を振ったら黒瀬さんはにっこり笑って「そうですかね」と言った。

機嫌のいい人である。なので、この人の周りにも機嫌のええ人が集まる。焼酎業界はこの人の「上機嫌」のおかげで、かなり得をしているのではなかろうか。

ナカノシマ大学の申し込みはこちらへ→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20250116

 

 

 

 

 

 

 

朝比奈隆を追いかけて大阪に通った岩野裕一さん

2024年12月16日 月曜日

担当/中島 淳

12月19日(木)のナカノシマ大学に登壇する岩野裕一さんは、明治30年(1897)創業の出版社「実業之日本社」の社長であるが、それ以上に(というと会社には失礼だが)、朝比奈隆の晩年に寄り添い、大阪に足繁く通ったのみならず満州、シカゴなどへの演奏旅行にも同行し、『王道楽土の交響楽−−−−満州 知られざる音楽史』(音楽之友社/第10回出光音楽賞受賞)、『朝比奈隆 すべては「交響楽」のために』(春秋社)を上梓した音楽ジャーナリストとして知られている。

DVDには『のだめカンタービレ』のベートーベン「7番」第4楽章ほか、ブルックナー、ブラームス、チャイコフスキーなどの名演奏7本を収録

「偉大なる指揮者に貼り付いて取材した音楽ジャーナリスト」というとすごくお堅い感じがするが、実に愛嬌があって茶目っ気に溢れるナイスガイの「鉄ちゃん」である。この人が日本のクラシック音楽に対してもっともっと発言してくれたら、敷居がどんどん低くなっていいのになと思っている。

だから、仮にあなたが少しばかりクラシック音楽に興味があって、「朝比奈隆さんの指揮を聴いたことはないけど、ちょっと気になる」ということであれば、岩野さんはきっと期待に応えることを話してくれるから、ぜひお越しください、と強く言います。

当日、会場で販売するのは写真の本であるが、DVD付きで値段もそれなりにするだけあって、「読みごたえ」も「観ごたえ」も両方ともある。1冊読めば、20世紀の日本史や世界史とリンクして「朝比奈隆はどんな指揮者でありどんな人間であったか」ということを知ることができるし、そんな「20世紀音楽史の生き証人」みたいな人が大阪を舞台に「オーケストラの創業者・経営者・音楽監督・常任指揮者」という激務をこなしながら1ステージ1ステージを燃焼させながら93歳まで生きた、ということを驚かずにはいられない。

同時に、この本を出版社の激務の合間に書き上げたという岩野氏の努力にも頭が下がる。特に最終章の「林元植(イム・ウォンシク) 朝比奈隆 唯一の弟子」が素晴らしい。16ページのブロックなのに、この一項だけで映画が一本出来そうな壮大な人間ドラマを読ませてくれる。著名な日本の歌手や韓国代表のサッカー選手などが次々と登場していて、朝比奈隆という人が日韓の文化交流にも多大な貢献をした人だった知るに至る。

あとは、19日(木)の岩野さんの演奏ならぬ講義を「生で」お聴きください。

かつて朝比奈隆の大阪フィルを聴こうと、慌てて東京駅から新幹線に飛び乗っていた岩野さんが、今度は、朝比奈隆と大阪フィルの話をするために新幹線で来阪する。

朝比奈先生もきっと喜んでおられると思う。

 

最後に、かつて雑誌の『大阪人』に書かれたこちらの一文を。

フェスティバルホールへの旅  岩野裕一

私のオフィスから東京駅までは、ダッシュすればわずか五分。午後三時過ぎからずっと落ち着かない時間を過ごしてきたが、決断するならいましかない。よし、やっぱり行こう。

怪訝そうな同僚の目を振り切って会社を飛び出し、カバンを抱えて一目散に東京駅へ。改札口を抜けてホームに駆け上がると、新大阪行きの新幹線になんとか間に合った。空席を捜し、乱れた呼吸を整えると、ようやく気持ちにゆとりが出てきた。さて、今夜はどんな演奏を聴くことができるのだろうか……。

朝比奈先生が指揮する大阪でのコンサートに、いったい何度足を運んだことだろう。東京で暮らす私にとって、「大阪へ行く」というのは、すなわち「朝比奈先生を聴く」ことだった。とりわけ、中之島のフェスティバルホールで開かれる大阪フィルの定期演奏会は、たいがいが平日の夜七時開演で、会社を抜け出すのに苦労しただけに、ことさら印象深い。

新大阪で御堂筋線の地下鉄に乗り換え、淀屋橋で地上に出ると、目の前に水辺のある風景が広がる。ああ、また大阪に来たな、と実感する瞬間だ。

淀屋橋からホールまで、新旧のオフィスビルを眺めつつ、都心の川べりをのびやかな気持ちでホールに向かうときの気分は、東京のコンサートホールでは味わえない、ちょっとした心のぜいたく。そう、ロンドンのテムズ川沿いにあるロイヤル・フェスティバルホールに向かうときの雰囲気に、どこか似ている。十分ほどの散策を楽しみ、なんとか開演時間に間に合った。

ロビーに飾られた、かつてこのステージで音楽を奏でた巨匠たちの写真が、ホールの永い歴史を無言のうちに物語っている。その主(ぬし)ともいうべき朝比奈先生は、一九五八年の開館以来、実に四十三年間にわたって、大阪フィルと共にこのホールへ音楽を染み込ませてきた。いまでは古色蒼然としたフェスティバルホールだが、その威厳は先生にこそふさわしい。

開幕のベルが鳴り、舞台の上ではチューニングを終えた大阪フィルのメンバーが、指揮者の登場を待っている。一瞬の沈黙ののち、下手のカーテンをひるがえして、背筋をまっすぐに伸ばした朝比奈先生がさっそうと舞台に歩み出る。堂々とした足取りで指揮台に向かいながら、先生は聴衆からの拍手を全身で受け止め、ホールの空気を暖かくも張りつめたものに変えていく。さあ、今夜も音楽会の始まりだ−−−−。

この身の引き締まるような瞬間を、私たちはもはや共有することができないと思うと、たまらなく寂しい。だが、忘れてはならないのは、朝比奈先生が半世紀以上にもわたって育て上げ、大阪の誇りとなった大阪フィルが、いまも私たちと共にある、ということだ。

大阪フィルは、これからもずっと、フェスティバルホールのあの大きな空間を、オーケストラの響きで満たしてくれるに違いない。

先生がこの世にいないのは悲しいけれど、それでも私はまた東京の会社をそっと抜け出し、川沿いの道を急ぎ足で歩いて、大阪フィルの演奏会に向かうことにしよう。

(岩野裕一『すべては「交響楽」のために』から 初出〜雑誌『大阪人』2002年4月号)

朝比奈先生の墓前に、19日(木)に岩野さんが登壇することを報告してきました(神戸市灘区の長峰霊園にて)

岩野さん、死ぬほど忙しい人だから、新大阪で地下鉄に乗っても淀屋橋を乗り過ごさないだろうか(笑)。いや、それ以上に淀屋橋から永年の習性で西側のフェスティバルホールに行ってしまわないか心配だが……。

この日は橋の東側、大阪府立中之島図書館に向かってください。みなさんお待ちかねです。

ナカノシマ大学は12月19日(木)18時からです。申し込みはこちらへ→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241219

 

 

 

阪急電車を運転し、百貨店の売り場にも立っていた指揮者・朝比奈隆のこと

2024年12月11日 水曜日

担当/中島 淳

12月19日(木)のナカノシマ大学で岩野裕一さんにお話しいただくのは、たぶん30代以上の方なら指揮台に立っている姿をリアルタイムでご覧になったであろう、大阪フィルハーモニー交響楽団の音楽総監督で常任指揮者だった朝比奈隆(1908〜2001)のこと。

©️大阪フィルハーモニー交響楽団・飯島隆

「日本のオーケストラ史」のど真ん中を体現してきたこの指揮者は、戦後の大阪で今日も続いている交響楽団を立ち上げ、作曲家の真髄に迫る音を追求するためにひたすら演奏のクォリティを向上させていっただけでなく、楽団員が「オーケストラの一員として生活ができるように」マネジメントし、楽団に対する社会的支援を求めて駆けずり回った人でもある。

そういう意味で、音楽家としての偉大な業績はもちろんだが、カラヤンやバーンスタインなどの「世界的指揮者」とは違う次元でも、もっと評価されてよいと思う。

朝比奈隆は、工学博士で北越鉄道取締役会長だった渡邊嘉一と内妻の小島さととの間に東京の牛込(現・新宿区市谷砂土原町)で生まれ、ほどなく朝比奈林之助の養子となった。

幼い頃は小児喘息や栄養失調で苦しみ、療養の傍ら学業を続ける日々だったが、7年制の東京高等学校(旧制)に入学した頃から音楽に目覚めてバイオリンを習いはじめ、部活ではサッカーに熱中して(右のサイドバックだったらしい)当時全日本の覇者だった東大を破って話題になる。勉強にも身が入り成績も上がり、昭和3年(1928)春に京都帝国大学法学部への入学を果たす。

京大を選んだのは「東京を離れたい」ということもあったが、当時、音楽部を指導していたエマヌエル・メッテル(1878〜1941)が指揮するオーケストラの演奏に強烈な印象を受けて、「この人に習いたい」と思ったことが第一の理由だった。

「メッテル先生」は、日本のポピュラー音楽史に欠かせぬ作曲家・服部良一(1907〜93)も師事した人で、朝比奈隆はこの厳しい師匠から一つ年上の弟子(服部)を引き合いに出しては「服部君はよくやるのにお前は少しも勉強せん」とさんざん小言を言われたらしい。

朝比奈隆は京大で交響楽団に入って音楽漬けの学生生活を過ごし、そのおかげで高等文官試験(高級官僚の採用試験)に通らず、卒業後は阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)に入社した。実の父や養父、兄たちが鉄道を仕事にしていたことも関係していた。

阪急入社は昭和6年(1931)。大阪の人口が急激に増加し、東京を抜いて世界第6位の都市になった「大大阪」時代の真っただ中で、大阪のシンボル大阪城天守閣が市民の寄付によって再建された年でもあった。

旧い街を縫うようにして路線を敷いた阪神とは違って、人がまだ住んでいない場所に鉄道を通し、その沿線に住宅や行楽施設を開発する阪急の業績はこの時期右肩上がりで、「通勤・通学は電車で、行楽も電車で」というサラリーマンや学生が大量に生まれた時代でもあった。朝比奈隆は電車の運転にも携わる。

昭和4年(1929)開業の世界初のターミナルデパート阪急百貨店(阪急電鉄HPより)

「電車の構造からちょっとした電気知識、運転技術、さらには沿線案内と切符の説明、駅の呼び方に至るまで、教えられた。教習期間がすむと指導員がついて二、三カ月、実際に電車に乗る。ちょうど夏ごろから一人前というわけで、私も相沢(巌夫=陸上選手。当時の男子100m日本記録保持者)君も宝塚線に回された」(朝比奈隆「私の履歴書」より〜『楽は堂に満ちて』所収)

 

ストップウォッチを持っている相沢君と二人で、「梅田から宝塚までの駅名を何秒でいえるか」や、実際に終電に乗務して、「宝塚から池田まで何分何秒でいけるか」などの勝負に明け暮れていたらしい。上司からは大目玉を食ったそうだが、たわいもなく楽しそうである。

入社1年後にはまだオープンして間もなかった梅田の阪急百貨店でも働いた。

「私たちがいるころ、百貨店東側の部分が増築されたが、まだまだ小さい店だったので、店員の名前も顔もすぐ覚えられた。百貨店への異動も相沢君と一緒で、彼は五階、私は六階の家具、陶器、タンスなどの売り場だった。そのころは蓄音機、レコード、ラジオなどの音響部門もあることはあったが、これも六階で扱った。私の売り場は午前中はほとんどお客さんがなく閑散だったので、よく大きな音量でレコードをかけて楽しんだものである」(同)

まさに朝比奈隆が売り場にいた、昭和7年(1932)頃の阪急百貨店(同)

ずいぶんとお気楽な百貨店員だが、それだけでは済まなかったようだ。

京大時代の先輩でチェロ奏者の伊達三郎(1897〜1970)が、バイオリンが弾ける朝比奈隆に「弦楽四重奏をやろう」とやって来た。その誘いにホイホイと乗って、職場を抜け出して大阪中央放送局(JOBK)に駆け込んで、生演奏までしていたらしい。

「当時の放送は NHKだけ。しかもナマ放送なので六階の売り場のラジオが『ただいまから“お昼の音楽”をお送りします。出演は大阪弦楽四重奏団、メンバーはバイオリン朝比奈隆……』とアナウンスしているのだから、どうにも隠しようがなかった。『あいつ、また行っとるで』とすぐわかった。引き立ててもらった伊達さんのせいにしてごまかしていたが、それでも上司からしかられたことはなかった」(同)

世界のクラシック音楽の歴史の中で、都市を代表する交響楽団の音楽総監督としてオーケストラを永く指揮してきた人間が、過去に日々電車を運転し、百貨店の売り場で品物を販売していた、という例は、唯一とは言えないまでも、とてつもなくレアなことではないかと思う。

朝比奈隆という指揮者には、筆者は客席からお目にかかった程度にしか存じ上げないが、威厳に満ちた人だという印象と同時に、「華やかさ」や「大衆性」を感じた。とくに演奏が終わってからの客席に対する挨拶の時に多くの人がステージに近づいては拍手を送る姿を見て、「ほんまにいろんな世代の人から愛されているなこの人は」と感じた。

その明るいキャラクターは阪急時代(2年ちょっとの間ではあったが)にいっそう培われたものと言っても過言ではないと思う。

「運転席の窓越しに見たあの乗客」「売り場にいたあのお客さん」の記憶は、彼の中でそのまま「オーケストラを聴きに来てくれる人たち」につながっていったのだと思う。

朝比奈隆が阪急を辞めたのは昭和8年(1933)。京大へ復学して文学部哲学科に入り、よりいっそう音楽漬けの日々を送って大阪音楽学校(現・大阪音楽大学)に勤務する傍ら、指揮者への階段を一歩一歩登っていった。

昭和16年(1941)に結婚して神戸市灘区に居を構えてからは、戦時中の上海、満州での生活を除けば、死去するまでの60年間、ずっと阪急沿線の神戸市灘区に住み続けた。江戸っ子の彼にとって、阪急の2年間は楽しい思い出ばかりだったようだ。

「やめるときも理由をつけるのに困ったが、やめろともいわれず、意味なくやめ、いまだに阪急から離れられず、その周辺をうろうろしている。私みたいな妙な元“阪急マン”はおそらくいないだろう」(同)

表紙は、舞台を出る巨匠に喝采を贈る観客を捉えている。岩野さんはこの本の解説も執筆

音楽ジャーナリストの岩野さんが12月19日(木)のナカノシマ大学の講義で、阪急時代の話をどの程度されるかは分からないが(欧州にも米国にも満州にも大阪にも朝比奈隆を追いかけて取材した人なので)、きっと言わずにはいられないと思う。

というのも、岩野さんも朝比奈隆と同様に「鉄ちゃん」だからである。

ナカノシマ大学の申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241219

拝啓・古地図サロンから46

2024年11月25日 月曜日

2024年11月22日・本渡章より

【今回の見出し】

  • 大阪ガスビル古地図サロン最終回と新サロンのお知らせ
  • お知らせ・電子書籍のご案内・プロフィール

大阪ガスビル古地図サロン最終回と新サロンのお知らせ

2024年11月22日をもって大阪ガスビル1階カフェ「feufeu」での古地図サロンは終了しました。
最終回は参加12人、公開古地図7点を囲んで、いつものように和やかなひとときを過ごしました。2018年1月26日開催の第1回から数えて全45回のご愛顧ありがとうございました。
※会場の1階カフェ「feufeu」はその後も大阪ガスビル改修工事が始まるまで営業していますので、皆様引き続きご利用ください。

「古地図サロン」初期の風景(2018年頃)

 

2025年からは、次の2つのサロンでお会いいたしましょう。


豆玩舎ZUNZO(宮本順三記念館)

2025年2月7日(金)午後2~4時、第8回古地図サロン「東風(こち)」
会場はグリコのおまけデザイナー、宮本順三さんの作品と世界の玩具のミュージアム。2023年9月から始まり、地図を通して大阪府域の歴史や暮らしを語る場に育ちつつあります。
近鉄八戸ノ里駅前。参加費(記念館入館料)700円(お茶付き)

まちライブラリー北勝堂

2025年3月29日(土)午前10~12時、第1回サロンを開催。(第1回は春休み期間中につき、主に親子対象になる予定)

会場は江戸時代創業の老舗を改装した私設図書館。地域のコミュニティ的な場としても親しまれています。古地図サロンの詳細は未定ですが、所在地の西天満の地域活動を応援するかたちでスタートしたいと思います。
最寄りは大阪メトロ南森町・北浜・淀屋橋の各駅。

 

■ 2025年イベントのお知らせ

●「古代の鉄の文化と黒姫山古墳 」 主催・文学歴史ウォーク

1月12日(日)10~14時 南海高野線・北野田駅前集合
東文化会館での講演&黒姫山古墳・みはら歴史博物館の見学 

 

●「枚岡と石切~河内の歴史と風土」
朝日カルチャーセンター中之島

2月3日(月) 10時~11時30分 河内国一之宮の枚岡神社と河内の歴史(教室)
3月3日(月) 10時~11時30分 参道とともに賑わう石切劔箭神社と河内の風土(教室)
3月17日(月) 10時~12時30分 石切劔箭神社~枚岡神社(現地)

 

●大阪古地図さんぽ

大阪24区を順番に歩いてめぐる「古地図さんぽ」講座を年数回開催しています。
2025年2月のテーマは都島区。開催日など詳細は阪コミュニティ通信社
まで。


●「明治~大正~昭和の大阪古地図展(仮題)」
大阪府立中之島図書館

開催決定! 期間は2025年4月のおよそ1カ月間、展示地図 100点余。
来春リニューアルされる展示室での最初のイベントになる予定です。
詳細はあらためてお知らせします。

 

● X(ツィッター

X(ツィッター)始めました。本渡章 @hondo_akira1113
古地図以外の話題もいろいろ。その他まだ公開できませんが、進行中の案件あり。いずれご報告いたします。

●「大阪の地名に聞いてみた」ブログ連載全12回24編

一年間の連載(題字と似顔絵・奈路道程)に追加取材を加え、ブログの内容を大幅に刷新して書籍化が進行中です。刊行までブログ「大阪の地名に聞いてみた」をお楽しみください。

第12回 ここは水惑星サンズイ圏【前編・後編】
第11回 島の国の島々の街【前編・後編】
第10回 仏地名は難波(なにわ)から大坂、大阪へ【前編・後編】
第9回  人の世と神代(かみよ)をつなぐ神地名【前編・後編】
第8回 語る地名・働く地名【前編・後編】(仕事地名・北摂編)
第7回 古くて新しい仕事と地名の話【前編・後編】(仕事地名・河内編)
第6回 街・人・物・神シームレス【前編・後編】(仕事地名・泉州編)
第5回 場所が仕事をつくった【前編・後編】(仕事地名・大阪市中編)
第4回 花も緑もある大阪【前編・後編】
第3回 桜と梅の大阪スクランブル交差点【前編・後編】
第2回 続・干支地名エトセトラ&その他の動物地名【前編・後編】
第1回 大阪の干支地名エトセトラ【前編・後編】

 

 

●大阪古地図さんぽ

大阪24区を順番に歩いてめぐる「古地図さんぽ」講座を年数回開催しています。5月のテーマは淀川区。詳細は大阪コミュニティ通信社まで。

 

動画シリーズ継続中!
本渡章の「古地図でたどる大阪の歴史」~「区」150年の歩み

大阪市のたどった道のりを、それぞれの土地の成り立ちと経済、文化など多様な要素を持つ24の「区」から見つめなおすシリーズ。続編はしばらくお待ちを。詳細は大阪コミュニティ通信社まで。

第2回番外編 府と区と市の関係について再考

第2回その2 西へ西へと流れた街のエネルギーと水都の原風景…西区

第2回その1 「江戸時代の大坂」と「明治以後の大阪」の架け橋となった巨大区…西区

第1回その3 平成の減区・合区が時代のターニングポイント

第1回その2 大正~昭和は人口爆発、増区・分区の4段跳び時代

第1回その1 大坂三郷プラスワン、4つの区の誕生

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【古地図ギャラリー休眠のお知らせ】

 

2020年9月から202311月まで、東畑建築事務所・清林文庫の所蔵地図、鳥瞰図絵師の故・井沢元晴氏の作品を中心に紹介してきた古地図ギャラリーは休眠期間に入りました。過去20回の公開作品には現役の鳥瞰図絵師、青山大介氏の作品や本渡章所蔵の古地図も含まれています。ラインアップは下記の通りです。
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過去20回の古地図ギャラリーで公開した全40作品

20(2023年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大阪新町夕陽廊の賑」安政5年(1859)

第19回(2023年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より黄華山・画「花洛一覧図」文化5年頃(1808)

 

第18回(2023年7月)

①東畑建築事務所・清林文庫より池田奉膳蔵「内裏図」

 

第17回(2023年5月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「地球萬國山海輿地全図」

②青山大介作品展2023

 

第16回(2023年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「天王寺・石山古城図」

 

第15回(2023年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より長谷川圖書「摂津大坂図鑑綱目大成」

 

第14回(2022年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より久野恒倫「嘉永改正堺大絵図」

②鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「私たちの和田山町」

 

第13回(2022年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「淀川勝竜寺城跡全図」

 

第12回(2022年7月)

①東畑建築事務所「清林文庫」より秋山永年「富士見十三州輿地全図」

 

第11回(2022年5月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大日本分境図成」

 

第10回(2022年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「新改正摂津国名所旧跡細見大絵図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「笠岡市全景立体図」

 

第9回(2022年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「暁鐘成・浪花名所独案内」

②本渡章所蔵地図より「大阪市観光課・大阪市案内図

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「躍進井原市」

 

第8回(2021年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「友鳴松旭・大日本早見道中記」

②本渡章所蔵地図より「遠近道印作/菱川師宣画・東海道分間絵図」「清水吉康・東海道パノラマ地図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「吉備路」

 

第7回(2021年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「石川流宣・江戸図鑑綱目坤」「遠近道印・江戸大絵図」

②本渡章所蔵地図より「改正摂津大坂図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「倉吉市と周辺 文化遺跡絵図」

 

第6回(2021年7月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「石川流宣・日本海山潮陸図」「石川流宣・日本国全図」

②本渡章所蔵地図より「大阪師管内里程図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「倉敷美観地区絵図」

 

第5回(2021年5月)

①2007清林文庫展解説冊子・2019清林文庫展チラシ

②本渡章所蔵地図より「近畿の聖地名勝古蹟と大阪毎日」

③フリーペーパー「井沢元晴漂泊の絵図師」・鳥観図「古京飛鳥」「近つ飛鳥河内路と史跡」

 

第4回(2021年3月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「大阪湾築港計画実測図」

②本渡章所蔵地図より「大阪港之図」

③鳥観図絵師・井沢元晴の作品より「福山展望図」

④鳥観図絵師・青山大介の作品より「梅田鳥観図2013」

 

第3回(2021年1月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「江戸切絵図(尾張屋版)」「摂津国坐官幣大社住吉神社之図」

②本渡章所蔵地図より「摂州箕面山瀧安寺全図」

③昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「小豆島観光絵図」

 

第2回(2020年11月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「メルカトル世界地図帳」「オルテリウス世界地図帳」

②本渡章所蔵地図より「A NEW ATLAS帝国新地図」「NEW SCHOOL ATLAS普通教育世界地図」

③昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「大阪府全図(三部作)」

 

第1回(2020年9月)

①東畑建築事務所・清林文庫より「ブレッテ 1734年のパリ鳥観図」

②昭和の伊能忠敬・井沢元晴の鳥観図より「ふたつの飛鳥と京阪奈」

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東畑建築事務所「清林文庫」は、同事務所の創設者東畑謙三が蒐集した世界の芸術・文化に関する稀覯本、約15000冊を所蔵。建築・美術工芸・絵画・彫刻・考古学・地誌など分野は幅広く、世界有数の稀覯本コレクションとして知られる。古地図に関しても国内外の書籍、原図など多数を収め、価値はきわめて高い。

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鳥観図絵師・井沢元晴(1915~1990)は戦後から昭和末までの約40年間に、日本各地を訪ねて多くの鳥観図を描き、昭和の伊能忠敬とメディアで紹介された。活動の前半期にあたる戦後の20年間は「郷土絵図」と呼ばれた鳥観図を作成。その多くは、子供たちに郷土の美しさを知ってもらいたいとの願いをこめて各地の学校に納められ、校舎に飾られた。学校のエリアは主に西日本。「郷土絵図」の活動は60年代半ばまで継続し、新聞各紙にとりあげられた。

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鳥観図絵師・青山大介(1976~)神戸生まれ。高校時代に都市鳥瞰図絵師の第一人者、故・石原正氏の鳥観図に出会い、感銘を受け、独学で鳥瞰図絵師を志す。2011年、制作に3年半をかけた「みなと神戸バーズアイマップ2008」を完成。2013年発行の「港町神戸鳥瞰図2008」は神戸市の津波避難情報板に採用された。以後、多数の作品を発表し、都市鳥瞰図の魅力を発信。2022年の「古の港都 兵庫津鳥瞰図1868」は同年開館の兵庫津ミュージアムのエントランス展示作品となる。2023年、神戸市文化奨励賞受賞。

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●電子書籍のお知らせ

本渡章の著書(古地図・地誌テーマ)のうち、電子書籍になった10冊(2022年末現在)は次の通りです。
(記載の刊行年は紙の書籍のデータです)

『鳥瞰図!』140B・刊(2018年)

思考・感情・直観・感覚…全感性を目覚めさせる鳥瞰図の世界にご案内。大正の広重と呼ばれた吉田初三郎の作品群を中心に、大空から見下ろすパノラマ風景の醍醐味を味わえます。併せて江戸時代以来の日本の鳥観図のルーツも紐解く、オールカラー・図版多数掲載の決定版。

『古地図で歩く大阪 ザ・べスト10』140B・刊(2017年)

梅田・中之島・御堂筋・ミナミ・天満・京橋・天王寺。阿倍野・住吉・十三・大正・平野の10エリアを古地図で街歩きガイド。さらに博物館、図書館、大書店、古書店での古地図探しの楽しみ方、大阪街歩き古地図ベストセレクション等々、盛りだくさんすぎる一冊。オールカラー・図版多数掲載。

*上記2冊は各電子書籍ストアでお求めください

*下記8冊は創元社(オンライン)の電子書籍コーナーでお求めいただけます

『図典「摂津名所図会」を読む』創元社・刊(2020年)

大阪の地誌を代表する「摂津名所図会」の全図版を掲載。主要図版(原寸大)には細部の絵解きの説明文、その他の図版にもミニ解説を添えた。調べものに便利な3種類の索引、主要名所の現在地一覧付。江戸時代の大阪を知るためのビジュアルガイド。

『図典「大和名所図会」を読む』創元社・刊(2020年)

姉妹本『図典「摂津名所図会」を読む』の大和(奈良)版です。主要図版(原寸大)には細部の絵解きの説明文、その他の図版にもミニ解説を添え、3種類の索引、主要名所の現在地一覧も付けるなど「摂津編」と同じ編集で構成。江戸時代の奈良を知るためのビジュアルガイド。

『古地図が語る大災害』創元社・刊(2014年)

記憶の継承は防災の第一歩。京阪神を襲った数々の歴史的大災害を古地図から再現し、その脅威と向き合うサバイバル読本としてご活用ください。歴史に残る数々の南海トラフ大地震の他、直下型大地震、大火災、大水害の記録も併せて収録。

『カラー版大阪古地図むかし案内』(付録・元禄9年大坂大絵図)創元社・刊(2018年)

著者の古地図本の原点といえる旧版『大阪古地図むかし案内』に大幅加筆し、図版をオールカラーとした改訂版。江戸時代の大坂をエリアごとに紹介し、主要な江戸時代地図についての解説も収めた。

『大阪暮らしむかし案内』創元社・刊(2012年)

井原西鶴の浮世草子に添えられた挿絵を題材に、江戸時代の大坂の暮らしぶりを紹介。絵解きしながら、当時の庶民の日常と心情に触れられる一冊。

『大阪名所むかし案内』創元社・刊(2006年)

江戸時代の観光ガイドとして人気を博した名所図会。そこに描かれた名所絵を読み解くシリーズの最初の著書として書かれた一冊。『図典「摂津名所図会」を読む』のダイジェスト版としてお読みいただけます。全36景の図版掲載。

『奈良名所むかし案内』創元社・刊(2007年)

名所絵を読み解くシリーズの第2弾。テーマは「大和名所図会」。全30景の図版掲載。

『京都名所むかし案内』創元社・刊(2008年)

名所絵を読み解くシリーズの第3弾。テーマは「都名所図会」。全36景の図版掲載。

※その他の電子化されていないリアル書籍(古地図・地誌テーマ)一覧

『古地図でたどる 大阪24区の履歴書』140B・刊(2021年)

『大阪古地図パラダイス』(付録・吉田初三郎「大阪府鳥瞰図」)140B・刊(2013年)

『続・大阪古地図むかし案内』(付録・グレート大阪市全図2点)創元社・刊(2011年)

『続々・大阪古地図むかし案内』(付録・戦災地図・大阪商工地図)創元社・刊(2013年)

『アベノから大阪が見える』燃焼社・刊(2014)

『大阪人のプライド』東方出版・刊(2005)

 

「ふるえる書庫」に泉大津市立図書館の河瀬館長とお邪魔する

2024年11月20日 水曜日

担当/中島 淳

秋は電車の中でも本を読むのが楽しい季節だが、里山の古民家なんかで読んだりしたら完全に没頭してしまう。

前回のブログでは、池田市古江町の私設図書館「ふるえる書庫」をつくった釈徹宗先生(如来寺住職・相愛大学学長)と一緒に、話題の「泉大津市立図書館シープラ」にお邪魔した話を書いたが、今回はその逆で、シープラの館長、河瀬裕子さんと一緒に池田市古江町の「ふるえる書庫」にお邪魔したレポートを。

釈先生が住職を務めておられる如来寺山門前から。「ふるえる書庫」の美しい外観がお出迎え。縁側まであります

思わずお尻に根が生えてきそうな、ふるえる書庫2階のマンガの部屋。1巻から全巻制覇した頃には日が暮れて……ありえます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふるえる書庫」は2022年秋に、釈先生が住職を務める浄土真宗本願寺派如来寺そばの古民家に誕生した。

開館の経緯を、先生の息子で副住職の釈大智さんが同館のHPに書いておられる。

うちのお寺には、住職の蔵書が大量にありました。

この前ざっと数えてみたら、その数およそ3万冊。

ちょっとした図書館ぐらいの量がある、、。

それも日々数が増えていく一方で、整理も収納も追いつかない有様。

「これはなんとかしないと、お寺が本で埋め尽くされる、、!」という焦燥感と、その一方で「大量にある本を公共財として活用したい」という思いも抱えておりました。

そんなことを考えていたときに、お寺の横に住んでおられたご門徒さんが、「もしよかったら空き家になるうちをお寺で活用してください」とおっしゃっていただいたのが、この「ふるえる書庫」プロジェクトの始まりです。

360年続く地元のお寺と、門徒さんの信頼関係の強固さを感じる。「3万冊の本」の中身はこんな感じである。

この書庫は、蔵書のほとんどが古今東西の宗教に関係する本です。

なかなか他の図書館にもないようなラインナップが揃っています。

宗教が持つ重要な機能の一つは、社会の価値規範や常識を相対化し、自分自身のあり方を改めて問い直すということ。書庫で新たな“知”と出会い、集まる“人”と交流することで、自分自身の枠組みが揺さぶられる。そんな「ふるえる体験」が生まれる場所にしたいという想いから、「ふるえる書庫」という名前をつけました。

さらに、「ふるえる書庫」は本を借りるだけでなく、自分の本棚を作ったり、訪れた人が料理をふるまったり、自分の得意を“ふるえる”場でもあります。

主客入り乱れる、これまでになかったおもろい書庫にしていきたい!

(ちなみに、古江町だから“ふるえ”る書庫というダジャレでもあります。笑)

そんな「おもろい書庫」に行くのに、阪急池田駅から阪急バスで「中川原」まで行って(本数が結構ある)10分ほど歩いたら到着……というのもあんまりおもしろくないなぁ、と思い、同じ阪急の川西能勢口から能勢電で鼓滝まで行って、そこから峠を越えて行く方が、地元の感じも分かるのではと勝手に判断して(勝手や)、河瀬館長には悪いが「ちょっと歩きますけど……」と言って、「鼓滝駅からの峠越えコース」を歩いて行くことにする。

最初の10分はひたすらこんな激坂

「私、関西に来てからはよく歩くようになったのでぜんぜんオッケーです」と河瀬さん。

彼女が熊本県内でいくつかの図書館に勤務しておられた頃は、「家を一歩出たらずっとクルマでしたから」という生活だったが、泉大津市立図書館シープラに赴任してからは電車&徒歩で「海にも、山にも、街にも」という生活にガラリと変わったそうなので、それはそれでよかった。

しかし、鼓滝駅から南へ歩くと、いきなりこんな坂が続く。

「電動アシスト自転車でもしんどそうやな……」の急坂であるが、河瀬さんはリズミカルにすいすい歩いておられる。さすが。

10分ほど登ると、峠に差し掛かり、こんな分岐に出る。

何も書かれてはいないが、兵庫県(川西市)と大阪府(池田市)の県境あたり

 

 

まっすぐではなく左の道に入り、やがてゆるやかに下りはじめる。

そうすると、これまでの住宅街から一転して、「いかにも山麓」の景色が広がり、商品にする樹木が栽培されている場所があちこちにある。この辺りは造園業が盛んなエリアなのだ。

形のいい松の木は、どんなお屋敷の庭を飾るのか?

そういえば、八尾市の東部、近鉄服部川駅から東に広がる高安山麓の風景もこんな感じだったなぁと思い出した。

そして峠からさらに10分ほど歩くと、池田市の「古江寺山公園」に到着。

古江寺山公園。如来寺の向こうに古江町の集落や余野川沿いの道が見える。春の桜が凄いらしい

 

 

 

なんだかんだ言っても、結局20分ほどしっかり歩いたら如来寺の屋根が目の前に見える公園に到着するのだ。早いっちゃあ早い。

Googleマップでは、古江寺山公園から如来寺やふるえる書庫に行くには、いったん下ってからまた坂を上る……という大回りの道しか表示されていない。あの便利な道具はアテにもなるけどそうでないこともある。

見ると、公園の右手には如来寺に下りる道(階段)がちゃんとあって(Googleマップには出てこない)、ここから冒頭の写真の場所まで30秒もかからず到着した。

梁が貫通したエントランスの書棚を羨ましそうに見る河瀬館長(右)と釈大智さん

「ふるえる書庫」に入った瞬間、「あ〜、これは長いこといたい場所やな」という空気に包まれ、運営責任者の釈大智さん(釈先生の息子で如来寺の副住職)が出迎えてくれた。1階や2階を案内していただく。

書棚という書棚に本がぎっしりだが、不思議と「圧迫感」のようなものはまるでない。

天井が高く、彩光のよい古民家が図書館特有の「知の殿堂」的いかめしさを緩和させて、本好きフレンドリーな空気が満ち満ちている。

しかし……「3万冊の蔵書を如来寺から移して収納する」というのはとてつもなくハードだったと思うが、大智さんは建築家の方に頼んだのは

「3万冊が入る書棚をつくって入れてください。もうそれだけでした」

書棚をどう組んで1階と2階に配置するかはお任せだったという。

1階の背の高い書棚は「柱」の役割も果たしていて、書棚を上から下までゆっくり見ながら回遊する楽しみもある。

9割以上は釈先生の蔵書であるが「2階のマンガは半分ぐらい僕の本もあります」ということなので、冒頭の写真の部屋に行ったら「どれが釈先生ので、どれが大智さんのかな」と想像しながら探すのも楽しい。釈先生に似て滑舌がよく、上機嫌な声で話してくださった。感謝。

米朝師匠の作品が多いが、枝雀師匠のもあります

ちなみに、米朝師匠などの本やCDがたくさんある1階の落語棚は、完全に釈先生ワールドだそうだ。

部屋ごとに明かりの感じが微妙に違うのがまた愉しい

階段をトントンと上がった2階には、宗教や社会思想が中心のこんな部屋もあって、やわらかい明かりの下でこれまた長居したくなる。

 

メンバーシップの店番、Oさんにことわって、上から撮影しました

 

そして、2階の奥は吹き抜抜けになっていて、そこからは1階エントランスの感じがよく分かる。上の写真で河瀬さんが見ていたのは、こんな景色。

ふるえる書庫の運営は、大智さんをはじめ、他府県も含めていろんな地域に住んでいる会員の方の自主的参加によって成り立っている。

ちなみに11月のオープン日は、残りが21日(木)と26日(火)で、毎月Instagramに公開される。

前回お邪魔した泉大津市立図書館シープラは、泉大津という「地場」の特色がとてもよく出ているだけでなく、図書館勤務を20年以上務めた河瀬さんのさまざまな「思い」というのが具現化された、極めて人間的な空間だと思ったが、今回も同様である。

まず建物そのものが古江町の民家のリノベーションだし、その家主さんと如来寺のつながりというのは、古江町の歴史そのものだと言える。

私たちが図書館で「ほっとする」のは、本に囲まれて落ち着く、というのももちろんあるが、その図書館を成り立たせている「場所」の歴史というか目に見えない時間というか、そういったもの込みで「ほっとする」のだと改めて思った。

加えてシープラもここも、ちゃんと飲食できるスペースがあるのが有り難い。

天気が良かったら、建物の外とか古江寺山公園でお弁当を食べてもきっと楽しいと思った。

そんな「ふるえる書庫」をミニハイキングがてら訪れて、シープラの河瀬館長はどう思ったか……

前回の釈先生と同様に、11月28日(木)のナカノシマ大学でお話しいただきます。お楽しみに!

申し込みはこちらまで→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241128

 

目からウロコ!の泉大津市立図書館シープラ

2024年11月12日 火曜日
担当/中島 淳
11月28日(木)のナカノシマ大学は、15周年記念講座のハイライトである、釈徹宗先生(相愛大学学長・浄土真宗本願寺派如来寺住職)と河瀬裕子館長(泉大津市立図書館シープラ)が登壇する「図書館をつくり、育てる愉しさ」。
それでお二方には無謀を承知で、「今回は図書館がテーマなので、お二人が拠点とされている図書館をお互いに訪ねるという趣向はいかがでしょうか?」とお願いしたら、超多忙なスケジュールの合間を縫ってご快諾してくださった。ありがたい!
まずは釈先生と一緒に泉大津市立図書館シープラにお邪魔する。

泉大津の歴史や産業について常設展示するエリア「おりあみゅー」で河瀬館長から説明を受ける釈先生

急行停車駅である南海泉大津駅前(東側)の「アルザタウン泉大津」の4階だ。
「アルザタウン泉大津」は地下にスーパーが、1階に百均やドラッグストアが入り、2階はカフェや物販、5階には子ども英会話教室やヨガスタジオ、トランクルーム、そして6階には保育園が入る(3階は工事中)。いわば「生活密着型商業施設」で「せわしないトコかなぁ」と思っていたら、ぜんぜんそうではなかった。
館内には結構な人数の人たちが本を読んだり自習したりしている。10代が多いので「これだけいたらウルサいのでは」だが、ほんまにそうではない。強制された訳でもなく、みな自分のペースで館内の秩序を守っている、という感じ。

魚の本の棚。同じ魚でも「暮らしを知る」「釣る」「飼う」と、興味の対象は千差万別。それをうまく掬い取っている

「アレはだめ、コレもだめっていう張り紙がたくさんある図書館ってイヤじゃないですか」
河瀬館長はこの館のオープンにあたって、「◯◯してはいけないをなるべく言わない図書館」という画期的なコンセプトを打ち出し、そして利用者にはこう呼びかけた。「一緒に快適な空間をつくりましょう」
「うるさい」と感じさせない適度の「ざわめき」というのは逆に心地よいもので、どのコーナーに行ってもそれが感じられる。
河瀬館長は熊本県出身。2000年に熊本県内の学校図書館での勤務で図書館員のキャリアをスタートさせた

ガラスの向こうはスタディルーム。平日のお昼どきなのに大人気です(釈先生、後ろ姿ですみません)

その後、鹿本町(かもとまち)図書館・益城町(ましきまち)図書館の館長を経て、「くまもと森都心プラザ図書館」の館長に就任したが、就任早々にあの熊本地震(2016年4月14日)に見舞われる。
「熊本県内でも、書架が一番悲惨な状況になった図書館でした。夜だったからまだよかったのですが、開館中なら確実に死者かケガ人が出ていたのではないかと思いました」

毎日一度はイベントが開かれるオープンセミナースペース。「何やろ?」と入りやすい

その教訓をもとに、こちらの図書館では書架のそばにいる人が書架から離れられる時間をつくるために、ある「仕掛け」をするに至ったという(その内容はナカノシマ大学でご披露します)。
「商業施設の1フロアを使った図書館」というと、ネガティブな印象を持つ人もいるかもしれないが(正直言って最初はそう思っていた)、ここは某社が業務委託先になっているような露骨な商業主義とは明確に一線を引いている。
それでいて、旧来の図書館ができなかった「館内で熱いコーヒーを飲みながら本を読んだり自習したり」とか「ある程度のおしゃべりはぜんぜんOK」とかだけでなく、「手のひらサイズの植物貸し出しサービス」なども人気だそうで、やっぱり図書館も店と一緒で「人」で決まるよなぁ……と実感した次第。

少し緊張ぎみのお二方ですが、当日はリラックスしてお話しいただきます♬

さて、この新しい図書館を回った釈先生が抱いた感想は、あえて書きませんでした……それは11月28日(木)のナカノシマ大学でたっぷりとご披露します。
どうぞお楽しみに。
ナカノシマ大学はこちらから申し込みできます

阪堺沿線〜空が広い公園の街から、街道と路地の街へ

2024年11月5日 火曜日

担当/中島 淳

天王寺駅前から阪堺電車に乗って帝塚山三丁目で降りる。

11月7日(木)にナカノシマ大学に登壇する陸奥賢さんの講座「不思議な『阪堺沿線文化』を知る1〜天王寺駅前から我孫子道まで」に登場する現場をもうちょい歩きたくなったので現地へ。

パークサイドのパン屋カフェに出会ってラッキーでした

福壽堂秀信が左に見えたらまもなく帝塚山三丁目だ

帝塚山三丁目停留場は阪堺上町線が走り始めた明治33年(1900)からこの地にあって、かつては「帝塚山駅」という名称だった。

そこから西へ5分ほど歩いたところにある帝塚山学院のそばの「南海高野線帝塚山駅」は昭和9年(1934)の開業だから、両者には30年以上の隔たりがある。

この停留場から、帝塚山のシンボル「万代池公園」はすぐ。公園のど真ん中に池があって、その周囲を歩くだけでなく、浮島づたいに池を縦断する構造になっていて、福岡市にある「大濠公園」のスモールサイズのようだ。

雲は秋だったが、日差しはまだ残暑の感じ(2024年11月4日)

紅葉はこれからという感じで、だんだん秋の色になっていくのが楽しみだ。

池を縦断して南側に出たところに、カフェの付いたパン屋さんがあった。小腹が空いていたので入る。

「トーストセット」は焼き立ての分厚いトーストに、挽きたての熱いコーヒー、ゆで玉子が付いて380円。パン屋さん併設のカフェとはいえ、「ええっ!?」という良心価格である。

窓際の椅子に座って、公園内や外周の道路を歩く人、自転車をのんびり眺める。美味そうにトーストを頬張っていると、道ゆく人と目が合い、店の中を覗いたり、中には入ってくる人もいる。バターが溶けた熱いトーストはそれだけでたまらん。

たまらずコーヒーを少し飲んでしまったので、写っていないだけです

「帝塚山に住んでたら、ぜったい通うやろなここ」と思っていたら、お店には意外な貼り紙が出ていた。

この11月27日(水)をもって閉店されるそうである。2017年から7年、公園に面した場所で筆者のような小腹を空かせた人間に美味しいトーストとコーヒーを振る舞い、パンを販売してきた。一緒に食べたチキンと玉子のサンドイッチも美味かったな。

こんな洒落た店がなくなるのはほんまに残念だが、逆に「まだ11月27日まで時間があるし、ナカノシマ大学受講者の方々にもアナウンスできるし……」とお店の方に断りを入れ、自己紹介し、ナカノシマ大学のチラシを渡した。

「え、ウチのこと講座で話してくれるんですか!?  もう少し早かったらもっとうれしいけど……でもいいですよ。ありがとうございます!」

もんあたっしぇ]店主の大森千枝さんはそう言って快諾してくれた。おおきにです。

 

日本ウイスキー発祥の地なんで、もう少し盛り上げよう

そこから南へ下り、上町線と南海高野線が交差する東側に、市営住宅に挟まれただだっ広い公園があって、その一角に「摂津酒造跡」という表示があった。大阪市教育委員会が作った碑文にはこう記してある。

「神ノ木公園」の北東隅にある「摂津酒造跡」

今や世界5大ウイスキーのひとつに数えられる「ジャパニーズウイスキー」。その誕生の歴史に深く関わった人物こそが、この地にあった「摂津酒造」の二代目・阿部喜兵衛である。明治39年(1906)、喜兵衛は摂津酒精醸造所を創立し、大正期には国内三大アルコール製造業者となった。ウイスキー製造技術を導入するため、社員である竹鶴政孝をスコットランドに留学させ、日本でウイスキー製造を計画するも、第一次世界大戦後の不況により頓挫。失意のなか同社を退社した竹鶴は、大正12年(1923)、寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎に山崎蒸留所の初代工場長として迎え入れられ、昭和4年(1929)に国産初のウイスキーを世に送り出すことになる。

 

意外なところに、「国産初のウイスキー発祥の地」があった。もう少し歩いたところには「摂津酒造の井戸の跡」もある。

そんなウイスキー造りにかけた近代史の人間ドラマをこんな公園の片隅で知ることができたのはラッキーだったが……。

鳥井信治郎の「サントリー」を書くなら、竹鶴政孝の「ニッカウヰスキー」も書かなアカンのやないの?  そらちょっとフェアやないで、と毒づきたくなったが、それはさておき。

 

大作家も映画監督も刺激した神ノ木停留所

そこから南海高野線の踏切を渡り、神ノ木停留場へ。私鉄と立体交差する路面電車が土手の上を走る、全国でも珍しい構造の停留場は19世紀末、明治33年(1900)11月29日に誕生した。この時の駅名は「上住吉」。やがて現在の名称に変わる。

この神ノ木停留場は、山崎豊子作品の中でも最も多く「映画化・ドラマ化・舞台化」がなされた『女系家族』に登場している。

婿養子だった父親の遺産相続で骨肉の争いをする三姉妹に、もう一人「邪魔者」が現れる。それが父親が生前「懇意になって世話をしていた」という浜田文乃。おまけに父の子供を身籠もっているという。

互いに仲は悪いが「邪魔者」には結束して情け容赦ない三姉妹を、映画では京マチ子(長女・藤代)、鳳八千代(次女・千寿)、高田美和(三女・雛子)が演じ、父の愛人だった文乃を、若尾文子が演じている。物語の筋はあえて言いませんが、山崎豊子作品の中でも珍しく、「最後にガッツポーズ」したくなる結末が待っているので、新潮文庫を読んでもDVDを買って観ても損はありません。

1963年『女系家族』より ©︎大映・KADOKAWA

都合の悪い時にはすべて耳が遠くなる海千山千の番頭・大野宇市を先々代の中村鴈治郎が演じていて(小説を読んだ鴈治郎が「ぜひ宇市を私に」と山崎豊子に直訴したらしい)、宇市が文乃の様子を見に行くシーンでこの神ノ木停留場が登場する。

 

駅舎や電車、看板などは今とは違うが、基本的な構造は全く変わっていない。

現在の神ノ木停留場(2024年11月4日)

山崎豊子の小説で「手練れやなぁ」と思うのは、船場のど真ん中(中央区)とか堂島川沿いの大学病院(北区)とかの「メインステージ」の設定もスゴいけど、白い巨塔で3回登場する「間近に製鉄所が見える木津川河口(大正区)」や、この神ノ木停留場(住吉区)などの「サブステージ」の設定であろう。

土手の上に電車と小さなホームだけの映像を見ても、文乃が「ひっそりと暮らしている」感がよく出ている。

小説でも映画でもその後、文乃を追い込んで流産させたい三姉妹が宇市を連れて神ノ木を訪れ、嫌がらせの限りを尽くすのだが(このエゲツなさもさすが豊子さんである)、彼らは路地を塞ぐような高級車でやって来る。あのドロドロの争いと阪堺上町線の電車は似合いませんわな。

 

住吉詣りが終わったら90年洋食店へ

神ノ木の一つ向こうは住吉。住吉停留場そばには、「阪堺沿線文化」が大きく花開いていた昭和10年(1935)からレストランを営んでいる[洋食やろく]がある。

横文字ではなくひらがな、しかも右上から左下へという流れが渋い

暖簾には、作家の藤澤桓夫(1904〜89)、石浜恒夫(1923〜2004)、将棋の升田幸三名人(1918〜91)が連名で暖簾を寄贈していて、ここが「阪堺沿線文化人」たちのサロンであったことが分かる。

そういうことを知らなくても、ここの玉子コロッケを食べたらファンになると思う。BGMの選曲もインテリアも、「街場の洋食店」とは一線を画す洒落た感じを保っている。

やろく定食。ぷりぷりのエビが中から出てくる玉子コロッケも、ミニトンカツもたまりませんが、付け合わせのポテサラや味噌汁に「やっぱスゴい」を実感してしまう

 

3代目の店主は多田義景さん。

ある時、通りがかりでたまたま暖簾を見た升田幸三の親類がお店を訪れ、「なぜこの暖簾がお店にかかっているのですか?」とその経緯を多田さんに聞いたそうである。

確かに升田幸三は広島出身で戦後は10年ほど関西にいたが、昭和30年(1955)以降はずっと東京暮らし。親戚からすれば「何でこんなところに?」だったことだろう。

店内レジのそばには升田幸三名人の色紙もある(下の写真左手)。

人生の 休みどころに やろくあり

昭和48年(1973)、15年ぶりに店を訪れた名人が、見た目(筆者の印象は長髪で髭ぼうぼう)同様の豪快な筆跡で書いておられる。

そんな「文化人のたまり場」だったのであるが、「歴史」や「文化」を押しつけたりせず、美味いものを食べて楽しく過ごしてくれたらそれでよし、という店の無言のメッセージが伝わってくる。

店主の多田義景さんがナカノシマ大学を推してくれました。チラシも置いてもらってます。感謝

「いい店」には「客層」とか「年齢層」とか「所得層」などという言葉は存在しない。

話好きの地元の20代男女グループの隣では老夫婦がゆっくり食事しているし、がっつり大好き営業サラリーマン、外国人観光客、私のようなオッサンひとりなどいろんな人たちが来店して楽しそうに過ごしている。

こういう「祝福の交差点」のようなお店が90年続いているところに、「阪堺電車はダテに125年もこのあたりを走ってへんな」という底力を感じる。もちろん、住吉さんのご威光も含めて。

なので、[やろく]さんだけでなくこのエリアに遊びに行くときは、取り回しの悪い「高級車」に乗ってふんぞり返ってたらあきまへん。

上町線に乗って、路地をぶらぶら歩かんとアカン。でもお出かけの前に、11月7日(木)の、陸奥賢さんの講座に行くと、よりこの不思議なエリアにハマると思います。

お申し込みはぜひこちらで

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241107

短い距離でも表情は多彩。阪堺電車を侮るなかれ

2024年10月29日 火曜日

担当/中島 淳

11月7日(木)のナカノシマ大学で、まち歩きの超スペシャリスト陸奥賢(むつ・さとし)さんが数回にわたって「阪堺沿線」の特別講座を開催する。まずは天王寺駅前から我孫子前までの「阪堺上町線」エリアを深掘り。

阪堺電車のHPより

この路線が走る大阪市阿倍野区と住吉区は、大阪市内24区の中でもとくに鉄道線が密集しているエリアだ。

以下、西から挙げると  ※(   )はそのエリアに乗り入れた年

阿倍野区……阪堺上町線(1900)、地下鉄谷町線(1980)、地下鉄御堂筋線(1951)、JR阪和線(1929)、近鉄南大阪線(1923)

住吉区……南海本線(1885)、阪堺阪堺線(1911)、南海高野線(1900)、阪堺上町線(1900)、JR阪和線(1929)、地下鉄御堂筋線(1960)

住吉区は阿倍野区の1.5倍以上広い。6本が走っているのはそのためか。

大阪市内には大正区や平野区、鶴見区のように「鉄道はJRと地下鉄1路線のみ」という行政区もあるが、両区は明治から昭和の高度成長にかけての人口増を背景に、鉄道会社の沿線開発上(宅地や行楽も含めて)、重要なエリアだと位置付けられたから、これだけの本数になったのではないかと思う。何せ贅沢なエリアだ。

第一本宮から第四本宮(すべて国宝)までがずらりと並ぶ住吉造の本殿

とくに、大きな目的地である住吉大社は、上町線と阪堺線の「住吉」「住吉鳥居前」、南海本線の「住吉大社」、そして南海高野線の「住吉東」と最寄駅が4つあって、いずれも駅から5分で境内にたどり着く。

日本広しといえど、最寄駅(停留場)が4つもある寺社は、ほかに明治神宮と浅草寺と熱田神宮ぐらいではないだろうか。利用者にとってはありがたいことこの上ない。

この阪堺上町線は明治33年(1900)に、天王寺西門前(現在は大阪シティバスの停留所)と東天下茶屋を結ぶ「大阪馬車鉄道」として開業した。あのゆっくり走る感じは馬車のスピードを引き継いでいるのかもしれない。

10年後の明治43年(1910)には路面電車となって、住吉神社前(現在の住吉鳥居前)まで「横づけ」の感じで走るようになった。

 

「のんびり路面電車」と「ガチ鉄道」二つの顔

最初はビルの谷間を走る(天王寺駅前〜阿倍野間)

現在の始発停留場の天王寺駅前を出てしばらくは、あべのハルカスなど超高層ビルの谷間でクルマに挟まれながらあまり存在感を示さずに(!?)運行する。

東天下茶屋停留場。停留場というより「駅」です

松虫から北畠の手前あたりまでは、枕木とゴロゴロした石(バラスト)のある「鉄道」となり、我が意を得たりという顔(どんな顔や)で走る。

「路面電車」と「鉄道」の景色が交互に展開するのが上町線のおもしろいところだ。

インバウンド観光客もここで写真を撮ってます(姫松)

 

そして北畠から帝塚山四丁目までは、路面電車が街に馴染んだ顔で走れる「ほどよい狭さののんびりした車道」の景色が続く。

左の写真、姫松停留場には路上の安全地帯(手前)とは別に、可愛らしい待合所(奥)が用意されていて、ええ意味で脱力感満載である。

姫松と帝塚山三丁目の間。平日も休日でもあまり交通量は変わりません

「車道」と「歩道」の細かい区分もなく、そばを走るクルマの量も少なく、ゆったりした時間が流れる。クルマどころか人が歩くスピードも、この帝塚山かいわいでは梅田や難波に比べて確実に遅い。それが実に帝塚山らしいのである。

 

しかし電車が帝塚山三丁目からもう南に少し走ると、「安全地帯の停留場」が一変し、また鉄道駅っぽいホームが顔を出す。こちらは帝塚山四丁目の停留場。

Amazonの受取ボックスがあるのが時代ですな(帝塚山四丁目)

 

阪堺電車のひと駅はとても短いけれど、景色の「変わり目」が何度かあるからぜんぜん退屈しない。それを演出するのが、合間に入る「鉄道」らしい景色。電車に乗っている側もそうだし、写真に撮る側もそうだ。

帝塚山四丁目からひと駅南に下った神ノ木停留場の近くから見ると、こんな感じ。

南海高野線との立体交差のために生まれた斜面(神ノ木−住吉間)

 

さっそうと右カーブを下ってくる1両編成電車のけなげな姿に、思わず感情移入してしまう。

そしてこの神ノ木停留場のすぐ近くには、NHK連続テレビ小説「マッサン」で登場した「住吉酒造」のモデルとなった摂津酒造の創業の地がある。

詳しくは11月7日(木)のナカノシマ大学で陸奥さんにたっぷり語っていただきましょう。

そしてこの神ノ木は、山崎豊子の作品にも「ヒロインが住んでいる場所」として登場するが、それはまた今度に。

ナカノシマ大学の申し込みはこちらです!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20241107

 

秋のブックフェア出展のお知らせ・その5

2024年10月28日 月曜日

秋のブックフェア出展のお知らせ

<第5弾>
ブックマーケット +しおりのマーケット

11/9(土)10:00~16:00
11/10(日)10:00~16:00

奈良県立図書情報館奈良市)

10月から続く秋のブックイベント出展強化月間のファイナルです。
たくさんの古書店や新刊版元が出展する「ブックマーケット」と、おいしいものや雑貨などが並ぶ「しおりのマーケット」があいまって「市」が立ちます。
奈良近隣の関西のみなさまのお越しお待ちしています。

個人的にも思い入れのある会場でのイベント、楽しみたいと思います(青木)