第5回 喫茶店・バー

街と溶け合う店

文/江弘毅
絵/綱本武雄

 

その街に広く開かれてある喫茶店やバーは、その街らしさにあふれている。

 千日前大通りを北へ渡り、戎橋筋を歩いて北2ブロックのちょうど法善寺へ行く道すがらに[アラビヤコーヒー]はある。地元でも今はそう呼ぶ人は少ないが「南地中筋」という名称の旧メイン・ストリートが、この喫茶店の所在地である。

 この店は常連客が多い。しかしそう感じさせないのが、この店のある「場所柄」なのだろう。2代目店主高坂明郎さんは50代半ばだが、「初めて歌舞伎を見に行ったときに、長唄、鳴物、俳優と、舞台に上がっているのはうちのお客さんばっかりで驚いた」と少年時代のことを回顧する。もちろん「場所柄」とはこの店のロケーション、つまり外観・店内・客層を含めてのことであり、舞台の合間など「表に出て、顔を差す」ことを嫌う芸能関係の客にとって、店側が誰と気づかないほどの寛いだ空気感だ。

 以前、仏料理の巨匠アラン・デュカスがパリから来阪したとき、テレビとグルメ誌の合同取材でミナミを一緒に歩いた。次の店、[道頓堀今井本店](→第3回)へと移動中に、すたすたと歩いていた彼はいきなり「30分だけ休憩しよう」とこの店の扉を開けた。わたしはその時、「なるほど同じ感覚なんだ」と唸ったのを記憶している。

 

 千日前筋にある[純喫茶アメリカン]は、昭和21年創業だ。まだ焼け野原の千日前で、「喫茶と食事の最高級店」として開店した頃は、道行く人を驚かせたであろう。

 創業者・山野勝治郎氏の「儲けはすべて店に注ぎ込む」との信念は、入口に開口する迫力の螺旋階段と行き着く先の2階から吊り下げられた巨大シャンデリアが雄弁に物語る。壁から浮き上がるフェスティバルホールもかくやと思わせるレリーフは64年の彫刻家・村上泰造作。それら内装のすべてに圧倒される。

 戦後の大阪的趣味において、まさに「贅を尽くす」ことのひとつのありようが、その都度更新しつつ連綿と受け継がれている、この大型喫茶店の姿勢そのものだ。

 

 まさに“SALOON(サルーン)”としか言いようのない「店舗空間」が大阪駅前第1ビルにある。

 [キングオブキングス]。かつて一世風靡した高級スコッチを楽しむためのモダンでデラックスな空間として、1971年大阪万博の翌年に開店している。

 際立って多い大阪の地下街にあって、ミッドセンチュリーモダンが色あせて見える「ハヤいデザイン」の飲食店空間。これほど地下街というロケーションにふさわしい店舗形態はないと思える。別に割りつけされたバー・カウンターの中ほどから、ガラスのスリットを通してラウンジ空間を見ていると(抜群の眺めだ)、それが「昭和遺産化」されることのない十分に考え抜かれた空間だということがよくわかる。

 

 バーはカウンターの酒場だ。北新地にある老舗のバー[堂島サンボア]のカウンター・スペースは、手本のような立ち呑みの止まり木である。スタンディングで洋酒を飲む際に、バー・カウンターに肘や手をつく高さや角度、欅材のカウンターと真鍮のバーの感触、足をかけるバーの位置や大きさ。人間工学に基づいていると説明されても納得する絶妙なものであるが、何よりも美しい。

 昭和30年改装時の設計者は当時、建築誌にこう書いている。「施主は店主よりむしろ常連の客で、その人たちがいろんな注文を出す。出来上がってから訪ねて来ても、元の古巣へ帰った感じを失いたくないと言う事であった」。ゆえに「そこら辺りで見かける西洋居酒屋風とは何処か違ったぴりっとした風格のあるものにしたかった」。この空間設計者は実は英国を知らない。が、この店の常連でもあった。だからこそ本場のバーを凌ぐ、卓越した店になった。

 

 昭和40年に大阪が満を持してオープンしたのが大阪ロイヤルホテルである。そのとき当時の社長・山本為三郎氏が英国人の陶芸芸術家バーナード・リーチに、「君の記念碑のかわりに一つ部屋をつくるからやらないか、とすすめました」。設計を担当した吉田五十八氏との対談で、そう語ったことが記されている。リーチも後に書簡で「わたしは一つの室の設計を試みましたが」と書いている。

 この「部屋」あるいは「室」が[リーチバー]である。だからこそホテル内のバー・ラウンジといった単なる商業施設ではなく、独立した個店のようである。それは大阪での「街場のバー」の一つとしてもよく取り上げられていることからも明らかだ。

 『バーナード・リーチ日本絵日記』(講談社学術文庫)を翻訳したのは交友関係の深かった柳宗悦だが、柳がこのリーチバーの設計に深くコミットメントしている。このバー空間に、河井寛次郎や濱田庄司、染色家の芹沢銈介、版画家の棟方志功といった「民藝」同人たちの作品がさりげなく展示されているのはそれゆえだ。

 もっともそういった経緯を知らずとも、この「部屋」の椅子に座るだけで、バーとして他に類を見ないディテールの積層に驚くだろう。

 

 これらの店は、外の通りと店の外観、さらに店内のインテリアや店の人と客の様子が、その街や通りと別つことが出来ない情景を醸し出している。ドアが開くやいなや、空気感まで街に滲み出ていて、一体なのだ。