2021年も明けたばかりの1月4日未明、英国のジョンソン首相は翌5日午後10時から少なくとも2月中旬まで新たなロックダウンを実施すると発表しました。拙著『英国ロックダウン100日日記』(「足止め喰らい日記」改題)に書いた、2020年3月23日からの封鎖、クリスマス前の都市別封鎖に続いて三度目です。

 二度あることは三度ある、というのはホントでしたが三度目の正直という故事もホントであってほしいと切に願います。だって発令された日の感染者数は、その日だけで6万人を超し嬉しくない新記録を達成。死者数もずっと400~500人台だったのが一気に600人を数えましたから。  ええ、もう、ヤバいんです。

 おりしも日本でも一都三県で緊急事態宣言が出されて、てんやわんやの様相ですが、なにしろこちらはその100倍。もはや50人に1人、ロンドンだけでいえば30人に1人がコロナ患者という状態です。そんな100倍ヤバいロックダウンの風景はなにかしら日本にいるみなさんの役に立つんじゃないかと考えて……「足止め喰らい日記」、嫌々乍らReturns です。

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diary 2
入江敦彦の『足止め喰らい日記』 
嫌々乍らReturns

2021.01.05

再ロックダウンまでの「足止め喰らい日記」

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【シン新コロナは軽々と防御線を越えてきた】
 昨年11月の半ばくらいからかな。日本の友人、知人たちからちょっと深刻なトーンのメールやメッセージが届くようになりました。はじめは訝しかったの。どうしたんだろう今ごろ? とか。確かに秋以降、感染者死者ともに右肩あがり天下の険だったので、みんな心配してくれてんだろうなくらいに考えていた。
 もちろん、それが突然変異化ミューテーションしたコロナウィルス第二形態(もしかしたら第三、第四の可能性もあるが)を懸念してのことだったのは言うまでもありません。当然ながらニュースとしても知っていた。けどセンセーショナリズムが大好物の日本のワイドショウがまた煽ったに違いないくらいに思ってたのよね。だから、みんなには「へいちゃらへいちゃら」と返事していた。
 2020年3月からの100日ロックダウンの後も一度だって地下鉄は使っていないし大嫌いなマスクもつけてる。手洗い嗽は欠かさない。人を招き招かれも謝絶したまま。近所の顔見知りとソーシャルディスタンスに気をつけながら道端で短い立ち話するだけ。ハグなしキスなしライフはちょっと味気ない。そうそうツレはZoomをはじめたよ。——みたいな。
 それがぜんぜん「へいちゃら」なんかじゃないと知ったのはクリスマス前。人々を蝕むウィルスが新コロナから新たなシン新コロナに入れ替わったころでした。シン新コロナ、ヤバすぎた。
 ロンドンでわたしが暮らすエリアは前の封鎖時は優等生でした。みんながそれなりに節度を持って日々を送っていたし、コミュニティが濃密で相互扶助の土壌があったことが理由でしょう。ローカルのショップで必要なものが何でも楽々手に入ったのでスーパーマーケットに行進する必要も、生活圏外に買い出しに出かける必要もなかった。
 ところがです。それがいまや英国のなかでも最も感染率の高い街になってしまった。みんなさほど気を抜いていたわけじゃない。はず。近所の公園で数回レイヴはあったけど、ロンドンの中心部で観察されたような(報道映像で知ってるだけですが)公道に溢れて酒飲んでウェ~イ! みたいな風景は地元じゃついぞ見たことなかった。なのに感染赤丸急上昇。
 これが何を意味するかというと即ちシン新コロナの感染力が段違に強いということにほかなりません。それだけじゃないにせよ。ともあれ、わたしたちはわたしたちのやりかたが効果的だと自信を持っていた。まさかこんどの敵が軽々とその防御線を超えてくるなんて予想外でした。

 気をつけてね! 気をつけてね! とメッセージは届きます。そのひとつひとつはものすごーく有り難い。嬉しい。心に染みます。こういうときのちょっとした一言って想像以上に効くもんです。ただ今回についていえば、有り難いと同時に気をつけてねって、これ以上何を? どうやって? という密かな苛立ちもなかったといえば嘘になる。
 今まで以上にソーシャルディスタンスには神経質になりました。声もなるべく潜めています。幸いわたしはずっとネガティヴ(もっとも検査にゆくことそのものが怖いので正確ではありませんが少なくとも何の兆候もない)ですが表では咳も嚏も我慢してる。散歩も自発的に一日一度にしました。
 が、それでは根本的なシン新コロ対策にならないことは目に見えているのです。もしかして詰んだ?
 ただ屁っ放り腰になりつつも毎日のライフスタイルにさほど大きな変化はありませんでした。最大のトラブルは郵便局。ともかく行列が日ごと伸びてゆきます。12月に入ると窓口に辿り着くまでに平気で小一時間かかりました。わたしはこの時期毎年日本へ30個以上の小荷物を発送しますのでなかなか厳しいものがありました。普段なら3~4人いる局員が密を避けて1~2人なんですから無理もないとはいえ。
 あと、クリスマスの帰省や寄り合いを諦めた人たちがプレゼントを郵送することにしたのも混雑に拍車をかけたんだろうな。なにしろサラ金で金を借りる理由の第一が子供たちへのプレゼント代やご馳走の購入費用だというのですから、この国の人たちのクリスマスへの執着オブセッションが伺えます。
 流行当初から発症のタイミングと言われているのがコロナ感染1週間後。あれだけロックダウンを渋っていたジョンソン首相が追い詰められたタイムラインを考えると、このクリスマスへの執着が今回のパンデミックのトリガーを引いたと判断するにやぶさかではありません。
 郵便の配達や国外発送も混乱を極めていました。わたしたちが11月の20日前後に送った便は12月になる前にみな到着しましたが、そのたった1週間後に旅立ったプレゼントたちはみごとにランダム。箱でなくプチプチ内装の大型封筒で送ったものさえ到着が1月を越して”お年玉”になってしまったものもありました。実はまだ到着していないギフトもあります。
 こちらのほうも1週間足らずで落手したものもあれば、やはり1ヶ月近い長旅で海を渡ってきた子もいました。消印を見たとたん脳内音楽プレイヤーが「母を訪ねて三千里」を鳴らしはじめたものです。もう、運次第みたいな感じ。なんにせよ、こちらからの便はもはや郵便局が発送を受け付けてくれないのでどうしようもないのですが。
 しかし世の中全体が機能不全とはいえ海外便拒否はなかなかの異常事態と申せましょう。
 ただもう春ロックダウンのときみたくパニック買いは影を潜めています。たぶん、あのときトイレットペーパーを買い占めたひとたちは未だに家の在庫で拭いていらっしゃることでしょう。錯乱した客のターゲットになりやすい商品の購入個数制限もかなり徹底していると聞きます。
 そうそう。大型チェーンは「ショッピングはお一人様で」キャンペーンをやってます。少しでも店内の人口密度を下げようという試み。子供以外は家族であってもダメだとか。いさかかヒステリカルな気もしますが、それくらいでないとシン新コロからは逃れられないんでしょう。そして、これだけ言われてもマスクすらつけない買い物客をちょくちょく見かけるのが英国のスーパーという場所ではあります。

 人生初の面白い体験もしましたよ。クリスマスイブに肉屋に並びました。ディナーはステーキにしよう! ということになって行きつけの肉屋に注文したんですが、これを受け取るのに「朝6時から開けてるよ。なるべく早い方がいいよ」と言われ、半信半疑で7時ころに来てみたらすでに20組ほどが列を作ってる。30分くらいで入店できたんですが、わたしたちが帰るときには50組は軽く超えていました。ペレストロイカ時代のロシアの如し。
 おかげさまでスペインの特別なファームが育てている和牛が手に入り、お口のなかでとろっとろにとろけてゆくような霜降りを堪能できました。イタリア産古来種赤葱のソテーにすき焼き風のたれを絡ませたのがサイド。あまりの美味しさに「最後の晩餐みたいだね」とか先が見えないロックダウンに突入してしまった現在となっては全然笑えない冗談を言いながらツレと二人っきり地味で平和なクリスマスを迎えました。
 こんな静かな12月25日、25年ぶりとかじゃないでしょうか。日本にいたときは友達と一緒に過ごしていたし、こっち来てからは件の執着に巻き込まれていましたから。それでも玄関先にケーキを届けてくれる笠地蔵があったり、友人宅にちょっとしたものを置いてゆく笠地蔵になったり、それなりに豊かな気分で過ごせたことには感謝すべきでしょう。
 なぜって、クリスマスを境に世界は反転してしまったからです。
「十二夜」という民俗行事をご存知でしょうか。風習としては日本ではあまり定着していませんが、シェイクスピアの同名戯曲を読まれたり観劇された方もそれなりにおられるでしょう。早い話が西洋版の「松の内」みたいなもの。文字通り聖夜から数えて12日目、オフィシャルに〝お祭り〟は終了し、人々はリースを外し、クリスマスツリーを片付けるのです。
 その十二夜、1月6日からロックダウンが始まったのは象徴的ですね。けど、このたった12日の間に感染者数は一日平均5万人から6万人に、死者は500人から600人に急増。病院はお盆の帰省列車みたいな有様です。収容患者のキャパを50%も上回っています。救急車の運転を消防員が務め、歯医者さんまでが病院の手助けをしています。
 日本では愚かな愚かな愚かな漫画家が「若者はマスクなどせず街に飛び出せー」とか描いてましたが、シン新コロナに入れ替わってからは基礎疾患もない20代、30代が呆気ないほど簡単に命を落とすそうです。家族も付き添えないまま一人で。看護師をしている友達は「人が亡くなることには慣れているつもりだったけど、こんなにも次々逝かれると精神が持たないわ……」とチャットでこぼしていました。
 わたしは読んでいる方を怖がらせたいわけでもないし脅す気も毛頭ありません。だけど、お願いだから事態を軽く見ないで欲しいのです。いいですか? 最初のロックダウンで亡くなったのは大なり小なり罹患前から弱っている人が中心でした。なので老人病みたいに捉えられてしまった。
 現在でも高齢者が多いのは事実ですが達者なみなさんも死んでいるのです。しかも、わたしの街がそうであるようにちゃんと予防策を講じた上でコロナにやられているのです。神風思想は危険。なんの根拠もない。それを今回の英国のロックダウンが教えてくれています。他山の石としてください。

 ジョンソン首相が(はっきりいってみんな怒ってますよ。後手後手もいいとこなんだから)1月4日の遅くに発令して、猶予なく翌5日の晩からの施行となったのは、危機感の足りない考えなしの連中が駆け込みでパブに繰り出しウェ~イ! と始めるのを阻止するためでしょう。いるんですよ。英国にも。小林よしのり信者みたいなのが。そんな奴らが発病して病院を圧迫したらたまりません。
 今回のロックダウン、巷では7週間遅いと膾炙かいしゃされています。クリスマスは犠牲にするべきであったと。わたしも同感ですが、唯一そうならなくてよかったとホッとしたのが12月31日早朝の魚屋行脚。地上線で4駅、10分ほどの行程ですが封鎖されちゃったら無理だったので。
 このお正月はお節も超ミニマムに絞ったから、新年の寿ぎは予約しておいた鯛と蛤がゲットできるか否かにかかっていました。真鯛はダメでしたがとれとれぴちぴちの黒鯛を確保してきてくれて、それはもう結構な晩餐を用意することができました。
 さて、シチュエーションは肉屋の時とほぼ同様。開店30分後の7時半ごろに到着したら20組ほどがソーシャルディスタンスを取って大人しく並んでいます。この季節の7時台、英国はまだ夜の底。ましてや今日は大晦日。どこもシャッターを下ろしたままの真っ暗なストリートで、この魚屋だけが光に満ちて賑わっている不思議な風景でした。
 ふと通りの向こうを見ると、まるいお月様の下、金色の照明が驟雨しゅううのごとく辺りを濡らす店がある。なんだろ。あんなところに食べもの屋とかあったっけ? 新しいパン屋? 花屋なら何か買っていこうか。などとわたしは暢気に眺めていました。店の奥には花輪らしきものも伺える。やっぱりフラワーショップか。——いえ、違いました。
 大晦日の朝ぼらけ、早々にお仕事が始まっているらしいそこは葬儀店でありました。

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