第2回 カドマル建築【後編】

大阪の魅力的なカドマルたち
-後編 モダン建築編- ①

文/高岡伸一
絵/綱本武雄

昭和初期のモダンなカドマル建築

 時代が昭和に入ると、モダンな建築が増えてくる。大阪のレトロ建築を飾ったユニークな装飾が消え、幾何学的な線と面だけで構成されたデザインが主流となってくる。左右対称のシンメトリーといった古典的な様式から自由になった、近代的な合理性や機能性を表現する新しいデザイン。それは当時の世界的な潮流だった。
 そこにもカドマル建築は現れる。1931年に完成した朝日ビルは、同年に綿業会館といったレトロな建築がまだつくられるなか、その超モダンなデザインで世間の度肝を抜いた。渡辺橋の南詰めに面した外観は大きなカドマルを取り、北面と東面の外壁を1枚につなげて、水平線の連続感を強く強調している。建築だからもちろん動かないのだが、何となくスピード感のようなものを感じさせる。自動車や鉄道、航空機などが実現していく「スピード」は、近代という時代のシンボルだ。水平線を強調するカドマル建築には、他にも1933年の大阪ガスビルがある。あくまでシャープな表現を目指した朝日ビルに対して、大阪ガスビルのほうは水平線を強調する庇自体にも丸みを持たせ、外壁に半円柱状のデザインを施すなど、全体に落ち着いた柔らかい印象。実は大阪ガスと朝日ビルには浅からぬ関係がある。大阪ガスはかつて中之島に本社があり、それが御堂筋の現在地に移転した跡地に朝日ビルが建った。カドマルに水平線の強調という共通するデザインも、何か関係があるのだろうかと考えてみたくなる。
 規模は小さいが、1938年に建てられた大阪府工業奨励館、現在の江之子島文化芸術創造センターも、この時代に特徴的なデザインのカドマル建築だ。バルコニーと庇の水平線と、外壁から突き出た縦の壁の垂直線を対比させたデザイン。水平線と垂直線の対比は、20世紀の新しい美術、モンドリアンの幾何学的な抽象画を思わせる。前編で取り上げた天満屋ビルも、実は同じ原理でデザインされている。イラストを見比べると、その類似性がよくわかるだろう。天満屋ビルは1935年完成なので、両者は3年しか違わない。天満屋ビルも装飾のないモダンなデザインで、今回のモダン建築編に入れてもおかしくないのだが、仕上げのスクラッチタイルがレトロなので、便宜上レトロ建築として紹介した。建築の歴史は、レトロからモダンへと、単線的に変化していくわけではなく、詳しくみれば同時代に多様なデザインが共存していた。やはり歴史はそれほど単純ではない。

戦後のカドマル建築

 戦争の空襲によって焼土と化した大阪の都心部も、戦後の復興期を経て高度経済成長期に入ると、ビルラッシュと呼ばれて大量のビル建築が建てられていく。特に大阪駅前や御堂筋沿いなどの一等地には、大規模な建築がぞくぞくと誕生した。旺盛なオフィス需要に応えるため、どのビルも最大限の床を確保すべく設計されたが、当時は高さに制限があっため、ビルは横に広がり、敷地の幅一杯、それこそ敷地の形状をそのままトレースするように建てられた。その結果生まれたユニークなビルが新阪急ビル。梅田の交差点から御堂筋が緩やかなカーブを描くラインが、そのまま形となって現れている。厳密にはカドマル建築とはいえないかもしれないが、鈍く光るアルミの水平線が微妙なアールを描くその姿は、あらためて見上げると非常に美しい。その他にも特徴的なカドマル建築が戦後に登場したが、梅田ビル(1958)や第一生命梅新ビル(1967)など、多くが既に失われてしまった。新阪急ビルの隣に建つ、阪神百貨店の大阪神ビル(1963)も、大きなアールをもったカドマル建築だ。

→2ページ目へ