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大阪(春場所)から何度も祝福された、北の富士勝昭さん

2026年2月26日 木曜日

担当/中島 淳

3月6日(金)のナカノシマ大学「粋な男、北の富士勝昭と大相撲春場所の思い出」が目前に迫ってきた。

安青錦は綱取り、熱海富士は新小結、初土俵から11場所連続勝ち越しの義ノ富士が前頭筆頭、迎え撃つ両横綱……と楽しみ満載(日本相撲協会HPより)

その2日後にはいよいよ大相撲春場所の初日を迎える。

春場所のチケットは1枚も残っていない(当日券もナシ)ので、テレビかWEB観戦しかないけれど、「春場所がはじまる何とも言えない空気」はぜひミナミ周辺で味わっていただきたいし、その空気を先取りして、名実況アナの肉声で伝えてくれるのがこのナカノシマ大学です。

さて、今回の講師、藤井康生さん(元NHK大相撲中継アナウンサー)が思い出を語る北の富士勝昭さん(1942〜2024)は、多くの相撲ファンにとっては「明るくてサービス精神旺盛で、ファンの気持ちをズバッと代弁してくれる解説者」として圧倒的人気を博し、一時代を築かれた人である。

大相撲がこれだけ人気になった立役者のひとりだ。

藤井アナと北の富士さんの放送席での掛け合いや相撲談義は、「途中で取組の実況を挟むのがもったいない」ぐらいの聴きごたえのある内容だった。

北の富士さんは解説者としてだけでなく、「横綱二人(千代の富士と北勝海)を育てた名親方」としても有名だけど、現役時代の「左差し右上手の速攻で優勝10回を誇る横綱」の足跡が見逃せない。しかし……北の富士さんの初土俵が69年前の昭和32年(1957)初場所で、引退が昭和49年(1974)名古屋場所(長嶋茂雄と同じ年だった)。現役時代の記憶がない人の方がきっと多いはずだ。

無理もない話であるが、大阪の相撲好きのみなさんには、「この人の力士人生は、いつも春場所(大阪場所)に大きな『転機』があった」ということをぜひ知ってほしいものである。

北の富士さんと大阪の関係はもう「相思相愛」のレベルだったのでは、と筆者は勝手に想像している。

北の富士さんは、17年半にわたる現役時代の間に、年に一度の「春場所」にこれだけご縁があった。

懐かしの旧・大阪府立体育会館。北の富士さんが現役の間は、昭和27年(1952)に竣工したこの建物で春場所が行われた。昭和62年(1987)からは現在のエディオンアリーナで開催(大阪市浪速区制100周年記念冊子より)

⚫︎昭和32年(1957)春場所……初場所の初土俵は「前相撲」。この場所で、出羽海部屋の序の口力士「竹澤」としてデビュー

⚫︎昭和38年(1963)春場所……新十両。すでに四股名を「北の富士」に改名していた

⚫︎昭和39年(1964)春場所……新三役。初場所に13勝2敗の成績で、入幕2場所目に昇進

⚫︎昭和42年(1967)春場所……14勝1敗で初優勝。場所前に師匠の九重親方が出羽海部屋から独立。「九重部屋」の大関・北の富士として賜杯を抱く

⚫︎昭和45年(1970)春場所……新横綱。ライバルで親友の玉の海正洋(1944〜71)と同時昇進

⚫︎昭和48年(1973)春場所……14勝1敗で10回目(最後)の優勝。「名横綱」栃錦・若乃花と並ぶ

 

とくに印象深いのは、昭和42年(1967)の春場所だ。

北の富士さんの師匠・九重親方(元横綱・千代の山雅信/1926〜77)は、中学1年のヒョロッとした自分を見て相撲界に導いてくれた恩人であり、中学卒業の1月に上京し、当時現役だった千代の山を訪ねて出羽海部屋の入門を許された。千代の山は現役引退後に出羽海の部屋付き親方「九重」となって若手を指導するが、「出羽海」を継ぐことができないと知ると、「自分も独立して部屋を持ちたい」と思うのは当然のことだろう。

「師匠と共に出る」のは弟子としては当然のことかもしれないが、北の富士さんにとってその頃の出羽海部屋の「居心地の良さ」は、格別なものであった。

当時の出羽海親方(後の武蔵川理事長)は、襲名後にまず部屋の食事を質・量ともに豪華にした。そして「ノセたら必ず結果を出す」北の富士さんの特性を見抜き、「どんどん遊べ。そのためには土俵で強くなって金を稼げ」とハッパをかけた。若手同士の稽古でさえも成績のいい力士に賞金を出すし、北の富士さんが「ちょっと手元不如意で」と言えば、親方もおかみさんも小遣いをくれる。

序二段や三段目でくすぶっていた人間が急に強くなって番付を急上昇させ、新十両の1年後には新三役。それから3年もせずに大関に駆け上がった。なんと言っても超名門部屋。同部屋の強豪とは取組がないのも有り難かったはずだ。

そんな出羽海部屋には鉄の規律があった。「独立イコール破門」という厳しい措置である。大部屋を「破門」になっても、独立して部屋を立ち上げるという九重親方と行動を共にする北の富士さんが感じた葛藤とリスクは、相当なものであったに違いない。

九重親方について出たことで出羽海部屋の敷居は二度とまたげなくなってしまうが、親方夫妻は笑って送り出してくれたという。それが昭和42年(1967)1月末のこと。

地下鉄谷町九丁目駅から徒歩3分の正法寺。山門の奥に本堂が建っている場所に、九重部屋の急ごしらえの土俵があった。寺の西隣は落語「高津の富」でおなじみ高津宮(こうづぐう)

そして迎えた春場所、北の富士さんは以下のような心境で臨んだ。

大騒ぎして出羽海部屋を飛び出した以上、ぶざまな相撲だけはとれないと心に決め、稽古にも熱が入った。稽古場のない新生九重部屋は、協会内にある相撲教習所の土俵を借りて稽古を開始。大阪の春場所にも真っ先に乗り込んだ。

 

大阪には九重部屋の宿舎はなかったが、地元の人たちが支えてくれたので稽古場も宿舎も確保できた。

大阪では南区(現中央区)中寺の正法寺(しょうぼうじ)境内に土俵が設けられ、初稽古には大勢の報道陣が詰めかけた。もともと乗りやすいタイプの私は燃えた。境内の近くに石の階段もあり、これを上り下りしてはトレーニングに励んだ。

(九重勝昭〈当時〉『土俵で燃えろ』東京新聞出版局/1991年より)

その甲斐あって幕内では北の富士さんが25歳で初優勝。十両でも弟弟子の松前山が優勝し、新生九重部屋は二重の喜びに包まれた。

この頃から、2歳下の「玉の海正洋」(片男波部屋)というライバルが頭角を現し、二人の対戦が大相撲の人気取組になってくる。お互いに「こいつだけには負けられない」がありながらも、話し上手の北の富士、聞き上手の玉の海のコンビは、土俵の外でも仲良しだった。

そして昭和45年(1970)、大阪万博開幕の春場所に、北の富士と玉の海は横綱昇進同時を果たす。

第51代横綱・玉の海正洋。昭和45年(1970)秋場所から昭和46年(1971)春場所まで4場所連続14勝1敗と、抜群の安定感を示した(日本相撲協会HPより)

横綱の同時昇進は昭和36年(1961)の九州場所の大鵬幸喜(1940〜2013)、柏戸剛(1938〜96)に続いて9年ぶりの快挙。大鵬と柏戸の「柏鵬時代」が実は「大鵬一強」に終わったので(優勝は大鵬32回に対して柏戸5回)、相撲ファンは二人の新横綱が競い合う時代の到来を楽しみにした。

この昭和45年春場所こそ、大鵬が先輩横綱の意地で賜杯をさらったが(北の富士・玉の海とも13勝2敗で準優勝)、その後の戦績はまさに「北玉時代」の到来を告げるものだった。

⚫︎昭和45年(1970)夏場所……14勝1敗で北の富士優勝

⚫︎同     名古屋場所……13勝2敗で北の富士優勝

⚫︎同       秋場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎同      九州場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎昭和46年(1971)初場所……14勝1敗で大鵬優勝(玉の海は優勝決定戦で敗れる)

⚫︎同       春場所……14勝1敗で玉の海優勝

⚫︎同       夏場所……15戦全勝で北の富士優勝(初の全勝)

⚫︎同      名古屋場所……15戦全勝で玉の海優勝

⚫︎同       秋場所……15戦全勝で北の富士優勝

 

どうですかこの壮観な優勝成績!

わずか1年余りの期間だったが、「両横綱がしのぎを削る」という言葉に相応しい実力伯仲ぶりを見せ、「大鵬一強時代」に閑古鳥が鳴いていた本場所の会場は一気に盛り上がった。この頃の相撲ファンはほんまに幸せだったと思う。

しかし玉の海は昭和46年(1971)の秋場所後、虫垂炎の手術の後に容体が悪化して急死、北玉時代は突然幕を閉じる。両者の対戦成績は、北の富士の22勝、玉の海の21勝。あまりにも惜しい。

玉の海亡きあと、北の富士さんは3回優勝して優勝10回で引退したが、もし玉の海が生きていたら、「北玉時代」はお互いに15回ずつぐらい(玉の海は北の富士より2歳下だったので20回ぐらいか)優勝していたのではないかと思う。それほど、両者の対戦はお互いにとっても、ファンにとっても楽しみだった。

大阪キタの盛り場のど真ん中、ネオンぎらぎらの場所に一角だけ、静寂に包まれた寺院がある。

平安時代に創建された高野山真言宗の太融寺。大坂夏の陣で自害した「淀殿」の墓があり、明治初期に板垣退助らが自由民権運動の狼煙を上げ、「国会期成同盟」が結成された場所で、その碑も佇んでいる。

そこに、玉の海の贔屓だった大阪の檀家の人たちによって「第五十一代横綱 玉の海正洋の碑」が建てられ、昭和47年(1972)春場所初日の前日、3月11日(土)に除幕式が行われた。

この「除幕式」に日本相撲協会の幹部をはじめ、北の富士さん以下幕内の役力士たちが列席した。先代住職の麻生弘道さんは当時のことを覚えておられた。

「町会長が玉の海の贔屓で、先代(麻生恵光さん)と話をして実現したと思います。とにかく町内の人たちがたくさん来て、横綱(北の富士)には長男を抱き上げてもらいました」

その写真を見せていただいた。

玉の海の碑の前で、現住職の麻生祥光さんを抱き上げる第52代横綱・北の富士(当時/太融寺提供)

残念なことに、このとき北の富士さんに抱き上げられた現住職の麻生祥光さんは、その後一度もお目にかかれなかったそうだが、小学校は精勤、中学・高校は皆勤賞だったというから「横綱のおかげです」と話しておられた。

まもなく春場所がはじまるが、こういった現役時代と親方時代を経て、北の富士さんは平成10年(1998)に、横綱経験者として初のNHK大相撲解説者となり、藤井康生さんとの黄金コンビが25年近く続いた。

3刷となりました。当日は品切れのないように確保しておきます

あの掛け合いや名解説、そして時には「ごめん、いま(取組を)見ていなかった」と正直に告白する、語りの天才・北の富士さんの思い出を語るには、この人意外には考えられない。

藤井さんの著書『粋  北の富士勝昭が遺した言葉と時代』(集英社)もすごく売れているようで、当日、会場でも販売します。「先に読んでおきたい」という方は、どうぞお近くの書店でお買い求めを。

当日は17時から。大相撲放送と同じ時間帯に開催しますので、どうぞお早めにお申し込みを

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260306

 

 

 

「ブッキンブース」は20年前からあった!?

2026年2月13日 金曜日

ナカノシマ大学2月講座(2月20日開催)の講師、中村優子さんに開業された本屋「BOOK‘N BOOTH」(ブッキンブース)についてお話を聞いてみました。

Q:「BOOK‘N BOOTH」という店名は最初から決まっていましたか?

中村優子:いえ、実は違う店舗名で開店準備を進行していました。名刺を印刷する直前にスタッフの山下美緒子さんに「これでいいの?」と聞かれて、「いや、違う」と(笑)。

Q:突然「BOOK‘N BOOTH」という名前が降りてきたのですか?

中村優子:それも違って、もう20年ほど前ですが、ジュンク堂書店天満橋店での勤務時代に今でいう「推し」作家の棚を作っていました。「めっちゃおもろいのに、なんでこの作家さん売れへんかなぁ、みんなにもっと知って欲しいなぁ」という思いで好きな作家さんや作品を店頭でごりごりに展開していました。

Q:その棚の評判がよかった?

中村優子:そうなんです。思いの外、売れたんです! お客さんからも褒めてもらったりして、どんどん大きく展開しました。詳しくはナカノシマ大学でお話しますが、その時一緒に棚をつくった同僚の山下美緒子さんと中村明香(さやか)さんとその棚を「BOOK‘N BOOTH」と名づけていました。3人のチームだったんです。

Q:その山下美緒子さんと中村明香さんが今回の「BOOK‘N BOOTH」のオープニングスタッフに加わっているのも偶然ではないと?

中村優子:間違いなくこのふたりがいなけれれば今回の「BOOK‘N BOOTH」はなかったですね。実際、わたしは多くの時間を本業の社会保険労務士の仕事に取られています、書店員のプロのふたりに現場を預けられる安心感はやはり20年前の経験があってこそだと思います。

Q:そういう意味では「BOOK‘N BOOTH」はすでに20年前からあったと?

中村優子:そういうことになりますね、3人でやるのが当たり前であまり深く考えてなかったですけど(笑)。書店としての基本の体裁を守りつつ、好きな作家や作品を売る、それにオリジナルグッズも作る、そのスタイルはもう出来上がっていたかも知れません。天満橋店時代にはオリジナルグッズをジュンク堂書店と直販取引の口座を開いて売っていました。メインキャラのデザインも当時と同じです、写真が残っていないのが残念ですが棚には看板もありました。

Q:聞けば聞くほど、20年前から準備されていた気がしてきました、「BOOK‘N BOOTH」は約束の地だったんですね。ナカノシマ大学の会場ではオリジナルグッズの販売もありますか?

中村優子:販売します! デザイン担当の山下美緒子さんがどんどん新作を作っていますから。オリジナルのトートバックとおそらく関西で唯一の取り扱っいてる作家の高野秀行さんのTシャツ各種やZINE等販売予定です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Q:高野秀行さんからは「高野本聖地」書店として認定されてますね。ナカノシマ大学ではたくさんのお話が聞けること楽しみにしています。

中村優子:話したいことはたくさんありますから、きちんと準備して行きたいと思います。みなさん、よろしくお願いします。

2026年2月13日
聞き手:140B青木

ナカノシマ大学2月講座

いま、「町の本屋」を大阪で開くということ

講師:中村 優子(BOOK’N BOOTH店主・社会保険労務士)ex.ジュンク堂書店

2/20(金)18:00〜   大阪府立中之島図書館

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260220

 

 

大相撲実況アナの名調子で、春場所と「語りの天才」の思い出を

2026年2月11日 水曜日

担当/中島 淳

3月講座は、ナカノシマ大学としては初めて、現役のスポーツ実況アナウンサーが登壇される。

藤井康生さん            ©︎露木聡子

講師は藤井康生さん(元NHK大相撲実況アナウンサー)。お題は「粋な男、北の富士勝昭と大相撲春場所の思い出」である。

3月8日(日)から大阪府立体育会館(エディオンアリーナ大阪)ではじまる大相撲春場所に先がけて、3月6日(金)の開催とさせていただいた。

NHK大相撲放送の実況アナウンサーだった藤井康生さん(1957〜)と解説の北の富士勝昭さん(1942〜2024)は、相撲ファンにとっては「放送席の黄金コンビ」だった。

サービス精神旺盛で話術の天才であった北の富士さんの持ち味が十分発揮できるように、工夫と研究を重ねたプロフェッショナルである。

藤井さんは昭和54年(1979)NHKに入局、59年(1984)名古屋場所から大相撲の実況放送を約38年間担当した。

藤井アナウンサーの隣に座った解説者は、みなさんご存じの人たちばかりだ。※敬称略。西暦は NHK専属解説者の期間

⚫︎神風正一(元関脇/1953〜87)

⚫︎若瀬川忠男(元小結/1985〜91)

⚫︎緒方昇(元関脇・北の洋(なだ)/1988〜2000)

⚫︎出羽錦忠雄(元関脇/1990〜99)

⚫︎北の富士勝昭(第52代横綱/1998〜2024)

⚫︎舞の海秀平(元小結/1998〜)

そして大相撲中継の解説といえばもうひとり、玉ノ海梅吉さん(元関脇/1955〜82)を覚えておられる方も多いと思う。

平成13年(2001)夏場所、貴乃花×武蔵丸の優勝決定戦(鬼の形相)など「あの実況もこの人だったのか!?」が満載。「相撲博士」としての研究熱心さも随所に表れている

藤井さんは入社後の新人研修で蔵前国技館に行った際に、玉ノ海さんから大相撲に興味があるのかと聞かれ、「大いにあります」と答えると、「相撲は奥があって面白いですよ。諸先輩を見習って頑張ってください」と言葉をかけられたそうである。しかし藤井さんが放送席に入る頃には解説者を引退していた。

「残念ながら私は間に合わず、放送でご一緒したいという願いはかないませんでした」(藤井康生『大相撲中継アナしか語れない 土俵の魅力と秘話』東京ニュース通信社)

実況アナとして初めて放送席に入った昭和60年(1985)春場所3日目、解説はおなじみ神風さんだった。藤井さんが「どうぞよろしくお願いします」とご挨拶をする「藤井くん、思い切っておやりなさい。何でも聞いてください」と優しい声で背中を押してくれたそうだ。

幕内前半終了まで約1時間実況を務めて先輩アナと交代したが、その際にも神風さんから「藤井くん、上出来でしたよ」と声をかけてくださったという(しかし場所後に改めて放送のテープを聴いてみたところ、「『上出来』なはずはありませんでした」と振り返っている)。

その後も大相撲放送のアナウンサーとして経験を積んだ頃に出会ったのが、横綱として10回の優勝に輝き、九重親方として二人の横綱(千代の富士、北勝海)を育て、平成10年(1998)から NHK専属解説者となった北の富士勝昭さんである。横綱経験者が NHK大相撲放送の専属解説者を務めるのは、これが初めてだった。

そして藤井さんは北の富士さんの、力士や親方として挙げてきた「実績」以上に、その人間性に魅了される。

「人生あっという間です。私も69年近く生きてきました。その人生の中で、北の富士さんほどの人物と出会ったことはありません。北の富士さんの懐の深さ、人間力、そしてまわりの人たちを惹きつける魅力、心を動かされることの連続でした。(中略)

その中で、いつの日からか私に身についた習慣があります。北の富士さんの口から飛び出す興味深い経験談や思い出話、笑い話を、忘れないうちに書き留めておくことでした。これこそ大相撲の『貴重な歴史の証言』と考えたのだと思います。」

巻末には、向正面のこの人を加えて「ゴールデントリオ」と謳われた舞の海秀平さんとの対談「北の富士さんのいない放送席で」を収録。これもお見逃しなく

 

これは藤井康生さんの最新刊、『粋 北の富士勝昭が遺した言葉と時代』(集英社)の「はじめに」に書かれた一文。「トークショーや雑誌に依頼されたロングインタビュー。そして、大相撲中継での昔話。プライベートでの酔話に裏話。北の富士さんが語った数々の興味深い話を、史実と共に重ねてみます」と続いている。

昨年11月に出たこの本を読むと、北の富士勝昭という解説者の、遊び心を大事にしつつファンに寄り添いながら「本質をズバッと突く」話は、藤井康生というアナウンサーと二人でつくり上げていった作品だということが分かる。

解説者がいくら興味深いことを言ったとしても、そこに反応し、「この話はもっと引っ張りたいな」と相手を乗せつつ話を引き出す聞き手(アナウンサー)がいなければ、視聴者が相撲の奥深さを実感できるような放送にはならない。

放送席での「実況の妙」については本書に詳しいが、とにかく藤井さんは「北の富士さんの昔話があまりにもおもしろいから引っ張りたい。けどアナウンサーとしては目の前の取組の実況をしないといけない」という二つのミッションにいつも引き裂かれていた。

それをどのようにして解決したかは本書をご一読いただきたく。でもきっとナカノシマ大学当日にもご披露いただけるかと思う。

素晴らしいコンビは、藤井さんが NHKを定年退職するまで約25年続いた。

藤井さんは2022年1月にNHKを定年退職されたが、その後もフリーアナウンサーとして「ABEMA大相撲LIVE」で実況を担当しているし、相撲ファンのために公式YouTube「藤井康生のうっちゃり大相撲」を配信中である。

ナカノシマ大学の開始時間は通常なら18時だけど、藤井さんがこの日のうちに千葉県の自宅までお帰りなので、17時〜18時40分とさせていただいた。

まだお仕事中の方がほとんどだと思うが、「春場所で、放送席横のチケットがあるけど、行かへん?」と誘われたら、会社早退しても相撲ファンは行きますよね。しかもこの日は目の前で話してくれるので、ほんまにプレミアムかと。

3月6日(金)もまだきっと朝晩は冷える。それでも、大阪ではたらく人間にとって「春場所がはじまった」という報せは、お水取りとかセンバツとかプロ野球開幕とか以上に「春」を感じさせてくれる。

どうぞ「春」を感じに、ナカノシマ大学にお越しいただいて、春の夕暮れ、藤井アナの「実況」に酔ってください。

お申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260306

あの谷口真由美さんが「天神寄席」に来臨!

2026年2月2日 月曜日

担当/髙島幸次(大阪天満宮文化研究所所長・天神寄席プロデューサー)

2月25日(水)の「天神寄席」のゲストは、法学者の谷口真由美さんです。日曜朝のTV「サンデーモーニング」のコメンテーターとして、歯に衣着せぬコメントで私たちの溜飲を下げてくれる、あのヒョウ柄のおばちゃんです。

父親が近鉄ラグビー部の選手&コーチで、母もラグビー部独身寮の寮母だったため「家が花園ラグビー場」という少女時代を送る。協会からは手を引いたが、ラグビーやラガーマンに対する愛情は変わらない。心が熱く、華のある人

谷口さんは、今回で3回目のご登場です。

1回目は2018年11月、テーマは「嫉妬・悋気・焼餅」、2回目は2022年12月、テーマは「婦唱夫随」でした(「夫唱婦随」の間違いではありませんよ)。

そして、今回のタイトルは、「嫌われもんやねん!」です。このタイトルでは、まるでゲストの谷口さんが嫌われ者のように受け取られてしまうかもしれませんが、はい、実はそうなんです。

あの、あのですね、たまたま何人かでお酒を呑んでいたときに、谷口さんが「わたし、嫌われもんやからね」とつぶやかれたのです。耳ざとい高島はそれを聞き逃さなかった。それなら、天神寄席のゲストにお招きして、その原因を探ろうではないかと考えたのです。

数年前に、谷口さんは日本ラグビーフットボール協会理事としてプロリーグの発足に尽力されながら、理事を解任されました。まだ記憶に新しいことですが、あれも協会内における本質的な意見の対立というよりは、男社会が「物言う女」を嫌った結果でしかなかったのでしょう(谷口真由美『おっさんの掟―「大阪のおばちゃん」が見た日本ラグビー協会「失敗の本質」―』小学館新書)。

女か男かに二分するのではなく、人それぞれの性を認め合いましょうという時代なのに、古い男性社会が「好きな女」と「嫌いな女」に二分するのなら、谷口さんは嫌われて良かったと思います。

                 *

昨今の日本は、いや世界は、敵か味方か、好きか嫌いかの二項対立ですべてを解決し納得しようとする傾向が強くなっています。グラデーションの否定です。25日の鼎談(谷口・髙島・桂春若)では、その辺りの世相も踏まえながら、谷口さんの本音を引き出したいと企んでいます。お楽しみに。

お申し込みはこちら→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260225

奇跡のカムバックの舞台は「ブッキンブース」

2026年1月26日 月曜日

中村優子さんの書店復帰は華麗なる帰還だと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは私が2024年11月10日にFacebookに書き込んだ投稿のスクリーンショットだ、もちろんこの段階で中村優子さんが本屋開業に思いを馳せていることを知ってのポストであったし、「中村優子」というバイネームが想定できていなかったら書いてない、そんな希望は持てなかったと思う。それほど「中村優子」という人には期待できる何かがあったと思う。

そして実際に中村優子さんは2025年8月29日に阿倍野区の近鉄河堀口(こぼれぐち)駅徒歩3分の住宅地に本屋をオープンさせた。「ブッキンブース」と名付けられたそのお店は入ってすぐの右の棚に「コロコロコミック」や「クロスワードパズル」などの雑誌が並んでいる。
それは象徴的な普通の本屋さんの光景だ。メインの棚には話題の新刊、売れ筋の小説等が並び、その後ろの台はフェア用として使われ、お店の「売りたい本」アピールも忘れない。
奥には各ジャンル、コミック新刊も並ぶ。ひと昔前にはどこにでもあったが、今や絶滅危惧種の「町の本屋」である。
20坪弱のスペースを最大限有効につかった一般的な書店を再現しようとしているのがよくわかる。

ただ、ノスタルジーやひとりよがりのお店ではない、流行の独立系書店を選ばなかった以上は、地域の本屋として存在意義のある空間になろうという気概が感じられる。店内の照明は明るいし、児童書コーナーには小さな子たちが座り読み出来るような椅子もある。全体が長方形で死角が少ないレイアウトは防犯上も優れている。
さらにレジ前には長いベンチがあり、お会計だけじゃなく「ついでに、おしゃべりもしていって」といわんばかりだ。お店のオリジナルグッズや中村優子さんの出身地、兵庫県豊岡市の野菜や加工食品も販売されているなどお店の気配りが感じられる。

 

 

 

 

 

 

 

 

それではこの「町の本屋」をオープンさせた中村優子さんとはどういう人なのだろうか? 8年前までMJ(MARUZEN&ジュンク堂書店)グループで20年以上活躍していた書店員さんだ。コミュニケーション力に抜群に長けていて、売場で数分会話しているだけでも楽しくなる。当時から大手出版社の営業マンの間でも人気があった。自社の本を売ってくれるという書店員さんというだけでなく一緒に楽しく本を売りたくなる書店員さんであったと思う。

そしてその人柄はMJグループ内でも慕われていた。特に後輩の社員さんたちが楽しそうに「優子さんが、優子さんが」とよく口にしていたのを私は出版社の営業マンとして実際に聞いている。仕事は出来るし、明るくフラットな性格ではっきりした物言いは、すこし曖昧なニュアンスの多い出版界では信頼される存在だったのだろう。本が大好きで、特に推しの小説(家)の話ならずっとしていられる人だった。

そんな彼女が天職とまで思っていた書店員を辞め、一度は出版界とは距離を置いたにも関わらず「やっぱり本屋!」となった理由はなんだったのか、簡単ではなかったであろう開業までの日々、地域との関り、その先に目指す理想の本屋の形、もしかすると本屋開業のノウハウも!

そんな話が本人の口からナカノシマ大学2月講座2月20日開催)では聞けるのではないかと今からワクワクしいている。(青木)

 

 

 

 

 

 

 

 

ナカノシマ大学2月講座

いま、「町の本屋」を大阪で開くということ

講師:中村 優子(BOOK’N BOOTH店主・社会保険労務士)ex.ジュンク堂書店

2/20(金)18:00〜   大阪府立中之島図書館

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260220

 

 

 

 

 

 

 

 

 

受講希望者急増! 「面白そう」「そして切実」故にでしょう

2026年1月14日 水曜日

担当/中島 淳

 

1月16日(金)に迫ったナカノシマ大学1月講座「大阪の小中学生は図書館で どんな本を読んでいるのか 」の申し込みが今週に入ってから急増している。

講師お2人のファンだけでなく、どこかでWEBかチラシをご覧になった人がアクセスしてくださっているのだと思う。

今回のチラシを、大阪市内の公立図書館(府立中之島図書館のほか、市立では中央、北、島之内、天王寺、阿倍野……etc.)や中央公会堂などの公共施設、書店、喫茶店などの飲食店で目にしていただいたかと思うと、うれしい限りである。

講師の須藤みかさんに、当日のことを改めてお聞きすると、こんなコメントをいただいた。

「本を読んでほしいと思っているのに全然(あまり)本を読まないのよね〜」と悩んでいる小中学生のお子さんがいるご家庭があったら、本が好きになるかもしれない秘策(?)もお伝えできる、、、かも。

 

実に頼もしい限り。それにしても、この人のコミュニケーション力や行動力の半端なさはとんでもないぐらいだが、それ以上に不思議なのは

「この人、こんだけ忙しいのに子どもたちにお薦めの本を一体いつ読んでるんだ!?」ということである。当日は質問したいと思っている。

『わがまち北区』2026年1月号(大阪市北区)

さてもう一人の講師・井上ミノルさんは、須藤さんやさまざまなライターが書いたテキストや世界観を、自分なりの味付けでイラストやマンガに「解釈」し「翻訳」する達人で、彼女がレギュラーで描いている大阪市北区の広報紙『わがまち北区』(北区の94,968世帯に全戸配布!)の連載「区役所お仕事覗き見」は、いまや押しも押されもせぬ「名物連載」になっている。

『台風がキタ!』2020年(大阪市北区)

 

『地震がキタ!』2022年(大阪市北区)

『北区名所 八十八景』2021年(大阪市北区)

ミノルさんの大阪市北区での仕事は、冊子も含めてこんなにたくさんある。「観光」だけでなく「防災」というお堅いテーマになればなるほど井上ミノル絵が冴えるので、ナカノシマ大学の会場で販売する須藤みかさんとの共著『学校図書館 新米司書フントー記』(少年写真新聞社)はぜひ一度手に取って、「学校図書館司書」の仕事をどう料理したか、味わってほしいものです。

何よりも、「手練れ」の二人のトークと、会場のみなさんとのやりとりを楽しみにご参加ください。

受講申し込みは当日16日(金)16時で締め切りますので、ぜひ。親子でご受講もお待ちしとります!

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260116

本好きの目を開かせてくれる「司書」という人

2026年1月7日 水曜日

担当/中島 淳

これまでナカノシマ大学に講師として何度も登壇してくれた、観光家でコモンズ・デザイナーの陸奥賢(むつ・さとし)さんが、Facebookに興味深い投稿をしておられた。

陸奥さんは、「まわし読み新聞」の伝道者であり、街の歴史のオーソリティであるだけでなく、大阪や堺の「七墓めぐり」や怪談の聖地めぐりなどいろんな地域の「物語」にちなんだまち歩きを主宰して、私たちを刺激的で知らない世界に連れて行ってくれる案内人だ。

最近は福島県いわき市や宮崎県えびの市からも依頼を受けて、現地の「知られざる歴史」を掘り起こし、そこを徒歩や自転車で散策することで、その都市の新しい「宝」を発見するような面白いアイデアを提案されては実行している。

陸奥さんの博学全開のページ。浪速区にちなんだ24組の人物紹介とまち歩きコースを提案(このあと4頁続きます)。大阪市立の各図書館で読めます(2025年『浪速区100年ものがたり』/イラスト・辻井タカヒロ)

「博学」の引き出しの多さと深さが半端ではなく、かつ遊び心がいっぱいの人なので、一緒に仕事をすると刺激がありまくりなのだが、先日その陸奥さんが投稿をした内容が、ずっと頭に残っている。

陸奥さんが通ったのは街場の公立図書館だったと思うが、場所が街場であれ学校であれ、図書館司書の仕事というのはきっと、「短期間で数値的な成果が出る」というものでは決してなく、司書の方からお薦めの本を紹介してもらった人が、10年とか20年とか後に「そういえばあのとき」と振り返って思い出されるようなものだと思う。

1月16日(金)のナカノシマ大学「大阪の小中学生は図書館でどんな本を読んでいるのか」に登壇する学校司書の須藤みかさんが担当している学校は、一つではない。

その雇用形態は大阪市の事情でそうなっているが、それがスタンダードでは決してなく、例えば豊中市や箕面市には「常勤の学校司書」がいる。

大阪市の場合、学校司書は「週○回」の勤務。その「週○回」の中で、例えば月曜日にA小学校、水曜日にB中学校、金曜日にC小学校といった具合にめぐる。

須藤みか(文)・井上ミノル(絵)『学校図書館 新米司書フントー記』(少年写真新聞社)より

それでは子どもたちと司書のコミュニケーションが難しいのでは、と思うが、ここは大阪市の政策の是非はさて置き、須藤さんは「決して一つではない学校で勤務する」ことを前向きに捉えていろんな種を蒔いている。「A小学校で試しにやってみてうまく行ったことが、C小学校でも上手くいくかもしれない」というように。歳の離れた中学校もあるので、試行錯誤の連続だろう。

そんな日々を送っておられる須藤さんはじめ学校司書のみなさんは「ネタの幅と蓄積」がほんまに凄い。

彼らが(というより大人も、であるが)カウンターにやって来る時によく口から出るのは「書名は忘れたけどこんな本」である。「まんなかに『いぬ』って入ってた」というワードを聞き漏らさないことが重要なのだ。

「それだと書誌検索できないから分からないよ」と言うのではなく、児童生徒に対してさまざまな「手がかりになる言葉」を引き出し、本を探し当てて実際に手渡すという行為の「力」が、何年後に生きてくるかは分からないにせよ、子どもたちはそんな司書を見て、「本好き」の道を歩きはじめるのだ。

そして、司書が子どもたちに本を手渡したとしても、彼らが読むのは「司書がそこにいない時間」が圧倒的に多いのだから、「いない時間」に彼らがより本好きになる仕掛けもあれやこれや考える。

前回のブログで、須藤さんが図書室で子どもたちにクイズを出すことで本への興味を引き起こすことに触れたが、須藤さんは校内放送のブースに座って、お薦めしたい本の朗読をしたりしている。

勤務先の中学校で実施した「みみどく」。聴いているのは生徒だけではなく、先生も(同)

須藤さんはお薦め本の朗読を「みみどく」とネーミングし、各校で定着しているという。

たしかにテレビよりラジオで本の紹介をされた方が印象に残ることが多いように、「声」の力はほんまにすごい。

須藤さんの声はハリがあって滑舌が素晴らしいので、ナカノシマ大学の受講者のみなさんは、それもぜひ楽しみにしてほしいところだ。

長々と書き過ぎたが、「学校司書」が登壇するナカノシマ大学初の試み、ぜひご受講ください。須藤みかさん、井上ミノルさんの著書『学校図書館 新米司書フントー記』も販売しています。

少年写真新聞社大阪本部の足立英臣さん(右)と末光康隆さん。こちらのお二人が会場にいてはります。よろしく!

版元の少年写真新聞社の大阪本部は、会場の大阪府立中之島図書館から徒歩5分の場所なので、当日は出張販売に来てくれます。

受講申し込みはこちらへ。

https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260116

 

 

 

 

手練れのコンビ=須藤みか+井上ミノルが作った「学校図書館」の本

2025年12月26日 金曜日

担当/中島 淳

少年写真新聞社刊(税込1,980円)。ナカノシマ大学当日も販売します

1月16日(金)のナカノシマ大学「大阪の小中学生は図書館で どんな本を読んでいるのか」にご登壇いただく須藤みかさん(ノンフィクションライター・学校図書館司書)と、井上ミノルさん(マンガ家・イラストレーター)は、この2025年11月に発売された『学校図書館 新米司書フントー記』(少年写真新聞社)の著者である。

誰でも入館できて本が借りられる公立図書館と違い、学校図書館は一般人が入れないし、どんなものかがよく分からない。

知る手がかりは、自らのウン十年前(人によってはウン年前)の記憶をたどるのみ。

「そやそや、小学校の頃は図書館で伝記とか鉄道もんとか『20世紀の記録』とかばっかり読んでたな」と思い出す。残念ながら小説を読むような感性を持ち合わせていなかったことが悔やまれるが(今から考えるとホンマに思う)、学校図書館は嫌いな空間では決してなかった。

「司書」の方についてはよく覚えていないけど、たしかに常勤でおられたような気がする。

この本は、「いま学校図書館ってこんな風になっているのか」ということを学校司書である須藤みかさんの取材によって知ることができる、ユーモアたっぷりの「内幕もの」として楽しく読める。

こんなクイズで楽しませてくれる司書の女性が実は凄腕のノンフィクションライターであったとは少年少女、幸せ者め!(『学校図書館 新米司書フントー記』より)

須藤みかさんは2010年に発売された『エンブリオロジスト-受精卵を育む人たち』で小学館ノンフィクション大賞を受賞した手練れの書き手であるが、この本では「取材者」というよりも完全に「当事者」となって、子どもたちが「本好きに覚醒する」ような仕掛けを手を替え品を替え打ち出している。

その「仕掛け」のバリエーションは驚嘆ものだし、少年少女時代なんか大昔の話だと思っている人でも、「こんな人が学校図書館にいたらいいよな〜」という信頼と親近感の両方が湧いてくる。

そして、司書としての喜びや苦労話を、ノリのいいマンガで表現してくれる井上ミノルさんの芸が光る。

超忙しい学校司書のカウンター業務も、井上ミノルさんにかかるとこうなる(同)

ミノルさん(二児の母です)は『もしも紫式部が大企業のOLだったなら』(創元社)や『まんが 墓活』(140B)など、年配の方から子どもの読者まで楽しませる力の持ち主なので、須藤さんの思いを「エンタテインメント」として見事に昇華させている。

このコンビの誕生は今から3年前。

弊社がOsaka Metroの沿線行楽フリーマガジン『アルキメトロ』(年2〜4回発行・A4判12〜16p)を編集していた時に、第7号「大阪ヒーロー推しの旅」という特集で、須藤さんは取材とテキストを、ミノルさんはイラスト(表紙も)担当してくれた。

須藤さんは当時、上町台地のフリーペーパー『うえまち』に「大阪のヒーロー」という子ども向け連載を書いておられたので、この企画を提案するとノってくださった。

『アルキメトロ』2022年秋号(第7号)。表紙はグラフィックデザイナーでもある神谷利男さんのイラストでずっと展開していたが、この回だけは例外で、ミノルさんのイラストを神谷さんがデザイン

近世の天文学者・麻田剛立(あさだごうりゅう)や、思想家の山片蟠桃(やまがたばんとう)、適塾を創設した医学者の緒方洪庵(おがたこうあん)など7人のヒーローをそのゆかりの場所も含めて紹介してくれた。

この黄金コンビが作った本なので、ご期待に違わぬ内容であることは保証します。

小中学生の子どもがいる人もいない人も、「本好き」の人には大歓迎の講座です。

よろしかったら、小学校の時に影響を受けた1冊をご持参いただければ、手練れの須藤さんがそこからおもしろい「本ばなし」を展開してくれるのでどうぞお楽しみに。

司書に興味を持っている学生の方にもぜひ来てほしいので、「学生料金」を設定しました。

一般は2,500円ですが、学生証提示で1,500円で受講できます。

受講申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20260116

 

 

 

 

楠木さんの講義は「ええ顔」で生きるチカラをもらえる

2025年12月12日 金曜日

担当/中島 淳

いよいよ来週18日(木)に迫った、今年最後のナカノシマ大学に、楠木新(くすのき・あらた)さんが2年半ぶりに登壇してくださる。

お題は「淀屋橋サラリーマンに『たのしい老後』はあるか」。

12月8日(月)の毎日新聞13ページ(くらしナビ)では紙面の大部分を割いて「『いい顔』で過ごす人が集まってくる」と題して楠木新さんの「関係再構築」術を取り上げた

お題だけ聞くと、なんか「NHKクローズアップ現代」的な「老後資金が〇〇万円必要」みたいな世知辛さ満点のイメージだけど、「ご近所ではたらくみなさ〜ん、この先のことをちょっとだけ考えてみません?」という肩の力が抜けた講座であることだけは保証します。

講座の参考文献として、当日も会場で販売する最新刊の著書『定年後、その後』(プレジデント社)がある。この目次は以下の通り

第一章……定年後は10年で終わる

第二章……年齢を重ねる意味合い

第三章……生涯現役を目指す

第四章……居場所を発見する

第五章……私の「定年後、その後」の取り組み

第六章……老いと死と隠居

おわりに……「いい顔」で生きる

 

この本を読むと楠木さんの「スタンス」がとても分かりやすく伝わると思うし、取材力がとにかくスゴい人なので中身が濃いけど、筆者としてはまず「楠木さんの顔と話っぷりを見ることが大事」と言いたい。なので何の予習もせずに手ぶらで来ていただいてもぜんぜん大丈夫です。

楠木さんは、「顔つき」の大事さを私たちに解いてくれる。

 現役時代が終了すると、周囲の人が見るのは過去に勤めていた会社でもなく、肩書でもありません。私には顔つきが、その人のプラカードのように思えて、かつての名刺の役割を果たしていると感じています。

 会社員から他の仕事に転身した人たちを取材した時に気がついたことがあります。それは、私が「いい顔をしている」と感じた人に話を聴くと、不思議とヒントを得られることが多い。また彼らから取材にふさわしい人を紹介されることも少なくありませんでした。(『定年後、その後』より「おわりに」)

 

取材の人間に対して好感が持てなかったら、「こんな人もいるからぜひ取材してみたら」とは絶対に言わないだろう。

同じ12月8日(月)、週刊ポスト12月19日号の「人生最後の10年」と題した特集にも楠木さんが登場。「5つの寿命」はナカノシマ大学でも取り上げられます

取材された人は楠木さんが「いい顔」をしていたので、彼に対するエールとして、絶妙のパスを送ったのではないかと思う。

そう考えると自分自身も「ええ顔で人に会って、取材してんのやろか?」とわが身を振り返ってしまう。

この本は、内容が多岐にわたっているから興味のあるところだけつまみ読みしてもオッケーだと思うが(ですよね、楠木さん)、気になるフレーズに「立ち止まって振り返ってみる」きっかけをたくさん与えてくれる。

ナカノシマ大学のチラシには、楠木さんの肩書として(文筆家・ビジネス評論家)と一応入れているが、よく考えると楠木さん自身も「肩書」が不要な人。たぶん今後、「シニアライフコンサルタント」などの肩書をつけるメディアがどんどん出てくると思うけど、楠木さんは「楠木新」というジャンルの人である。

今回のナカノシマ大学は、これからの人生の「特効薬」的な情報ではなく、「年の瀬だし、今後のことをちょっと考えてみよか」というときに「いい顔で過ごせるヒント」をたくさんもらえるような気がする。

「人というのは死ぬ間際まで変わることができるし、やりたいことに挑戦することができる」という当たり前のことを、日々楽しそうに実践している人の話はやっぱりおもしろい。みなさんもぜひ「ええ顔」でお越しください。

もう8割を超えましたので、お申し込みはほんまにお早めに→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20251218

 

 

楠木新さんの柔らかさとフットワークと眼差しがええなと思う

2025年12月2日 火曜日

担当/中島 淳

チラシの写真はメガネをかけていただいて撮影しましたが、こちらの方が笑顔が映えます

2025年の最後を飾るナカノシマ大学は、大手町のエスタブリッシュメント系出版社から弊社のような大阪のへそ曲がり版元までが大注目する、文筆家・ビジネス評論家の楠木新(くすのき・あらた)さんが登壇してくださる。

楠木さんは、神戸の歓楽街(という表現が相応しい街)新開地・福原の薬局の息子として幼少期から青春時代までを過ごし、京都大学を出て淀屋橋の某銀行を会社訪問したがその雰囲気に「なんか違うなぁ」と引き返し、卒業を1年遅らせて、同じ淀屋橋の比較的風通しが良さそうな某生命保険会社に入社して、定年まで勤め上げた。

カイシャというのは大なり小なり、従業員には「企業の論理」を刷り込んで「同調圧力」を迫ってくる。その某銀行の「圧」はしんどいなと判断されたのだと思う。

「ちょっと違うなぁ」という感覚を大事にすることは、人生のいつの局面でも必要なことなんやなぁと思った。

楠木さんのホームタウンの新開地・福原では「この人いったい何して食うてるんやろ」と思うような大人がごろごろいたそうだが(会社員とか公務員はほとんどいなかったとか)、一様に話が面白く、楠木さんのことを可愛がってくれた。

「街というコミュニティの人間関係」と「企業社会の同調圧力」はぜんぜん違うな、というところを就職する前に感じて、少しでもベターなところに身を置くことができた楠木さんは、「生きもの」としての判断力に優れた人だったと思う。

トークイベントでは質問多数。神戸市須磨区[井戸書店]にて(2025年11月9日)

楠木さんの生命保険会社でのサラリーマン人生については、申し訳ないがさほど存じ上げない。

ただ、40代に入った直後に阪神淡路大震災を経験し、先が見えない状態になって鬱になり、しばらく休職されたことが、楠木新(ペンネーム)という「もうひとりの自分」を誕生させることになったエピソードが心に沁みる。

「もうひとりの自分=楠木新」は、会社勤めの傍ら、50代以上のいろんなサラリーマンや定年退職者を取材し、そこからどんなことが導けるか、文章にまとめていった。

しかし、街でいきなり「お話を聞きたい」と言われて、果たしてあれだけたくさんの人が取材に応じてくれるだろうか……

それを思うと、楠木さんから声をかけられた人が「この人、おもしろそう」「話をしてみようかな」と思ったからこそ、取材でいろんなことを楠木さんに話したのだと思う。

三宮センタープラザ6階の「スペースアルファ三宮」で開催された、[働く悩みを解決するための書店 Work-Books]のトークイベントのゲストとして語る楠木さん。右はWork-Books店主の西澤明文さん(2025年11月24日)

「シニア市場の研究者やコンサルタント」みたいな人は、きっとそこまでの「突撃インタビュー」はしない(というよりできない)であろうが、楠木さんがそれができたのは、一つは幼少期からホームタウンで鍛えられたコミュニケーション力(「コミュ力」という物言いは薄っぺらいな)であっただろうし、もうひとつは話を聞くスタンスが「研究対象」「調査対象」ではなく「自分と同じ当事者」というところにあったからではないか、と思う。

今回のナカノシマ大学のお題は「淀屋橋サラリーマンに『たのしい老後』はあるか」。

本町や梅田は関係ないということではありません(そんなこと誰も思わないけど)。

勤め人として何十年間働いてきた人生が変わった時のことを、ちょっと先取りして、「あっという間にやってくる70歳になっても、自分なりの“おもしろいこと”を見つけて実行できることはどんどん実行しましょう」というお話を、楠木さん自身の新チャレンジのことや、取材で得たいろんな人のヒントも盛り込みながらお伝えする、というものです。

楠木さんが育った新開地・福原は演芸の街。実は子供の頃から「芸人として舞台に立つ」ことが夢だったので、なんと「R-1グランプリ」にも出場したそうだ。

結果は「でも1回戦で敗退したんですよね〜」ということをまた、楽しそうに話しておられる。この人を見ていると、「自分を笑える」というのが、いくつになっても大事な資質やなぁといつも思います。

2025年、けっこう大変な年ではありましたが、締めくくりに、肩の力を抜いてこれからのことを考えたくなる「楠木新」の言葉のシャワーを浴びてください。ええ気持ちにぜったいなります。

お申し込みはこちらから→ https://nakanoshima-daigaku.net/seminar/article/p20251218