2019年8月26日・本渡章より、これをお読みのみなさまへ。
〈今回の目次〉
■新・古地図サロン(7/26)のレポートと次回予告
●7/17|ナカノシマ大学「大阪24区物語③」レポート
●7/26・8/23|朝日カルチャーセンター中之島「古地図地名物語」レポート
●9/27|朝日カルチャーセンター中之島「古地図地名物語」予告編
●10/28・11/11|朝日カルチャーセンター中之島「天保山街歩き」予告編
●10/18・11/1|大阪狭山市で講演など・予告編
●月刊誌「望星」|7月号に掲載
●日本経済新聞|7/4付夕刊に掲載
●毎日放送テレビ「NEWSミント」に出演
■新・古地図サロンのレポート
開催日:7/26(金)午後3~6時 大阪ガスビル1階カフェ「feufeu」にて。
いろいろあって更新が1カ月遅れになりました。酷暑が来て台風が来て今はもう秋風もどきの涼やかな空気が駆けていきます。7月に行われた古地図サロンの頃は、じりじり真夏の陽射しが御堂筋に張り付いていました。こんな暑い日に果たして人が来るのか、そういえば去年の夏はほんのパラパラだったようなと思い出していましたら、3時過ぎからぽつぽつと人が来られて、私が話をはじめる4時頃にはそれなりの輪がテーブルのまわりにできました。その方が私も話がしやすい。ありがたいことです。今回も先月に引き続き、大正時代から昭和半ばにかけての地図を中心に見ていただきました。7/4の日本経済新聞に明治~大正~昭和の大阪の市と区の歴史をまとめた記事が私のコメントと併せて載ったのをネタに、地図の実物を見ながらお話。実を言うと、私もその日初めてじっくり広げて見る地図があって、そこに思わぬものを発見し、今日の盛り上がり場面となりました。
その地図は大正14年(1925)2月20日発行の「大大阪最新地図」で、大阪朝日新聞社編纂。新聞付録として作成されたものと思われます。同年の4月に区の数が4区から一気に13区に増える市域の大拡張があり、大大阪が誕生した記念に発行されたものです。淀川の北側に「中島区」「姫島区」という聞きなれない名前の区が載っています。地図の欄外に、中島区は東淀川区、姫島区は西淀川区に訂正との注記があります。この2区は当初、「中島区」「姫島区」と命名され、地図が作られた後に名前が変わり、注記を添えた状態で地図が出回ったのでしょう。
私の見たどの資料にも載っていなかった幻の「中島区」「姫島区」がいきなり現れ、私もびっくり。当日の来場の方たちも、おやまあ、あらまあ、と喜んでおられました。ちなみに、中島は淀川北岸の広域名称、姫島は当地にあった古代の島の名前です。大大阪誕生当時の区名にまつわる忘れられた逸話を、この地図は後世に伝えてくれました。大正14年は西暦1925年、今から94年前の話です。そのほかの地図では、大正はじめの有名企業や商店の案内が載っている市街図が好評でした。なお、参加者の方からご自宅にあった古い地図2点をいただきました。ありがとうございます。地図は古くなると処分されるのが常ですが、地図が文献資料には残らない情報を教えてくれることもあるのです。また、次回も地図で遊びましょう。
今回のサロン古地図
大阪市街全図・著名諸会社・銀行・商店案内 大正2年(1913)
大大阪最新地図・大阪朝日新聞社編纂 大正14年(1925)
大大阪実測地図 大正15年(1926)
大阪港之図・大阪港案内 昭和6年(1931)
大阪市区分地図・最新東淀川区地図 昭和15年頃(1940頃)
大阪府近郊地図・朝日新聞特選 昭和27年頃(1952頃)
最新大阪市案内図 昭和31年(1956)
最新八尾市内地図 昭和38年(1963)
新日本分県地図・大阪府全図 昭和46年(1971)
他に復刻版の古地図など約10点をご覧いただきました。
★次回は9/20(金)午後3~6時 いつもは第4金曜ですが次は第3金曜なのでご注意。会場は大阪ガスビル1階カフェにて開催。私のトークは午後4時頃からです。テーマは引き続き、大阪の区の変遷。
サロン参加は無料(但し、カフェで1オーダーして下さい)。途中参加・退出OK。
★以後、年内の予定は11/22(金)
【最近の主な古地図活動】
●7/17のナカノシマ大学「大阪24区物語③」レポート
3回シリーズの最終回。大正14年誕生の住吉区は、現在の住吉区・住之江区・東住吉区・阿倍野区・平野区の5区をひとつにまとめた超巨大区でした。このエリアは古代の律令制で定められた住吉郡と重なり、住吉大社を核にした広域文化圏の存在を伺わせるものでした。ナカノシマ大学では、大正14年の巨大な住吉区を2つに分け、それぞれのエリアの特徴と、エリアに含まれる5区それぞれの変遷をご紹介しました。
どの区にも固有の歴史があり、近隣の区とつながりながら、大阪の中にポジションを占めてきました。明治以後の近代化の波に洗われながら、区は時代ごとに役割交代や引継ぎをしながら、現在の24区の姿を作るに至ったのです。区の未来について語るなら、まず過去を知ること。3回連続講座を終えた実感です。
講座の内容の書籍化が進行中です。詳細は後日あらためて報告いたします。
ナカノシマ大学の情報はコチラ
●7/26・8/23の朝日カルチャーセンター中之島「古地図地名物語」レポートと次回予告
古地図地名物語は毎回、大阪市内1エリア・大阪近郊1市をとりあげ、それぞれの地名を多数ご紹介しつつ、その由来や歴史を掘り下げていく講座です。今年で5年目になりました。7月は「桜ノ宮周辺と交野市」、8月は「中之島西端・川口周辺と貝塚市」をテーマに実施。市内の桜ノ宮、川口は由来が豊富、近郊の交野市、貝塚市はともに数多くの遺跡があり、歴史と伝承に彩られた地域です。そういう地域ほど難読地名や名前の響きからして何かありそうな地名が多く、私も楽しく講座をさせてもらっています。
9/27(午前10時30分~12時)は古地図地名物語の通算30回目「住之江周辺と泉大津市」です。この回のみの参加もオーケーです。
10/28・11/11の両日(午前10時~12時)は教室での解説と街歩き案内の2回講座でテーマは「天保山」です。
→問い合わせは06-6222-5222 または「朝日カルチャーセンター中之島」で検索を。
●10/18・11/1の大阪狭山市で講演・予告編
大阪狭山市の公民館ホールで、講座(街歩き付)をします。講座は古地図入門、街歩きのコースは大阪狭山市内です。詳細は次回の更新時にお伝えします。
→問い合わせは072-366-0700
大阪狭山市立公民館 https://www.osakasayama-kouminkan.jp/
●月刊誌「望星」に掲載
東海教育研究所発行の月刊誌「望星」7月号(特集・それだけじゃない大阪)に登場。私が案内したおススメ大阪散策コースを編集部が記事にした頁、私が書いた「大阪らしさ」についての話を収めた頁の2本立てです。テーマが「それだけじゃない大阪」ということもあり、これまで話したことのない内容が活字になりました。2本立てになったのは予定外ですが、出来上がりを見ると、編集部の好判断だったと思います。
「望星」誌 https://www.tokaiedu.co.jp/bosei/
●日本経済新聞に掲載
「大阪の市と区の変遷」について取材を受け、記者がまとめた記事が7/4付夕刊の記事になりました。《関西タイムライン・時を刻む》「『大大阪』市制歩みと挫折」というタイトルがついています。取材内容を地図・写真・年表とともにまとめた読みやすい記事でした。都構想の賛否を問う住民投票の実施が決定的になりましたが、どうして大阪が今のような24の「区」の形になったのか、歴史的経緯について基本的な事柄がほとんど知られていないままま話が進んでいくのは無茶な話です。その中で、やっとまともに取りあげる記事が出た感があります。今の状況では、あまりにも考えるための材料が少なすぎます。他でも「区」についての基本的な情報を知らせてもらいたいものです。
●毎日放送テレビ「NEWSミント」出演
8/7 午後4時30分~5時10分のニュース番組「NEWSミント」《令和を読む》のコーナーに出演しました。テーマは、江戸時代の大阪で流行した七墓めぐりについて(お盆が近いので)。西アナウンサーと梅田墓地があったグランフロント近辺、千日墓地があった千日前近辺を歩きながら、古地図を広げて解説をしました。撮影では他の場所も行ったのですが、編集によりカット。番組の最後に著書『古地図で歩く大阪ザ・ベスト10』の紹介がありました。








今日はアイスコーヒーが美味しい夏日和。開始時刻早々から数人のお客さんが地図を囲んで、見入っておられました。リニューアルした古地図サロンも、去年の旧サロンでおなじみの風景が続いています。
その後、みなさんで、大正14年の大大阪誕生で13区になった頃の地図や、戦前の北区地図裏面を埋め尽くした広告をネタに歓談。しかし、サロンがいちばん盛り上がったのは、裏面が「西成区・阿倍野区・浪速区・住吉区部分図」になった有名家具店のチラシです。チラシですから発行年は書いていません。そこで、内容から見て、いつ作成されたものなのか、全員で推理してもらったところ、ああでもない、こうでもないと言いあいながら、1954年、1960年、1970年の3説にしぼられ、最終的に1960年作成でほぼ間違いなしとの結論になりました。めでたしめでたし。また、次回も地図で遊びましょう
教室での解説と街歩き案内の2回講座。街歩きの日は、七坂(真言坂・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂)の風景を味わいつつ、寺町の久成寺・銀山寺・法泉寺・生国魂神社・大江神社など逸話の多い寺社を訪ねました。天気が良すぎて汗をかく街歩きになりました。
200回以上も続いている講演とウォークを楽しむイベント。私の60分トークあり。更新時には終わっているかもしれませんが、いちおうご案内。6月2日(日)午前10時、地下鉄谷町線大日駅・改札口前集合。佐太天神宮、来迎寺、津嶋部神社など守口市の古社寺を訪ねます。当日参加OK。
●7/17|ナカノシマ大学「大阪24区物語③」予告編
東海教育研究所発行の月刊誌『望星』の取材をうけました。大阪特集号を出されるそうで、私のお題は古地図にちなんだ大阪散策コースとのことでした。インタビューの後、編集者と一緒に街を歩きました。中之島から堂島、天満、梅田をぐるっとめぐりながら話を続けたのですが、大阪らしさとは何かについて、これまでしゃべったことのない内容が多かったです。言って、すっきりしました。聴いて下さった編集のYさん、記事を予定外の2部構成でまとめていただくことになり、まことにお疲れさまでした。
日本経済新聞の記者の取材を受けました。テーマは「大阪の区の変遷」で、私の著書『続々・大阪古地図むかし案内』を読んで、連絡してこられたそうです。ちょうど古地図サロンやナカノシマ大学で進行中のテーマなので、最新情報をプラスして記者にはお話しました。記事の掲載は7月初旬で、日は未定。詳細は次回更新時に報告できるでしょう。

開催日:3/22(金)午後3~6時 大阪ガスビル1階カフェにて
去年も思ったことですが、古地図を囲みながらドリンク一杯で気軽に歓談できる雰囲気は、講演や講座とはまた違う良さがあります。「日本一気楽に古地図と遊べる場」と私は呼んでいますが、そういう場だからこそ聞ける来場者の声があって、その場で生まれる発見もあるのですね。小さな発見でも、歓談の中でみんなで見つけたものには、ワクワクがもれなく付いてきます。そこがサロンの値打ちです。
「区」を通して暮らしの足元の歴史をたどる3回講座の第2回は、ベイエリア、リバーサイド、サンライズロード、生長点エリアなど、近代大阪の牽引車になった10区がテーマです。成長と拡大の主役エリアは年代ごとに入れ替わり、方向性にも違いがあります。過去の歴史が繰り返されることもしばしばです。「区」の誕生や消滅にはどんな意味があるのか、各時代の地図を見ていただきながらお話しした90分でした。
皆川典久さん(東京スリバチ学会)、新之助さん(大阪高低差学会)による「地形自慢バトル」のお話の後、ゲストで登場。地形の楽しみ方などについて質問。持参した鳥観図のお披露目もいたしました。
●6/2(日)「文学・歴史ウォーク」で案内と60分トーク
古地図を楽しみながら大阪市と大阪府の地名の由来や街の歴史を探るシリーズも、いつのまにやら5年目になりました。地名の由来と変遷の一つひとつはとても小さな歴史ですが、集まると奥行きと広がりが見えてきます。今夏の講座内容は次の通りです。
2019年2月21日・本渡章より、これをお読みのみなさまへ。
■新・古地図サロンの2019年の日程
大阪ガスビル1階カフェ[feufeu]にて、午後3~6時開催。参加無料(カフェで1オーダー必要)。明治~大正~昭和の大阪の「区」の劇的な変貌を地図でたどります。大正14年と昭和18年がポイント。4~5時の間に30分間、私のトークあり。ナカノシマ大学での講座「大阪24区物語」とあわせて聞くとふむふむふの内容です。
大阪市中央公会堂で午後7時開催。「市」よりも歴史が古い「区」の成り立ちを各年代の地図を見ながら考える3回講座の第1回。街の背骨の上町台地から肋骨のように延びる街道筋の姿、台地の東西にひらけた水辺と交流の風景、そこで育まれてきた生活文化と区の関わり。その他てんこ盛りの90分になりました。
「区」から見直す大阪の歴史・第2弾。大都市に変貌していく大阪の最前線となり、さまざまな形で成長を支えた10区がテーマ。川と海、そこに浮かぶ島々が果たした役割を振り返りながら、10区がどのようにしてできあがっていったかを考察します。付録の大正14年発行「大大阪明細地図」は、大大阪と呼ばれた13区時代を知る格好の資料。3月1日より申し込み受付開始!
教室での講座と町歩きの2回講座。古地図を手にして訪ねる今回のスポットは天王寺七坂。よく知られているようで、案外と知られていない坂の街の由緒来歴をご紹介します。
毎年恒例になった「まちライブラリー・ブックフェスタ」が今年も関西各所で開催されます。私が登場するのは、森之宮キューズモールでの4月30日のイベント。午後3時20分より、古地図を広げて森之宮と大阪のタイムトラベルを参加者といっしょに楽しみます。詳細は後日あらためて発表。
【特別企画】




本日は江戸時代の古地図がメインテーマです。公開した中でいちばん古い図は、刊行日が天明年間の日付で、今からざっと230年前に作られたものです。よく生き残ってくれました。虫食いもあって、かなり傷んでいますが、隣に並べた現代の復刻版と比べると、色合いの深さといい、紙のしっとりした質感といい、味わいに明らかな差があります。年代を経たものが持つ風格です。
天明年間の図には裏面に、もとの持ち主が筆で描いたと思われる江戸時代の家の間取り図が載っています。地図として古くなっても、紙が貴重な時代なので裏面を有効利用したのでしょう。大きな蔵を併設した商家の間取りに、当時の暮らしの一コマが想像されます。
復刻版の江戸時代地図にトレース紙に描いた昭和地図を重ねた、ちょっと変わった大阪の図があり、これを広げた時も盛り上がりました。トレースには難波にあった大阪球場が載っていたり、少し前の昔と江戸時代の昔が地図の中で折り重なって見えます。建築事務所に勤めていた方からもらい受けた図で、トレース図は精度の高い本格的なもの。公開する機会がほとんどなかったのですが、大勢で囲んでわいわいと観るには楽しい図でした。
途中までご参加の方も、最後まで残られた方も、常連の方も、本日初参加の方も、どなたさまもおつきあいありがとうございました。サロンからの帰りはイルミネーションたけなわの御堂筋が夜を照らしていました。
毎回、古地図数点を公開。
本日もオープン待ちの方がお一人。サロンが始まってからも、ぽつぽつ来場があり、それぞれの都合に合わせて退席という感じで、常時数人おられる感じで最後まで続きました。気候がすごしやすくなって、みなさん外出がしやすくなったのかもしれません。秋はいい季節です。
今回の展示は「教科書になった古地図」がメインテーマ。明治・大正・昭和初期の学校で使われた地図帳のほか、教科書、副読本を7点。これ以外に、昭和の大阪の古地図5点を用意しました。(詳細は末尾に記載)
もちろん来場の方たちが戦前教育復活の支持者というわけではなく、明治時代の歴史教科書とはどんなものだったのか、そこにどんな日本地図が載
昭和の古地図では、此花区の「伝法」という地名がみなさんとの話題になりました。仏法の伝来にちなんだ地名の伝法が、此花区の区名の由来とも関係があるという話なのですが、昭和4年と昭和20年代の大阪市街図で伝法の場所を探してみると、意外なことに気づきました。伝法は、今は此花区の地名ですが、その前は別の区に所属していたのです。
なんと区の境界が移動していました。時代とともに世界も大阪もどんどん変わっていたのです。あたりまえといえばあたりまえですが、気づくたびに、へえと思ってしまいます。