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第7回 地元・大阪でお好み焼きを食べるということ。(甚六/大阪天満宮)

2014年12月11日 木曜日

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 「お好み焼きとうどんと鮨(たまに洋食も)は近所のがいちばんうまい」などとキーボードを叩いてしまったのは、NHK出版新書の『「うまいもん屋」からの大阪論』のあとがきだった。

 [甚六]さんに行くのはもう2年ぶりくらいになる。
 大阪のキタやミナミは近所だと思う。実際この店へはオフィスから歩いて2分の北新地駅からひと駅・大阪天満宮駅で降りて、そこから天神橋筋商店街へ入って南へ、天満宮への入口を越え、ちょうどアーケードが終わるところにある。
 電車のタイミングが合えば、30分はかからない。
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 梅田や堂島や中之島ではない、ものすごくキタな街がそこにある。

 よそからの人に「お好み焼きを食べたい」と言われて困るのは、難波心斎橋や梅田の店を知らんこともあるのだが、生まれ育った岸和田の地元160世帯の町内にお好み焼き屋が4軒あり、そこのバターとケチャップまみれの焼きそばや、ヒネのかしわとミンチ状の牛脂を具にした「かしみん」で育ち、今は神戸元町山手の家の近所の「すじコン」に親しんだ身体になっているからだ。

 それぞれの街のお好み焼きは、そのまちのかけがえのない街の味や匂いや温度そのものである。
 そう考えてちょっと縮尺を大きくとって、大阪キタでいちばん大阪らしいお好み焼き屋が[甚六]さんである。
 生野の[オモニ]もまことに大阪らしいお好み焼きおよびお好み焼き屋であり、グランフロント大阪にも店を出して、行くと客が並んでいて入れないこともあるほどだが、やはりお好み焼きは「その場所」がいちばんだ。
 お好み焼きおよびお好み焼き屋は、移動させることは出来ないのかも知れない。

 最もテーマパーク的でない「うまいもん屋」のジャンルだ。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA「大阪でお好み焼きを」と言われて、よその街の人などをお連れする場合、[甚六]さんがいちばんだと思う。唯一「予約」ということをするお好み焼き屋さんである。

 

 

 

 そういう場合はひと通り食べる。
 トップバッターはゲソ焼きである。そしてほうれん草 とかその時の気分やコンディションで行って、絶対ピーマンの肉詰めをたのむ。ここまで進むとすでに酒になっている。ビールはチェイサー代わり。

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 そしてお好み焼きになるのだが、ここのお好み焼きはベースにダシを使っている。おまけにぶ厚いまぜ焼きだ、だから蓋をかぶせて中まで火を通す。

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 遠くからのお客だし、せっかくだからと、豪華最高バージョンを「いっとく」場合がある。店名を冠した「甚六焼き」である。
 ぶ厚いお好み焼きの生地に表面のみを焼いたホタテの貝柱、皿に海老を重ね、その表面に溶き卵を流し込む。さらにその上に牛肉を広げ、少し厚めの豚バラを覆うようにのせ、最後にまた溶き卵をかける。
 蓋をしてじっと辛抱するように中まで火を通し、こんがり焼けた豚肉に辛子を塗り、ケチャップ、ソース、マヨネーズを塗り重ね、バターを置く。
 なんぼなんでもトゥーマッチ、やり過ぎとちゃうんかと思うが、驚くほど具材が調和してうまい。
 81年開店当初から2,300円。「30年前からしたらえらい高かったと思いますわ」とご主人。元アイスホッケー選手にして指導者という、キタのモダンボーイ。

 

 

甚六
大阪市北区天神橋1-13-11
06-6353-4816

 

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第6回 牡蠣を食いにわざわざ池田へ行った。書こうとして突然、ブロガーについて思ったこと。(かき峰/阪急池田)

2014年11月21日 金曜日

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 淀屋橋の南詰めに[かき広]という店がある。
 正確には土佐堀川に浮かぶ牡蠣舟の店だ。

 『あまから手帖』の10月号の「京阪電車の始点・終点」というエリアコラムでこう書いた。IMG_0196

 京阪淀屋橋駅の1番出口、淀屋橋の南詰東側から地上へ上がると「季節料理 かき広」という看板が目に入る。すぐ右側下に土佐堀川の流れが見え、川に張り出した建物の屋根に看板が出ている。「椅子席 鰻まむし 天丼 一品料理」「川魚料理 鮮魚 天ぷら」。かと思えば「出入口につきお立ちにならぬよう」という表記もある。 
 ある夕刻、東京の物書きの先輩と「淀屋橋駅の1番出口で」と待ち合わせをしたことがあった。彼はわたしより5分ぐらい早く着いて、まわりをきょろきょろしていたが、わたしが到着するや開口一番「これ屋形船の店だよね。大阪ってやっぱりすごいわ」と言う。わたしは淀屋橋駅のこの出入口をそれこそ何百回も使っているが、それまでこの店の様子や看板の文句をしっかり見たことがない。淀屋橋を形成しているいつもの風景のなかの一つだからだ。

 大阪は河口に発達した街で、かつては秋から冬になると川筋には牡蠣料理を提供する牡蠣舟が留まる風景がよく見られたらしい。
 今では大正9年(1920)創業のこの[かき広]のみになったということを『あまから手帖』が書いている。

 牡蠣舟ではないが、震災前まで神戸の元町山手のコープの山側に[かき十]という牡蠣料理専門の店があった。

 旅館みたいな2階建て日本建築の店で、いくつも大部屋があって、そこで鍋やらコキールやらかき飯やら、牡蠣づくしの料理を出していた。牡蠣のおからまぶしというのが、へえ面白い食べ方だな、と思っていた。

 この店は10月から3月頃までしか営業してなく、シーズンになると必ず2〜3回は行っていた。わたしはこの季節営業の店の近くに住んでいて毎日前を通っていたから、黒光りした木造の立派な建物ははっきり覚えている。

 自分が編集担当した古い『ミーツ』誌を引っ張り出してきて[かき十]の記事を見つけた。創刊号(90年1月)の最後の方の「今、食べ頃主義」というレギュラーページだ。

 書き出しはこうだ。

  明治6年創業当時、かき十の当主は10月になると、広島からかき船に乗ってやって来た。当時の店は兵庫の弁天浜。戦後、店は現在の場所に移ったが、かきづくしの料理は、そのまましっかり受け継がれている。

 何の変哲もない店紹介のベタ記事だが、大阪でも神戸でももう見かけない牡蠣のシーズンしかやってない池田の[かき峰]に行って、牡蠣を食いまくっている最中に思い出し、帰ったらミーツ見てみよ、そう思ったのだ。

 しかしながら明治6年(1873)はすごい古いな。間違いだということはないと思うが、文明開化の時期、神戸でもまだ電気なんかなかったんちゃうか。

 

 さて。[かき峰]は阪急池田駅からすぐそばにある。

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 2回行った記憶がある。どちらももう10年以上前のことだが、1回はダイハツ工業の宣伝担当の人に連れられて行った。2回目は取材だったが、いつの号で何を書いたかは忘れてしまった。

 「十」と「峰」とどっちがうまいとかまずいとかではない。よく行ってた店のことは、書いたことまで覚えている。
 普段行ってない店の取材で聞いて帰って書けることというのはその程度のことだ。

 ブロガーが決定的にダメなところはそこのところで、写真に撮るため、評価するために店に行くというのは、倒錯であり変態じみている。
 この[かき峰]などは季節営業のユニークな店だけに、食べログの餌食になりやすい。

では順を追って、フルコースの中身を紹介していこう。

●酢がき 
いわゆる”突き出し”だ。
根本的に酢の物が苦手なので、特段の感想はない。

●かきフライ 
かなり大きめのもの。 非常に硬めで、かきのジューシーさはあまり感じられない。
(かずひこにゃん 40代前半・男性・兵庫県)

結果、ちょっと残念な感じで終わってしまいました。

まず、あんまりジューシーな牡蠣じゃなかった。

そして、めちゃ小ぶり。

とはいえ、たくさんの牡蠣を食べれて満足はしました。
(☆AKIKO☆ 大阪府)

昔ながらのという感じの調理が多いように感じるのは事実。逆に言うと、年配の人だと安心感を感じると思うので、年配者への接待には良いと思う。具体的に言うと、酢牡蠣が締められすぎ、カキフライの衣が厚すぎ&冷めてる&火が通りすぎ。

超老舗なので、一回行ってその雰囲気を知っておくのは吉。行かないで文句を言うのはね!
(sakanasakelove 女性)

しっかりとしたワインがあるともっとよいのに… 残念です。
シャブリだけでも 置いてもらえたら 高評価になりますし
(チョコ・バナナ 30代前半・女性・大阪府)

 そう書くことの何が目的かは知らないが、こんなことばかり脱糞するように書いてある。
 匿名やったらなんでも書けると思てるのがあまりにもアレで気分悪い。店はホンマに気の毒だ。

 これ以上読むと、たまたまカキフライとかを食うときに思い出してメシがまずくなるからやめておくし、ツッコミはこれを読んでいただいてる人にお任せする。

 というより、食べログの「レビュー」(なあにがレビューじゃ)を「チェック」してから[かき峰]に行かなかったのが何よりも幸運だ。

 酢牡蠣から順番に出てくる。
 今年は温(ぬく)いから、まだ牡蠣は小ぶりやんなあ。オレはそう思った。
 この日は、わがラテンバンド「ワンドロップ」の仲間と行ったのだが、バンマスはライターの堀埜コージくんで、かれによると「ここのは広島のやから、ちっさいし余計な水分抜いてある。そこがうまいんや」とのこと。

 鍋に入る。

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 仲居さんが丁寧に「して」くれる。

 おっと、カメラを持っていた。それを出すと、仲居さんは撮りやすいように置いてくれる。コージくんは笑っている。

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA オレは途中から仲居さんから卵をもらって食べる。

 すき焼きみたいでうまい、そう言うと、コージくんは、「その感じ、その感じ。味噌の具合がええんですわ」。

 確か讃岐の白味噌だったと思う。

 

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 続いてのカキフライはどかんと3人分一皿で出てくる。

 ウスターソースのみで出てくる。余計なことを考えずにがんがん楽しく食えるな。うちのメンバーは趣味の悪いブロガーみたいに「タルタルソースがあれば」なんて誰も言わない。

 なるほど小ぶりで味の密度が詰まった感じだ。

 コージくんが言うように、1斗缶を横切りしたのに丸い蓋をつけたような緑色の四角い缶に入ってた「広島かき」は、昔からずっとこんなだった。

 オレらやコージくんが育った大阪の街場の串カツ屋ではカキを「ひろしま」と言うていた。ちなみに「牛」は「カツ」や。

 「カキをジューシーとか言いだしたん、誰や」「ウォーカーとかのライターちゃうか。あいつらマグロの造りでもなんでもジューシーやんけ」
 などと二人で言って皆を笑わせる。
OLYMPUS DIGITAL CAMERA 牡蠣からいいダシがどっさり出ている。それを食べたれとばかり豆腐を追加注文すると、菊菜がついてきた。やっぱりすき焼きや。

 

 

 

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 ダシを注いでワサビと食べる牡蠣飯はこの店 独特の料理だといってよい。とくに焦げがうまい。

 

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 仲居さんは漬物を出すときに「広島菜です」と言った。

 この店は創業大正13年。ご主人は広島ご出身だったとはるか昔の取材を一気に思い出した。
 取材では「広島菜です」は聞けなかったと思う。
 そこらへんを分からんとな。

 

 

かき峰
池田市呉服町2-10
072-751-3735

 

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第5回 ドーナツを食べに、船場の喫茶店。(平岡珈琲店/大阪・船場)

2014年11月13日 木曜日

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 関西で現存する最古の喫茶店、平岡珈琲店は船場のど真ん中にある。瓦町3丁目、御堂筋から一本東に入った角の手前にある。

 大阪商人の根拠地といえる船場は、ここ四半世紀のところ景気動向とシンクロするように様相がめまぐるしく変わった。バブル期に次々と新しいビルに建て替わり、近年は高層マンションも増えてきた。

 オフィスビルの1階や角地にはドトールコーヒーなどのセルフ系チェーン店やシアトル系カフェが目立つが、そんな動きをどこ吹く風とばかりに、小さいながらしっとりした町家の佇まいを見せながら、まことに船場らしいトラディショナルなコーヒーを出し続けている[平岡珈琲店]。

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 その歴史話をすこし。
 現店主・小川清さんは3代目。祖父にあたる初代が喫茶店を始めたのが大正10年(1921)。その数年前は輸入食料品店だった。扱う商品はビスケットやパン、ワインやウイスキーなど。そのアイテムの中にコヒー豆もある、グロッサリーだったらしい。

 一番売りたかったのはコーヒーだが、洋酒などと比較すると売れなかった。販促にと実演販売をしたりしたが、それでも売上は上がらなかったという。
 それじゃあ「その場で飲める店を」すなわち喫茶店を始めた。当初はほかの食料品の販売も兼ねていたが、徐々に珈琲店一本にシフトしていった。

image005 コ ーヒーの淹れ方は、自家焙煎した深煎り豆を一度鍋で沸騰させてから天竺木綿で漉す。3代目店主の小川清さんが、繊細な手つきで見せる昔ながらの「ボイリング法」である。「余分な成分を逃がしてほしい成分だけ抽出できる」トルココーヒーや欧州の原始的な抽出法である。

 初代から継承する英国製シチュー鍋で炊き出したコーヒーを、濾しながらホーローのクラシックな細長ケトルに移し替え、そして青い染め付けのカップにたっぷりと淹れられたコーヒーは、何だか健康的な感じがする。

 

 執筆や編集の徹夜仕事でがぶがぶ、とは絶対違うし、フレンチやイタリアンをたらふく食べてさらにデザートと一緒にとか、飲んだ酔いさましに1杯とかではない。

 だから一人でも数人のときでも、わざわざこの店に出かけて飲みたくなる。

 

image011 その昔、高度経済成長期を経て円が強くなるまでは、とても贅沢だったコーヒー。それをよりおいしく飲んでもらおうとの考えから、シンプルなドーナツが開店当時からつくられてきた。ただし、当時の大阪の喫茶店ではドーナツはあたり前のように出されていて、珍しいメニューではなかったようだ。

 

 銀座の老舗喫茶店[カフェーパウリスタ](明治43年創業)の支店が大阪にあり、その真似をしたのかも知れないが真偽のほどは分からない。

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 ドーナツは毎日約100個作る。今なお、一口ガスコンロの火にかけたフライパンで揚げられている。ひとつずつ揚げるから、仕込みは朝早く5時半から始める。

 7時半の開店までには、なんとか20個ほどが出来上がる。そこから10時半くらいまで、だいたい午前中いっぱいを使って揚げ続けられるが、テイクアウトも多いのでランチ後には売り切れてしまうこともある。

 ドーナツの材料はごくごく基本的なもの。小麦粉、砂糖、卵、メレンゲ、ベーキングパウダーを混ぜ、冷めてもふっくらと美味しく食べられるように仕上げている。油は日清のサラダ油。これが一番軽い仕上がりになるのだという。
 特別なものは何も使わず、余計なことはしない。最高のカスタマイズである。

 わたしの場合、オフィスから近いので、誰かがドーナツをどっさり買って帰ったりして、「おお平岡珈琲のドーナツか、ええなあ」とお茶の時間にしたりしてそれは当然おいしいが、この店のホットコーヒーと一緒に食べるのが世界一うまい(当然か)。

 ホットコーヒーは330円。濃い舌触り、味覚だがすっきり。ブラックを好む客が多い。カフェオレもあって値段は350円。ドーナツは130円。

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平岡珈琲店
大阪市中央区瓦町3-6-11
06-6231-6020

 

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第4回 「いっとかなあかん店」と「いっとかなあかん街」。(とり平本店/大阪・新梅田食道街)

2014年11月10日 月曜日

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 いっとかなあかん、というのは「その店に行かないといけない」とのことではない。
 たとえば鮨屋で「今日のウニは淡路のええのん入ってますよ」などと、抜群の旬の魚介を見せられ薦められた時に「それ、いっときますわ」、行為遂行の即座の選択みたいなものだ。同時にゴクリと唾も飲み込んでしまうわな。

「知ること」と「行い」は分離不可能、という境地。「知行合一」である。知って行わないのは、未だ知らないことと同じである。そういう思いで街に出たいし店にも行きたい。

 その「いっとかなあかん店」は「いっとかなあかんとこ」にあればあるほど、リアルな街の楽しみになる。
 ただその店に行って飲んだり食べたりそれ単一のことなら、ミシュランなどグルメガイドやタウン情報誌を見て、アクセスすれば良いだけだ。
 それは単なる消費行為である。おいしい食べものやいいお酒をただ対価を払って買うことだけにすぎなくなる。

 「いっとかなあかん店」は「いっとかなあかん街」を微分したものであって、その複数の店が同じ通りに並んでいたり、さらにその通りがタテヨコにクロスするなら一つの街になる。
 複数のいっとかなあかん店が、ダマでかたまってある街こそが、ほんまにいっとかなあかん街である。
 新梅田食道街は、阪急梅田駅の3階改札口への大エスカレーターのすぐ手前、JR大阪駅東側のガード下にある。たこ焼き、うどん、串カツから寿司、洋食、中華料理、バーや居酒屋まで約100店舗が縦横斜めの細い路地状の通路に並び、「最も大阪らしい飲食街」といわれている。

 77年に阪神間の大学へ通うようになって、地下鉄梅田駅から阪急神戸線に乗り換える際、よく「おおさかぐりる」で洋食のセットを食べた。
 岸和田から南海本線で難波、そこから地下鉄御堂筋線を乗り継いで梅田へ。1時間あまり、どちらも満員電車の立ち詰めだから、結構腹が減る。

 店は朝から開いていて、フライ類とライスに味噌汁が付いたセットは学食並みに安かった(確か350円だった)と記憶する。
 今は新しく改装されて当時の面影は薄いが、衣がハムの3倍くらいの厚さのハムカツが絶品だった。

 エスカレーター前の「[珈琲通の店ニューYC]で待ち合わせをしたり、[松葉総本店]で串カツを立ち呑みの生ビールで流し込んだり、[大阪一とり平]のカウンターに一人で座って焼鳥を注文するようになった頃は、梅田という大ターミナルを迷わず歩けるようになっていた。

 この飲食街の入口にあたる場所(何と「珈琲通の店ニューYC」の隣)にマクドナルド、そして吉牛とチェーン店がテナントとして入って来たのはずっとずっと後。気がつけば30年以上、この新梅田食道街に通っている。

 ちょうどど真ん中あたりの角地にある赤いタイルの中華[平和楼]、鴨鍋定食の[新喜楽]。

IMG_0106 おっと[マルマン]の「ライトランチ600円(11時〜2時半)」や。現物サンプルが店頭に出ていて、「おー、うまそうやな、安いな」となる。この日はデビルチキン、ポークカツだった。

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 ここ数年は昼前昼過ぎに梅田に着くと、「ビフテキ・欧風料理」と入口ドア上と置き看板に書いてある[スエヒロ](ビフテキは高いと思って食うたことがない)のサービスランチを食うて、シュークリームのヒロタとA-1ベーカリーの細い通路から阪急デパート前へ抜けて堂島へ歩いて帰るパターンも多い。

 このところ一番よく行く[大阪一とり平本店]は、昼時に前を通ると、ランチ客でごった返すのを無視するかのように、スタッフ3がカウンター席に座り、通りに背中を向けて串に鳥を刺している。
 開店まだやなあ、夜、仕事帰りにいっとかなあかんなあ、なんせ大阪一やもんな、などと思う。
 横に細長いカウンターだけの奥行きのない店で10数席。まことに新梅田食道街の店らしい焼鳥屋であるが、やり方はユニークだ。

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 座ればまず大根おろしと辛子の小皿が出てくる。そして何も注文しなくても合鴨の身と皮が炭火にかけられる。「お通し」の合鴨のタレ焼き4本だ。
 お通しの合鴨の身にはネギ、皮には玉ネギ。大根おろしは焼鳥の口直しでスプーンで食べる。

 昭和26年(1951)創業時は、まだまだ食料物資が不足していた時代だったが、合鴨の飼育から精肉販売までを行う業者にツテがあった。それが今や「河内鴨」で有名なツムラ本店であり、その贅沢な合鴨を店の目玉メニューとして、まず初めに「お通し」として出す。ユニークな伝統である。
 鴨とアヒルを交雑させた「合鴨」は大阪発祥だということは、この店で初めて知った。

 カウンター内のスタッフは、客がこの一皿を食べる様子をしっかり観察する。その客が空腹なのか、好みは何なのか。
 壁の木札には「ネオドンドン」「ネオポンポン」などと突拍子もないメニューが書かれてある。初めての客なら必ず「それは一体、何?」と訊く。
 狙いはそこだ。会話の糸口になるようにと初代が考えた。ネオドンドンは心臓で、鼓動の「どんどん」にかけてある。まことに大阪のおっさんのシャレ的感覚だが、職人的符牒っぽくもある。

 コンロからあふれんばかりにふんだんに使われる備長炭の火の強さはカウンターからも感じる。その強火の焼き方の特徴は、ネオドンドンすなわち心臓でわかる。外側を強めに焼き内側を浅く。
 それで焼きの状態がアンバランスになり、「ぶりっ」とした食感になる。
 一瞬レアかと思うが、醤油ベースのすっきりしたタレに実によく合う。だから七味や山椒ではなく辛子をつける。

 この店は一切伝票を使わない。焼き手はカウンターに腰掛ける客の注文を頭に入れる。勘定は焼き場の横でマッチの数と向き、ビールの王冠の裏表などでつける。ソロバン勘定がしやすいからだ。
 三代目中村元信さんは「初代が無駄をそぎ落とした結果そうなった」と語る。シブい台詞だ。

 元信さんは学生の頃から大手外食チェーン店でアルバイトをしたりしていたが、大バコチェーン店系の飲食はおもろない、と思っていた。
 大学を出て商社に就職した。2代目の父親に「うちは客はサラリーマンが多いから、その世界を勉強してこい」とのことからだ。3年間の会社勤めの後、家業に入る。何と暑い仕事やなあと思った。父には「まず客の顔を覚えなあかん」と言われた。だから伝票など書かない流儀なのだ。もちろんマニュアルなんてない。常連のこの人はビールはキリンでグラスではなくジョッキやとか、焼き加減、塩の量など好みも。
 「顔を覚える」ということはそういうことなのだ。旧い鮨屋や割烹のような世界である。

 またここで乗車時刻を調整する大阪出張帰りの客が多くて、鴨のもも焼きを「おみや」にして、新大阪からの帰りの新幹線であけてビールと…、というファンも多い。

 この店に行ってから、2階にある[梅田サンボア]にミニはしご酒は、わたしの定番である。

 こういう深くて渋い店が新梅田食道街に実に多い。
 そして小さなこれらの店が、経済合理性とグローバル・スタンダードを押し出すファストフード・チェーンと互角以上の勝負をしている限り、この飲食街はまだまだ「大阪スタンダード」の街のあじを守っている。

とり平本店
大阪市北区角田町9-10
06-6312-2006

 

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第3回 花のように、鳥のように。(バー・ヘミングウエイ/大阪・ミナミ鰻谷)

2014年11月5日 水曜日

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鰻谷の笠屋町筋(今は三休橋筋という人が多い)のセルコヴァビルの6階の頃のこの店は、「お洒落な鰻谷」のまさにど真ん中という感じがした。
実際、自分がやっていたMeets誌でも、「スペインのヴィノ・デ・へレス(シェリー酒)協会から認定されたベネンシアドールがいる最先端のスペイン系のワイン・バー」みたいな紹介の仕方をしていたし、深夜は、言い方はアカンかも知れないが「ちょい悪オヤジ」な客とその仲間たち(含む女性)で賑わっていた。

オーナーでマスターの松野直矢さんの長柄杓を使って頭の上からシェリーを注ぐそのベネンシアドールが、見慣れたいつもの所作と思えるようになったのは、2012年の秋に2ブロック東に逸れて路面店に移った時の頃。
オープンからすでに10年以上経っていた。

今ではこの店は、「昼からやってて、うまいシェリーが飲める店」「コーヒーもビールもあるスペイン・バル」という捉えられ方をしている。
客と一緒にテレビで野球や相撲を見て騒いでいる松野さんを見ると、ほんまはこれやったんなあ、などと妙に納得する。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 入口の鮨屋に置いてあるようなガラスケースの中には、いつもイワシの酢漬けとスモークなどのツマミがうまそうだし、テーブルには黒い蹄が特徴のイベリコ豚のハモン・セラーノが無造作極まりなく置かれている。

 

 

結局、シェリーの種類が覚えられなかったのは、いつも松野さんに頼りっきりのオーダーしかしなかったからだ。お陰さんでペドロ・ヒメネスもオロロソも、何を指すのか分からんが、シェリーのタイプは飲めば分かるようになった。

あらかじめどこに行くんか店を選んで、そこで何を食うて何を飲むのがイケてて賢いんか、みたいなことを考えるのはやってみれば楽しいこともあるが、この店ではそのとき腹が減ってたらサンドイッチ。ワインはやんぴでビールとかウイスキーとかモヒートとかばっかりのときもありありだ。

突き出しのオリーブもつままずに、静かに赤ワインを飲んでいる奈路画伯。ええな

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銘柄や種類などどんなシェリーか覚えていない。が、味は次に飲んだときに思い出す。

この日は3人ともアテを頼むのを忘れていたし、いくら払ったのか、それを割り勘で払ったのかも忘れてしまっている。
カネは「実際はないけど、ある」と思っている。
そんなふうに思えたらしあわせに近い(詞・阿久悠 唄・桂銀淑。おっと、「けいうんすく」で変換したぞ)。

バー・ヘミングウエイ
大阪市中央区東心斎橋1-13-1伊藤ビル1F
06-6282-0205

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第2回 西成からミナミへ。何で串カツから洋食やねン、と思うが…。(明治軒/大阪・ミナミ東清水町)

2014年10月31日 金曜日

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いきなりTwitterで「ブログ始めました」と呟いたら、一気にアクセスが増えた。

飲んでいて、「音、聞きに行こうや」というメンツの一人からの声は、わたしにとって抗しがたいものである。「カラオケでも行こか」といわれて、「行こ行こ」と必ずなってしまう類の人種に似てんのではないか。古いところでは「ディスコへ踊りに行かへんか」というフレーズもそうだ。

ジャズ喫茶、(DJがいて踊る方の)クラブに見るように、いい音楽、デカい音は、酒場の切り札となり得る。

西桐画伯はこの頃あんまりステージに立たないが、ばりばりのドラマーでもあり、ジャズやラテン、昭和歌謡を中心に、「世界の音楽」に精通している「音好き」である。音好きという人種は、とにかくなんでもどんな音楽も好きだ、というのではなくて、選曲にうるさい。まことに五月蠅い。

その選曲というのは、その瞬間その空間で流れる音楽のことだ。その時々にどんな音楽の誰の何をかけるかはもちろん、「文脈」みたいに曲のつなぎ具合までを聞いて「(愉)快/不(愉)快」みたいなものを決定している。もちろんオーディオ機材から出る音そのものの質やボリュームをも価値判断される。

そのあたりが、アルコールが入っているものならいつでもどこでも歓迎の「酒好き」、あるいは誰でもオッケーの「女好き」といったものとは全然違う。

ミナミならマッキーがやってる[バー・ジャズ]が、JBLのデカいスピーカーをマッキントッシュのアンプで鳴らしていて、おまけに音源はレコードだ。日曜も6時から開いてるので、それを知る西桐さんが、「そろそろ行こや」とチューハイレモンのジョッキを空けながら促す。

新今宮から心斎橋へは、動物園前から堺筋線か御堂筋線に乗って移動するのがシュアだが、飲んでしまうと「タクシーで行こや」となることが多い。[なだや]は堺筋にあって、堺筋は北向き一方通行だから、心斎橋や本町方面に行くには都合が良い。3人でタクシーを拾って一路大宝寺町へ。

「周防町を西へ入ってもろてそっから2本目か3本目、北へ行ける道を行って下さい」。そうタクシーの運転手に言って、ほんの数分で[バー・ジャズ]の近くに到着。前がクルマで詰まっているので「ここで良いです」と降ろしてもらう。

「えーと、[バー・ジャズ]はもう1本北やったかなあ」と東西の通りの左方向を見れば、白いナプキンを三角に折った[明治軒]の看板が目に入ってくる。「創業昭和元年 浪速の味 明治軒」のサインである。

「ちょっと、何か食べてから行きましょや」「おお、ええな」となる。「音の店に行こうや」からほど遠い、これっぽっちも頭に浮かばなかったアイデアが実行される。ミナミという街は、あらかじめの予定なんかを台無しにするような魔力を持っている。

時計を見ると6時きっかり。「もう混んでるんかな」「2階はいけるやろ」などと言いながら、ドアを開ける。ラッキー。まるで魔法のように1階のテーブル席1つだけが開いている。

舞台のように蛍光灯で白く浮かび上がる、カウンター内には5〜6人のコックコートのスタッフがせわしなく動いてる。客層も若いカップルから子連れ家族まで広い。

水が運ばれてきた。メニューを見る。西桐さんはさっと開けただけで「ポークチャップ!」。そらそうだ、ここのフライもんがいくら旨いといっても、西成で串カツを食べた後なのだ。「ええですね。えーとそれからハムサラダとビール2本」と俺がフォロー。

奈路くんはぼそっと「カレーライス」。[明治軒]でカレーライスを選ぶのはよほどの「通」か、「ぼくの好物はカレーライス!」的な旧き佳き少年の心を持つ人である。

カレーはシブい注文だ。この店の人気メニューは何といってもオムライスだ。「客の8割近くがオムライスを注文する」とその昔、エルマガ別冊で書いたことがある。オムライスと串のセットはよく知られた定番だ。それについては「ここのシブいカレーライスを見逃すのは惜しいということであえてご紹介。大量に注文のあるオムライスは、牛のモモ肉を煮込んで作る。カレーライスは、この時に出るジューシーな肉のスープが使われているのだ。これが独特の味をつくっている」と書いている。

89年発行の『グルメマニュアル』で書いたものだが、大変に下手くそな記事であるが視点はよいと思う。データ欄の住所は「南区東清水町43」と表記している。わたしが31歳のときだ。

ビールが出てきて、コップ2杯目を注ぎ合いする頃、ハムサラダが出てきた。2ミリぐらいにスライスされた四角いハムを西桐さんが食べて「ああ、目ぇ覚めたわ」と一言。奈路くんが小さな声を上げて笑う。この人らと街で飲み食いするのは楽しい。

思い出したように買ったばかりのオリンパスペン・ライトを出す。飲食店でカメラを出すのはあかん行為だとは思うが、マニュアルを読み込んでさらにわからんところは西本町にあるオリンパスプラザ大阪に行って教えてもらってきた。ライブコントロールにぶら下がるいろんな機能ほかを試したいのだ。でないと今日びのカメラは使えない。

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ポークチャップはでかい

ポークチャップはぶ厚くてデカくて、カレーライスと合わせて食べると3人で十分な量だ。西桐さんは豚肉をデカく、がしがしがしというふうに切る。

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カレーライスは、もっとよう混ぜてといてや

 

 

俺は「奈路くん、カレーよう混ぜといてや」と言って頼むが、「まだまだ、もっともっと」とさらに注文をつけた。

 

 

 

 

 

 

3人でハムサラダ、ポークチャップ、カレーライスをおのおのフォークとスプーンを使って食べ、ビールも2本で丁度いい。

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ええなあ、この店内

 

次があるからと別に急いで食べたわけやないがほんの15分。一人1,500円通しで。さあ一本北の大宝寺町に出て[バー・ジャズ]へ。

[バー・ジャズ]の扉には「本日貸し切り」と。カウンターにまだ客がいる様子はないのでドアを開けると、テーブル席で鍋をやっているグループが1組。マッキー夫妻が出てきて、「あっ、西桐さん。江さん。きょうは大阪マラソンの打ち上げなんです。すません」とのことだ。

なにぃ、大阪マラソンってか。地下鉄で告知放送やってたな。いきなり着メロが鳴ってるみたいなコブクロの。なんだかがっくしきたが「大阪マラソンか、しゃあないなあ」「そら、しゃあない」と言って外に出るが、何かみなしごになったよう気分だ。

「今日は、これで解散」と高らかに宣言したが、西桐さんは「えと、[ヘミングウエイ]に行こや」。「ええですねぇ。シェリー飲も飲も」。

ということでもう1本の鰻谷の[バー・ヘミングウエイ]へ行くことにする。

明治軒
大阪市中央区心斎橋筋1-5-32
06-6271-6561

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第1回  西成で飲む。ちゅうても、そんな大層なことやないけど。(なだや/大阪・新今宮)

2014年10月29日 水曜日

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いきなりですが、食べ飲みのブログをやることにする。

自分がほんまに「ほんまにいい店だ」と思った瞬間のことや、今まで何で書けへんかったんやろ、という「気持ち」を言葉にしていこうと思う。

とにかく店に行く。が、仕事のために行くのではないから、もちろん取材はしない。

元々飲食店については、ライターが取材で聞いて帰れるものは、「データ」だけであるとあちらこちらで言ってきた。

とくに酒場での酒については、たとえばビールならアサヒのスーパードライかキリンのラガーぐらいの違いであり、グラスに注がれ中身はどの店のものでも、コンビニの棚に並んでいるビールと同じ(はず)だ。

ドライ・マティニーのレシピを訊いてきたところで、その酒のしびれる旨さや、そのバーのぐっとくるところを何一つ反映しない。

酒場やお好み焼き屋のような類の店については、取材だけでは絶対書けない。その店との関係性でしか語ることができない。つまりグルメ的な情報によって「それを語ること」を拒むように構造化されているのだ。

写真も自分で撮って、適宜アップしたいと思う(そのために小さなカメラを買った)。本気である。

画家の奈路道程さんには、たまにカットを描いてもらおうと思う。奈路さんとは今、毎日新聞に連載中の『濃い味、うす味、街のあじ。』でコンビを組んでいるが、『ミーツ』を創刊して以来20年以上の長い長い付き合いだ。

「休みの昼にでも、久々にゆっくり話をしょうや」ということで、奈路さんとは先日の日曜日、JR新今宮駅の東口で午後2時に待ち合わせした。

2人にとって「話をする」ということは、あらたまって食事をしたり、喫茶店に行ったりするということではない。奈路さんはたまに行くという、西成三角公園前の[なべや]に行こうと提案してきた。西成の大衆的な酒場は、平日も日曜日や休日も昼からやっている店が多いから、こういう場合ミナミをワープして西成へ足を伸ばすことが正解だ。

わたしは「おっ、[なべや]かいな。長いこと行ってへんな。奈路くん、エラいとこのエラいエエ店知ってるやんけ。楽しみやなあ」などと言っていたから、奈路さんは念のために予約をしようと電話を入れたが臨時休業だとのこと。

それじゃ「一番近いとこにしょう」ということで、新今宮の太子交差点から、堺筋沿いを北へ50メートル、[なだや]に行くことにした。[なべや]じゃなくて[なだや]。一字違いだが店の形態は鍋中心の居酒屋と、串カツ中心の居酒屋と全然違う。

[なだや]は午前中からやっているし、休みの日は見たことがない、まことにこのあたりらしい居酒屋だ。途中、工事用のボードで覆われた解体中のフェスティバルゲートの前から、天王寺駅方面にハルカスが見える。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA 10年前には想像も出来なかったものすごい西成・浪速区的風景だ([なだや]やこのフェスゲや通天閣がある環状線より北側は浪速区である)。

 

 

 

 

 

 

 

先ほど居酒屋などと書いたが、焼鳥やホルモン串焼きも食べられる串カツ屋、といった変形コの字型のカウンターを2つ組み合わせた大きな店だ。

この日は日曜日で、チャリンコを乗ってくる地元のおっさんのひとり客やら、夫婦でセブンスターの箱を取り合いしてうまそうに吸っている客、ギターケースを下げた40歳台と思しきバンドやろうぜ3人客など、表のコの字カウンター部分は五分入りだ。

昼酒はクセになる。そして誰かと飲むときは夜までハシゴになる。その日は、家に帰っても寝るまでずっと飲みっぱなしになることが多い。明くる月曜日はカラダもココロも大変なことになるから、とにかくカラダに悪そうな合成酒みたいなもんは飲まないに越したことがない。

だからきっちり菊正宗を出すこの店はありがたい。確か以前は「灘屋酒店」という看板があったはずだ。

アサヒスーパードライの生中は日曜がサービスデーで280円と文句なしの格安だが、串カツは牛が1本160円と結構取りよる。が、しかし串カツのネタが良いし大きい。ソースもよく浸みる感じの甘きれいな、まことにええソースである。

わたしは串カツの牛ばかりの連打とキャベツ、奈路さんは串カツの豚やイカやちくわに加えておでんのスジやダイコンという、まことに浪速伝統的な嗜好で1時間半ほど飲んでいると、ケータイが鳴った。

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カウンター奥の一角

画家の西桐玉樹さんである。こちらに向かうとのこと。

西桐さんがやってくると、より一層酒のピッチが速くなる。男3人という場面は一番酒が進むのだ。

生ビールから奈路さんはハイボール、俺は酒を常温でと変わる。串カツおでんから、ポテトサラダ、エイヒレとアテが変わってきた頃には日も暮れてくる。

キューバやドミニカの音楽の話が出て、「[バージャズ]へ音、聞きに行こうや」となる。ようやく普通の酒場と呼ばれる類の店が開店する時刻。

そういや[なだや]は休日の昼に行くことが多いな。串カツ屋は立ち呑み屋が多いのとどこも慌ただしい活気がするが、ちょっと年をとった感のあるこの店の空気感はゆっくり飲める。

なだや
大阪市浪速区恵美須西3丁目2−16
06-6648-0621

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新連載:江弘毅「世の為、の店。」

2014年10月29日 水曜日

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第10回 酒場フォトグラファーとバッキー井上と養老孟司先生。(堂島サンボア/大阪・北新地)

第9回 酒場とバーとライターあるいはカメラマン。(バー・ウイスキー/大阪・道頓堀)

第8回 釜ヶ崎の「なべや」に行ってきた。(なべや/大阪西成)

第7回 地元・大阪でお好み焼きを食べるということ。(甚六/大阪天満宮)

第6回 牡蠣を食いにわざわざ池田へ行った。書こうとして突然、ブロガーについて思ったこと。(かき峰/阪急池田)

第5回 ドーナツを食べに、船場の喫茶店。(平岡珈琲店/大阪・船場)

第4回 「いっとかなあかん店」と「いっとかなあかん街」。(とり平本店/大阪・新梅田食道街)

第3回 花のように、鳥のように。(バー・ヘミングウエイ/大阪・ミナミ鰻谷)

第2回 西成からミナミへ。何で串カツから洋食やねン、と思うが…。(明治軒/大阪・ミナミ東清水町)

第1回 西成で飲む。と言うて、そんな大層なことやないけど。(なだや/大阪・新今宮)

 

『大阪名所図解』が産経新聞に掲載されました。

2014年10月27日 月曜日

『大阪名所図解』が今度は産経新聞に掲載されました。

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今回は「関西新刊案内」というコーナーで、作画を担当した綱本武雄さんのインタビューが掲載されています。

著者である3人の「リクエスト」に応えるために、現地へ出向いて工夫しながら描いたことや描き直しがあったことなど、出版までの苦労が明かされています。

meisyo_coverとは言え、綱本さんご自身でも、上がってきた色校正をご覧になって、「こんなに大きく使われるなら、もっと描き込みます…」と言って、自主的に描き直しをされた絵もあるのですが。それほど、書(描)き手の想いがつまった1冊なのです。

今回は、表紙の写真入りという大きな紹介。ありがとうございました!

 

朝日新聞夕刊で『大阪名所図解』が紹介されました。

2014年10月6日 月曜日

先日、朝日新聞の夕刊に『大阪名所図解』が紹介されました!

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ミシマ社の三島邦弘さんのインタビューが目立ちますが、その下にばっちり写真入りで紹介していただいています。ありがとうございます。

asahi_1001_2冒頭で「細部に凝った様々な工夫やデザインを知れば、見慣れた街もきっと明日から違って見えてくる」ありますが、これはまさしくその通り。一つ一つの部位の名称を「知る」ことは、すなわち全体の中からその部分を切り取って「理解する」ことであり、それによって建物の見方はまったく変わります。まさしくこの本が目指したものは、そういうところです。

みなさん、ぜひ読んで、じっくり見てください。それをもってその場所へ行けば、今まで気に留めていなかった細かい部分の意匠が、「なぜそうなっているのか」のリアリティを持って浮かび上がって見えるはずです。

 

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