大阪は快暗。雲一つなく目が痛くなるほど日差しが明るい。
こういう日は力レーがうまい。で『山守屋』に行く。
わたしはそんなに力レーを好んで食べる者ではないと自分は思う。
力レー専門店は年に1回ぐらいしか行かない。
ただ洋食屋の力レーは大好きで、行っている店ではだいたい力レーを食べている。ざっと思い浮かぺるだけでも大阪ミナミなら『明治軒』、キタなら『山守屋』。神戸は元町山手の『帝武陣』と浜側にある『グリルミヤコ』。
さて『山守屋』の力レーライスは600円。カツ力レーは1200円だ。だいたい力レーショップではふつうのビーフ力レーだとかは650円ぐらいで、カツ力レーだと850円くらいか。
カツの200円分は「せっかくだから」ということでのサービス価格だろうが、こういうのは「きょうは腹が減ってるからカツ力レーにしとこか」というときしか食べない。だいたいスタンタードなビーフ力レーにする。「安すぎるカツ」は「どんな肉やねん」と信用できないというわけではないが、あまり食指が動かないのだ。
『山守屋』のポークカツレツは750円でカツ力レー-カレー=600円だから、つけ合わせの分を引いたそのままの値段だとお見受けする。そういうわけで(どういうわけだ)ここのカツ力レーはとてもうまいのだ。
3月18日 あとがきとして
1年あまり「食べること飲むことについて毎日考える」ということを書いてきた。
近著「K氏の遠吠え 誰も言わへんから言うときます。」(ミシマ社)
でも「『仕事は効率よく、コストは最小に』グルメライターのタダめしの関係性について。」と「『食ベ口グ』のと『通』との埋めがたい距離について。」と2つの口ングコラムで書いたが(ここは注意深く読みとってもらいたいのだが)
「仕事で書くために食べたり飲んだりする」
ということはときおりよく考えた方が良いのではないかと思っている。
「『書いて(お金をもらい)食べる』ために『食べる』」
というのも、どっか落ち着かない。
「『メシ食うため』すなわら『生計を立てるため』に『メシを食う』」
というのは、これは論理がおかしい。ちょっと頭をひねってしまう。どっかアカンのちゃうやろか。
この連載はそんな違和感の切れ端、あるいは尻尾みたいなものを掴んだまま放さず、「食べること、飲むこと」のグルメ情報誌的な観点ではない体感的なもの書けないか、という無謀なことだった。取材とか文字数とか締切とかを離れて、自分にとってあたりまえの「飲み食い」について考えて記述してみる。
けれども店すなわち商業空問で「商品」として売られている料理やサービス「そのものを書く」という調子でやっでいくと、これからどんどんネットのブロガーや食ベ口グ系サイトの投隔、すなわち「消費者」に取って代わられるだろうな、ということだけは気づいた。
「食ベ口グ」のただし書きは以下だ。
「これからのロコミは、ユーザーがお食事された当時の内容に碁づく主観的なご意見・ご感想です。あくまでも一つの考としてご活用ください」
わたしは「店の客」ではあるが「ユーザー」という言い方で称されるような立ち位署に立ったことはない。街場の具体的な店で飲み食いすることは、使っているケータイの機能がおかしいと「お客さま相談室」に電話したり、デジカメを買うために「価格.com」を調べて最安値で買ったりするのとは位相が違う。
また「ものを書く」ということは「お食事された当時の内容に基づく主観的なご意見・ご感想」を書くことではないと思っている。
そういうふうに構えた軸足から、月に5〜6本の「食べること飲むことについて毎日考える」を書いてきた。やり始めると面白くなってきたし、アクセス数もこのHPでは1位を続け、どんどん書いていこうと思ったが、編集担当の安藤善隆さんが「あまから手帖」編集部を去るということなので、このあたりで擱筆することにする。
わたしは新聞や雑誌、ネットを含めていろんなことを書いたりコメントを求められたりして『食べている」(これぞ口八丁手ハ丁である)がその際にある種のバイアスをかけることを要求されることがある。
その一つが「誰かが書きそうなこと」や「誰かが(も)言っていること」を「わたしのロから言わせること」を目的に仕事をオファーしてくる編集者がいる。これはやっていて、なんというか、おもろくないのだ。けれども「食べるためにやる」こともある(広告のメッセージは誰が書いても「この商品は良い」以外にない)。けれどもしつこいが、それは「食べるために食べる」とは違う。
わたしも現役の編集者の一人であり、「そこのところ」がよくわかるのだが「その人以外、書かないこと」(「誰も 言わへんから言うときます。」がその好例)を「それでいきましょう」と求められて書くことは、エキサイティングでなかなか面白い。
けれども「そういうこと」を求めない人もいる。
「食べること飲むことについて毎日考える」については担当編集者が、「それでいきましょう」ばかり毎回言ってくれたからこのように膨大なテキストが残った。
この連載にはそれ以外、なんの企図も秘密もない。
編集者・著述家。雑誌ミーツリージョナルを立ち上げ、1993〜2005年編集長を務める。
2006年編集出版集団140B創立。著書「有次と包丁」(新潮社〕、「飲み食い世界一の大阪」(ミシマ社)など多数。毎日新聞連載中の「濃い味、うす味、街のあじ。」の単行本化、140Bから7月15日発売。