2020.06.03
封鎖七二日目
Lockdown Day 72 晴れ。
暑いとベジタリアンとかビーガンな食事が増えます。単純にあっさりしたものを体が欲しがるからでしょうか。和食、京都メシがメインなので、どうしてもお出汁は抜けませんからポリシーでやってる人たちにはご馳走できませんけどね。
今日のランチは典型的な夏メニュー。冷蔵庫で極限まで冷やした作り置きのラタトゥイユ(ご飯のおかずにもなるし超便利)。+パスタサラダ。ファルファレにトマトと葱とレーズン、レモン、松の実。塩とオリーブオイルで和えてこれまた冷たーくしております。
レモンはイタリア産のノンワックスが手に入ったので頑張って薄切りしました。これが食感的にも味のアクセントとしてもすごくいい仕事してくれた。これ、蕎麦に浮かべても美味いやろな、とか。すだち蕎麦は店のメニューにあると必ず頼むくらい好物なのに、こちらでほかの柑橘をスライスしてやってみようと思ったことがついぞなかったのはなぜでしょう。
レモンじゃ代用にならないっていう先入観みたいなものが邪魔してたのかもしれません。英国にはないから不可能だと思い込んでましたが、こっちにもこっちならではの様々な柑橘があるんだからいろいろ試してみない手はないですよね。
コロナのある世界で暮らすというのは先入観との戦いである気がします。企画はあっても現実には無理ゲーだと考えられていたことが実施せざるを得なくなった結果、実施されて存外うまくいってたりする。在宅ワークにしても、フレックスタイムにしても昔からあるアイデアだけど導入されたのはコロナゆえのところが多かったんじゃないでしょうか。
産むが易しだったり、やっぱり駄目だったり、結果もいろいろでしょうが、駄目だったら何か別の手段はないかと模索するようになったのは日本人だけではない。世界中がそうです。いくら「風邪と同じ」だといっても、それではもう動かなくなってしまってるんだからオータナティヴを求めるしかない。
京都だけでなく関西一円で使われる言葉に「しゃあない」というのがあります。いや、言葉というよりは哲学やな。困難や厄介に出会ったとき、粗相したとき、反発したり足掻いたりせず、かといって思考停止せず、まずそれらの障害を受容してみようという、それは態度です。ただ諦めるんじゃないの。
「しゃあないではすまへんやろ、そんなもん」
「そやけど、しゃあないもんは、しゃあないやんか」
「ふん、しゃあないんやったら、しゃあないな」
といった訳のわからない会話が碁盤の目のあちこちで今日も繰り広げられています。つまりは【身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ】という諦念のススメ。にっちもさっちも行かなくなった末に、しゃあないから生まれてきた文化が京都にはいっぱいあります。